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何處へ

Chapter 14: (十一)
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About This Book

A collection of short narratives observing everyday life with quiet irony and psychological acuity. Episodes range from rainy nocturnal street encounters and modest restaurant interiors to household caretaking, money worries, and spirited conversations, with emphasis on conversational detail and inward reflection. Recurring concerns include youth and aging, social manners, and the small compromises that shape relationships, while moments of wry humour alternate with sombre introspection. The pieces favor closely drawn scenes and social observation over extended plot, offering compact studies of character and mood.

れはうつしてみち左右さいうた。夕日ゆうひ電信柱でんしんばしらかげ金物屋かなものやかべいんしてゐる。かべすみには薄墨うすゞみで「法樂はふらく加持かぢ」といた大福寺だいふくじ廣吿くわうこくりつけられ、その片端かたはしげかゝりふら〳〵﹅﹅﹅﹅うごいてゐる。牛乳ぎうにう配逹はいたつ點燈夫てんとうふとが前後ぜんごしてはしつてるあとから、しろ帽子ぼうしいたゞすそひろ黑衣こくいけ、こしなが珠數じゆずれた天主敎てんしゆけうあま二人ふたりくち側見わきみもせず、くつつちまぬがごとく、閑雅しとやかおとをもてずあゆんでる。ふかんだそら煙突えんとつ黑煙こくえん搔亂かきみだし、そのそばを一れつとり橫切よこぎつた。晝間ひるまあたゝかさもきふうすらいで、健次けんじ肌寒はださむかんじた。

れはあしこゝろつからせて、かくうちかへつた。いもと他所行よそゆき大切たいせつ紋羽二重もんはぶたへ羽織はおりたまゝ、ちやのランプを點火つけてゐた。

「あら、にいさんおかへり、わたしいまかへつたところよ」と、マツチを火鉢ひばちてゝ、艶艶つやつやしいかほせた。

織田おだなにをしてた」

勉强べんきやうしてるわ、でね、おかねわたすと、なんだかきまわるさうに受取うけとつて、にいさんにおれいつてたわ」

「さうか」と、健次けんじ所在しよざいなさに、火鉢ひばちまへ片膝かたひざてゝすわり、火箸ひばしをいぢつてる。いもとはそのそば羽織はおりいでたゝみながら、ちよい〳〵あにかほ見上みあげては、

織田おださんは二三にちうちにいさんにひたいとつてましたよ、是非ぜひはなしめることがあるんだつてね、にいさんもつてるでせう、どんなはなしだか、わたし織田おださんの言振いひぶりで荒方あらかた推察すゐさつしてるけど。」

「さうか」と、健次けんじめぬふうなので、いもとはわざと調戯からかで、

てゝませうか、屹度きつとあのことだわ」と莞爾につこりした。

「あのことつてつるさんの緣談えんだんだらう」と健次けんじ小憎こにくらしいほど平氣へいきなので、いもとは、

にいさんはよく御存ごぞんじね、同意どういするんでせう、にいさんも、」

「どうかねえ」

「どうかねえつて、それでいゝぢやありませんか、ことわたしにいさんにはなしがあつてよ」とひかけたところへ、はゝ勝手かつてからはいつてたのでくちつぐみ、羽織はおり簞笥たんすおさめた。

「さあ御飯ごはんだ〳〵」と、はゝ膳立ぜんだてして、しるのこぼれてるなべ火鉢ひばちけた。

健次けんじは「まだめししくない」とつて、自分じぶん居室ゐまはいると、いもとうしろからけてて、ランプを點火つけた。平生ふだん親切しんせつ煙草盆たばこぼんまで掃除さうじしてつてた。

で、健次けんじつくゑひぢいて煙草たばこかし、相手あひてにするふうはないのに、そのそばすわり、

「でね、にいさん」とくちる。「いまはなしにいさんもかんがへてるんでせう、どうなさるの」

なんだい織田おだことか、それをいてなんにする」と、健次けんじ不審ふしんさうにいもとかほかへりみた。

なにつてことはないけど」と、はづして「わたし今日けふ織田おださんからも、おつるさんからもいろんなこといたのよ」

なにを?」

織田おださんのはうぢや、もうちやんと一人ひとりめてるんだわ、それにむかうでは、にいさんもうちのおつかさんもおとつさんも、屹度きつと承知しやうちすることゝおもつてるらしいのよ、おつるさんもにいさんからいたのか、今日けふ樣子やうすかはつてるし、明日あす稽古けいこわたしうちいらつしやいとつても、何時いつたがるくせいやだつてふんですもの、」

「おい、くだらないはなしせ、」

と、つくゑむかつて、經濟書けいざいしよひらいて、ぼんやりんでゐたが、いもとそばすわつてゐて、

「だつてにいさんもはや結婚けつこんなすつたはうがいゝでせう、うちためからつても、にいさんのきまつて、おとつさんの責任せきにんかるくしなくつちや仕樣しやうがないですもの、それが一ばん孝行かう〳〵だとおもふわ、それにおつるさんは一主婦しゆふとして缺點けつてんがないんだから、わたしからもにいさんにすゝめたいくらゐよ」

「おまへどうかしたのか、ひど今日けふ眞面目まじめくさつたことならべるね」と、健次けんじわらつて、「おまへはよくおつるさんの惡口あくこうつて、あれぢやうちてないなんてつてたぢやないか、きふ變節へんせつしたね、御馳走ごちそうにでもなつたんかい」

「あらひどいわ、わたし織田おださんとこでちつとも御馳走ごちそうなんかになりやしないわ」

「でも御馳走ごちそうになつた顏付かほつきをしてるぢやないか。箕浦みのうらうちへもつたのか」

「えゝ」といもと曖昧あいまい返事へんじをする。

「おつるさんと二人ふたり朗讀らうどくでもしてさわいだのか」

「えゝ、にいさんによろしくとつてたわ」

「おつるさんと一しよくと、あのをとこ優待いうたいするだらう」

と、健次けんじ何氣なにげなくつたが、いもとみゝにはそれがするどひゞいて、きふかんがんだ。健次けんじ箕浦みのうらから屢屢しば〴〵戀愛論れんあいろんかされたのだが、先日せんじつある雜誌ざつしつたれの叙情的じよじやうてき美文びぶんんだとき、それがかれ自身じしんこといてるので、相手あひて織田おだいもとだと感付かんづいた。そして自分じぶんいもとひそかに箕浦みのうらおもつてるのが可笑おかしくもあり、可愛かあいさうでもあつた。しかしそれをいもとらせるでもなかつたのだ。で、

學校がくかう懇親會こんしんくわい何日いつあるんだ」と、きたくもないことを、わざとやさしいこゑうた。いもとろくこたへもせず、しばらくしてかぬかほげて、

にいさんは結婚けつこんするぢやないんですか」と、さもいもとうへにも重要ぢうえう問題もんだいででもあるごとかんじてゐる。

「おまへはおれを織田おだいもと結婚けつこんさせたいのか、それがなにかおまへ利益りゑきになるんか、へんだね」と、健次けんじはお轉婆てんばいもと生眞面目きまじめ態度たいどあやしんだ。

わたし利益りゑきなんてひどいわ、にいさんのためおもつてるからいててるのに」と、たもとさきをひねくつて言葉ことばもはき〳〵しない。

有難ありがたう、しかしおれは近々きん〳〵下宿屋げしゆくやへでもつちまうんだ」

本當ほんたうに?」と、いもとまるくして「何故なぜ下宿屋げしゆくやなんかへ」

何故なぜでもないさ、もうお前方まへがたのお喋舌しやべり聞飽きゝあいたから、」

いもとあに氣心きごゝろ知兼しりかねて、たゞへんひとだわ、おつるさんをいてやしないのからん、それとも表面うはべばかりあんなにましてるのではなからうか」とおもつてゐたが末娘すゑむすめのおみつが「ねいさん、はや被入いらつしやい、御飯ごはんだよ」と、けてて、引張ひつぱつてちやつた。

(十一)

四五にちはかくてぎた。ますと、屋根やねにはしもいて朝日あさひがキラ〳〵とつてることもある、くもひくれてることもある。培養ばいやうせぬきくむしはれて自然しぜんしほれてく。父子ふし前後ぜんごして出勤しゆつきんする。健次けんじ每日まいにちおなじやうなことをかんがへて、一にち仕事しごとませてかへると、あひへんらずはゝやつれたかほをしてつてゐる。一にはなん波瀾はらんもない。はゝ年中ねんぢう廢屋あばらやくすぶつてゐるのだから、たま戶外そとるか、かはつたひとたづねてると、たりいたりしたなんでもないことを、物珍ものめづらしさうに誇張こちやうしてはずがたりをするのをたのしみにしてゐる。いもと千代ちよおもしては朗讀らうどく稽古けいこをしてゐるが、平生ふだんほどお喋舌しやべりもせず、多少たせうふさいでるふうえる。織田おだいそがしいので手紙てがみおくつたきりたづねてない。先月せんげつから赤痢せきり流行りうかうして、根岸ねぎし近傍きんばうにも大分だいぶ患者くわんじやがあるやうだが、菅沼すがぬまの一數年すうねんらい風邪ふうじや以上いじやう病人びやうにんはない。で、ちゝ家族かぞくみな健全けんぜん目出度めでたい々々々と一人ひとりよろこんで、自分じぶんすこ風邪氣かぜけがあらうと腹加減はらかげんがよくなからうと、痩我慢やせがまんして出勤しゆつきんしてゐる。しかし今度こんどさむあたりは我慢がまんれなかつたとえ、或日あるひ役所やくしよ早退はやびけにしてかへり、おきまりの晚酌ばんしやくして、行火あんかへもぐりんでしまつた。

健次けんじちゝかはりに海苔のりさかなに一ぽんガブみにして、書齋しよさいはいつたが、るにははやし、ランプとにらめつくらをしてゐた。すると、そのあさ桂田かつらだ夫人ふじんふで晚餐會ばんさんくわい招待せうたいのハガキのたことから、桂田かつらだりた「東西とうざい倫理りんり思潮してう」を、本箱ほんばこうへいたまゝにもらず、談話だんわ筆記ひつきくのもわすれてゐたことをおもし、それを取出とりだしてび〳〵にみかけた。

西風にしかぜがカタ〳〵と雨戶あまどあたり、隣家となりかきおとかすかにきこえる。ちゝ時々とき〴〵呻吟うめいてゐる。

次第しだい健次けんじ書物しよもつはなれ、するど神經しんけいかぜおとちゝ呻吟うめきとにわづらはされ、火鉢ひばち俯首うつむいてまゆひそめ、煙草たばこ吸口すゐくちんでゐると、かどがそつといた。それが木枯こがらしで自然しぜんいたやうで、健次けんじおもはず薄氣味うすきみわるかんじた。しのびやかに敷石しきいしおとがする。れかがたらしく、やがてひくこゑはゝとの話聲はなしごゑがする。

「あゝ織田おだだな」と、健次けんじはなじまひとたづねたごとく、救助きうじよふねでもごとのぞみをけてつてゐた。

しばらくして織田おだは「ヤア」と、れい頓間とんまこゑをしてはいつてて、火鉢ひばちへだてゝすわつた。新調しんてうおもはれる綿入わたいれて、ひげつて、かみ奇麗きれいけ、愉快ゆくわいさうな顏付かほつきをしてゐる。

非常ひじやうおそたね」

おそくなくちやきみがゐないかとおもつて、」と、織田おだめづらしく敷島しきしまたもとからしてけ、

ぼく今日けふ非常ひじやう愉快ゆくわいだ」

愉快ゆくわいだつて、きみからそんな言葉ことばくのは不思議ふしぎだ、親爺おやぢ病氣びやうきでもよくなつたのか」

「いや、親爺おやぢかはらないがね、今日けふぼく桂田かつらださんの紹介せうかい新職業しんしよくげふありついたんだ、神田かんだ本屋ほんや辭書じしよ編纂へんさんだが、報酬ほうしう非常ひじやうにいゝんだよ」

「さうか、面倒めんだうくさいや仕事しごとだね、辛抱しんばう出來できるかい」

面倒めんだうくさいなんてつたにや、いゝ仕事しごとはありやしないぜ、報酬ほうしうさへよけりや、ぼくなんでもやる、それにねきみぼく長編ちやうへん昨日きのふやくしてしまつたよ、あのかねはいると、借金しやくきんのこらずはらへるし、醫者ゐしやはう奇麗きれい片付かたづくから一安心あんしんだ、きみにも一ぱいおごらあ」