(八)
まだ月初つきはじめであれば、健次けんじも五六枚まいの紙幣さつはポツケツトに潜ひそませてゐるので、「櫻木さくらぎ」へでも行ゆかうかと思おもつたが、お雪ゆきの顏かほも、もう見飽みあいて鼻はなにつく。型かたに取とつた定きまり文句もんくは並ならべるが、キヤツ〳〵と騷さわぐ外ほかには能のうがなく、頭あたまから足あしの裏うらまで何處どこを押をしたつて、碌ろくな音ね一つ吐はき出ださぬ癖くせに、二三日にち續つゞけて足あしを向むけると、此方こちらに思召おぼしめしでもあるやうに自分じぶん定ぎめに自惚うぬぼれたがる女中ぢよちう共どもを相手あひてにして、拜顏料はいがんれうを差さし出だすのも馬鹿ばか々々しいと今夜こんやは思おもひ留とまつた。で、彼かれは西洋せいやう料理店れうりてんでウヰスキーを傾かたむけ、二三品ぴんの洋食やうしよくを貪むさぼり、それから氣きまぐれに神田かんだの西洋せいやう書店しよてんへ立寄たちよつた。何なにか自分じぶんを刺激しげきして、新あたらしい生命いのちを惹起ひきおこす者ものはないかと、新着しんちやくの文學ぶんがく政治せいぢ宗敎しうけうから工業こうげふや銃獵じうれふの書類しよるゐまで、殘のこる隈くまなく覘のぞいたが、どれにも自分じぶんを魅みするやうな破天荒はてんくわうの文字もじが潜ひそんでる氣きもする。で、あれか此これかと撰擇せんたくを重かさねた揚句あげく、遂つひに或ある露國ろこく革命家かくめいかの自傳じでんと、偶然ぐうぜん目めについた棚たなの隅すみの或ある冒險家ばうけんかの北極ほくきよく紀行きかうとを購あがなつた、書物しよもつを抱かゝえて上野うへので電車でんしやを下をりたが、醉ゑひはまだ醒さめず、家うちへ歸かへるのも厭いやであれば、ふら〳〵公園こうゑんを步あるいて銅像どうぞうの側そばのベンチに腰こしを掛かけた。後うしろへもたれて目めを瞑つぶつてると居睡ゐねむりをしさうで、足元あしもとに力ちからがなく、身みぐるみ地ちの中なかへ吸すひ込こまれさうな氣きがする。電車でんしやの音おとも遠とほい世界せかいで響ひゞいてゐる如ごとく、自分じぶんは此このまゝ動うごけなくなるやうに感かんぜられる。身みをベンチの脊せに投なげ出だし、帽子ぼうしの落おちさうなのも關かまはず、心こゝろを夢現むげんの境さかひに迷まよはせてゐたが、書物しよもつが膝ひざから辷すべり落おちるので、パツチリ目めを開ひらくと、木この葉はが顏かほに觸ふれ、埃ほこりを含ふくまぬ澄すんだ空氣くうきが身みに染しみ、自分じぶんの周圍しゆうゐのみは薄暗うすくらいが、空そらには星ほしが多おほく、目めの下したには燈火あかりが煌きらめいてゐる。四五間けん前まへには黑くろい人影ひとかげが二つ。深沈しめやかに話はなしをしてゐたが、やがて暗闇くらやみの中なかに消きえてしまつた。
彼かれは孤獨こどくの感かんに堪たえぬ、淋さびしく心細こゝろぼそくてならぬ。少年せうねん時代じだいに自分じぶんより强つよい奴やつ、脊せいの高たかい奴やつにぶつ付つかつて喧嘩けんくわをしてゐた頃ころは、身體からだ中ぢうに生命いのちが滿みちて、張合はりあひのある日ひを送おくつてゐたのだ。近松ちかまつや透谷とうこくの作さくを讀よんで泣なき、華々はな〴〵しいナポレヲンの生涯しやうがいに胸むねを躍をどらせた時分じぶんは、星ほしは優やさしい音樂をんがくを奏そうし、鳥とりは愛あいの歌うたでも讀よんでゐたのだ。しかし不幸ふかうにも世よが變かはつた。何なにが動機どうきか幾いくつの歲としにか、自分じぶんにも更さらに分わからぬが、星ほしも音樂おんがくを止やめ鳥とりも歌うたを止やめ、先祖せんぞ傳來でんらいの星冑ほしかぶとも白金しろかね作づくりの刀たちも、威光ゐくわうが失うせて、自分じぶんには古道具屋ふるだうぐやの賣物うりものと變かはらなくなつた。今いまから思おもふと、子供こどもの折をりによく自分じぶんに喧嘩けんくわを吹ふきかけた隣となりの鐵藏てつざうなんかゞ壞なつかしい。彼奴あいつのお蔭かげでどの位くらゐ元氣げんきよく力りきんでゐたことか。今いまの自分じぶんはどちらかと云いへば愛あいされて日ひを送おくつてゐる。箕浦みのうらも織田おだも桂田かつらだも、いやそれ計ばかりぢやない、桂田かつらだ夫人ふじんにも織田おだの妹いもとにも櫻木さくらぎのお雪ゆきにも愛あいせられてこそゐれ、さして嫌きらはれてはゐない。何處いづこにも鐵藏てつざうが居ゐないのだ。「愛あいせらるゝは幸さいはひなり、愛あいする者ものも幸さいはひなり」、聖人せいじんだの詩人しじんだのは勝手かつてな定義ていぎを云いつてやがる。少すくなくもおれにや適用てきよう出來できぬことだ。愛あいせられゝば愛あいせられる程ほど、自分じぶんには寂さびしくて力ちからが拔ぬけて孤獨こどくの感かんに堪たへぬ。いつそのこと、四方はうから自分じぶんを憎にくんで攻せめて來くれば、少すこしは張合はりあひが出來できて面白おもしろいが、撫なでられて舐なめられて、そして生命いのちのない生涯しやうがいそれが何なんにならう。「迫害はくがいされる者ものは幸さいはひなり」、ていふ此奴こいつは當あたつてる言葉ことばだ。苦くるしめられやうと泣なかされやうと、傷きずを受うけて倒たほれやうと、生命いのちに滿みちた生涯しやうがい。自分じぶんはそれが欲ほしいのだ。
健次けんじは立上たちあがるのも物憂ものうさうに、かう考かんがへてゐる中うちに、酒さけが醒さめて夜風よかぜが冷つめたくなつた。彼かれは主義しゆぎに醉よえず讀書どくしよに醉よえず、酒さけに醉よえず、女をんなに醉よえず、己をのれの才智さいちにも醉よえぬ身みを、獨ひとりで哀あはれに感かんじた。自分じぶんで自分じぶんの身みが不憫ふびんになつて睫毛まつげに一點てんの淚なみだを湛たゝへた。
靜しづかな風かぜが足許あしもとの落葉おちばを吹ふきころがし、樹上じゆじやうよりも二片ひら三片ひら頭あたまを掠かすめて飛とぶ。
巡査じゆんさが橫目よこめで健次けんじを見返みかへりながら、悠然いうぜんとして步あるいてゐる。
健次けんじは無意識むいしきにベンチを離はなれ、帽子ぼうしを被かぶり直なほして、暗闇くらやみの道みちを辿たどつて新坂しんざかへ出でた。
「結婚マリエーヂ?」と、思おもはず口くちへ出だしたが、その瞬間しゆんかん口元くちもとに皮肉ひにくな笑わらひを洩もらした。
「ノンセンス!、結婚けつこんして家庭かていを造つくる、開闢かいびやく以來いらい億萬人をくまんにんの人間にんげんが爲古しふるしたことだ。桂田かつらだの家庭かてい織田おだの家庭かてい、家庭かていの實例じつれいはもう見飽みあいてゐる」と胸むねの底そこから答こたへる。
(九)
翌日よくじつは日曜にちえうであれば、一家かは遲をそくまで眠ねむり、九時頃じごろに茶ちやの間まに揃そろつて朝食あさげの膳ぜんについた。近來きんらい健次けんじが家族かぞくと一緖しよに食事しよくじをするのは、殆ほとんど日曜にちえうの朝あさのみである。年齡としの割合わりあひに老人としよりめいてもゐないが髯ひげには白髮しらがの多おほく、上目葢うはまぶたのたるんでる父ちゝと、肉付にくつきのよく目めと口くちには品ひんのある姉娘あねむすめの千代ちよと、健次けんじによく似にて小柄こがらで愛嬌あいけうのある末娘すゑむすめの光みつとが健次けんじを挾はさんで坐すわり、母はゝは下女げぢよ兼帶けんたいで甲斐々々かひ〴〵しく立働たちはたらいてゐる。
父ちゝは出勤しゆつきん時刻じこくにせかれぬ爲ため、役所やくしよの話はなしなどをして、ゆる〳〵飯めしを食くらひ、皆みんなの顏かほを見みて、獨ひとりでほく〳〵喜よろこんでゐたが、もう膳ぜんを離はなれて煙草たばこを吸すひながら新聞しんぶんを讀よんでる健次けんじに向むかつて、
「何なにか面白おもしろいことがあるかい、何なんとか中將ちうじやうの姦通かんつう事件じけんはどうなつた」
「今日けふは何なにも出でてゐませんよ」
「どうも軍人ぐんじんが腐敗ふはいしちや困こまるな、武士道ぶしだうの精神せいしんが衰おとろへるとそんなことが出來できて來くるんさ、今いまの中うちに社會しやくわいに士氣しきを鼓吹こすゐしなければ、日本にほんの國家こくかも將來しやうらいが案あんじられるて」
と、父ちゝは鼻水はなみづを膝ひざに落おとして、「今いまぢや學校がくかう敎育けういくも柔弱にゆうじやくに傾かたむいてるからよくない、それに家庭かていで小ちいさい時分じぶんから武士ぶしの魂たましひを叩たゝき込こまんから、堅固けんごな人間にんげんが出來できないんだ、東京とうきやうでも今いまは素町人すちやうにんばかり跋扈ばつこするから、風儀ふうぎが紊みだれるのさ」と、口くちには慷慨こうがいめいたことを云いつたが、顏かほは如何いかにも呑氣のんきで、此これまで苦勞くらうを重かさねて來きた影かげは何處どこにもない。そして素町人すしやうにん呼よばはりはこの人ひとの口癖くちぐせで、自分じぶんでもそれが愉快ゆくわいでならぬと見みえる。
「素町人すちやうにんでも何なんでも早はやくお金持かねもちになることさ」と、母はゝは橫合よこあひから疳走かんばしつた聲こゑを發はつした。
「本當ほんたうだわ、お金かねがある方はうがいゝわ」と、お光みつは一も二もなく母はゝに加勢かせいする。
「せめて男爵だんしやくにでもなれるといゝけど、昔むかしは旗下はたもとだつて武士ぶしだつて詰つまらないわね」
と、姉娘あねむすめは眞面目まじめに感かんじた。で、暫しばらく父子おやこで、武士ぶしの魂たましひだの素町人すちやうにん根性こんじやうだのと言合いひあつて、果はては無邪氣むじやきに笑わらつた。
笑わらつてしまつて、膳ぜんが片付かたづくと、姉娘あねむすめは今迄いままで默だまつてゐた兄あにに向むかつて、
「兄にいさん、今日けふは上野うへので音樂會おんがくゝわいがあつて、ソロの上手じやうづな西洋人せいやうじんが出でるんですつてね、新聞しんぶんにや出でてゐなくつて」
「さうだね、出でてるかも知しれんよ」
「兄にいさんも聞ききに被入いらつしやいな、屹度きつと面白おもしろいわ」
「私わたしも行いきたいと云いふんだらう、兄にいさんにお構かまひなしで一人ひとりで何處どこへでもお出いでなさい」
「そりや一人ひとりだつていゝけど、…………」
「切符きつぷを買かつて吳くれだらう、そりや眞平まつぴら御免ごめんだ」
「酷ひどいわ兄にいさんは、自分じぶん一人ひとりで勝手かつてに遊あそんでゝ、何なに一ひとつ私わたしの賴たのみを聞きいて吳くれたことはないんだもの」
「本當ほんたうだわ、ねえ姉ねえさん」と、妹娘いもとも相槌あひづちを打うつ。
「織田おださんとこの兄にいさんはそりや、妹いもと思おもひよ、平生ふだんだつて何なんだの彼かだのと世話せわを燒やいて、お花見はなみにでも音樂會おんがくくわいにでも、屹度きつと連つれて行いくんだわ。だから幾いくら兄にいさんが學問がくもんが出來できたつて、人間にんげんとして織田おださんの方はうがえらいのね」
「チエツ、生意氣なまいき云いつてらあ」と、健次けんじは橫よこを向むいて、今日けふは如何いかにして暮くらすべきかと考かんがへてゐる。
「兄にいさんは何故なぜ音樂おんがくが嫌きらひなんだらう、文學士ぶんがくしの方かたは皆みな音樂おんがくや芝居しばゐが好すきだのに兄にいさんばかりは、ちつとも趣味しゆみがないのね、音樂おんがくぐらゐ硏究けんきうなさればいゝのに」
「だからお前まへは箕浦みのうらの女房にようぼにでもなつて、年中ねんぢうキユー〳〵ピン〳〵騷さわげばいゝ、彼奴あいつとお前まへとはよく似合にあつてらあ、おれはもうお前まへのぺちや〳〵音樂おんがくだけでうんざり﹅﹅﹅﹅してゐる」
姉娘あねは少すこし頰ほゝを赤あかくして橫よこを向むいて、口くちを噤つぐんだ。
父ちゝは健次けんじの卷煙草まきたばこを取とつて火ひをつけ、二人ふたりの話はなしを面白おもしろさうに聞きいて、微笑々々にこ〳〵してゐたが、二人ふたりが默だまつてしまうと、
「どうもおれには分わからない、學問がくもんをした男をとこが、音曲おんぎよくに夢中むちうになるなんて餘程よほど變へんだ、健次けんじにはおれが昔むかしから武士ぶしの精神せいしんを敎をしへ込こんでるから、そんな柔弱にうじやくな氣風きふうに染そまないんだらう」と、自分じぶんで首肯うなづいてゐる。
「そんな武士ぶしの精神せいしんなんか下くだらないわ、お父とつさんは何なんぞといふと兄にいさんの贔負ひいきばかりして厭いやになつちまう」
「はゝゝゝ、そんな事ことを云いふ者ものぢやない。兄にいさんは菅沼家すがぬまけには大事だいじな寶たからだ、うんと勉强べんきやうして立派りつぱな人間にんげんになつて貰もらはにや、おれが御先祖ごせんぞに申譯まをしわけがないぢやないか、だから傍はたから邪魔じやまをしないで、思おもふ存分ぞんぶんにやらせなくちや…………今いまの間うち貧乏びんぼふがつらからうと、それが何なんだ、貧乏びんぼふを苦くにして見苦みぐるしい根性こんじやうになるのは、それが素町人すちやうにんだ。度々たび〳〵話はなして聞きかせたが、菅沼家すがぬまけは代々だい〴〵高潔かうけつな考かんがへを以もつて忠孝ちうかうと武勇ぶゆうを勵はげんだ家柄いへがらで、系圖けいづに少すこしの疵きずもないんだ。だから健次けんじもよく心得こゝろえて、名譽めいよを世界せかいに傳つたへるやうにせねばならん」