(二)
彼かれは小學校せうがくかうも二年ねんで止やめた。繪畫くわいぐわの敎育けういくなど更さらに受うけたことがない。しかし何時いつの間まにか獨ひとりで工夫くふうして書かき出だした。少ちいさい時ときから棒切ぼうつきれで地上ちじやうに描かいたり、消墨けしずみで板いたに描かいたりした。草紙さうしへも碌ろくに手習てならひはせず、虎とらや人形にんぎやうを書かいてゐた。十三歲さいの初夏しよか、大酒おほざけ呑のみの父ちゝが、麥刈むぎかり最中さいちうに發狂はつきやうしてから、詮方せんかたなく自分じぶんも日雇稼ひやうかせぎをして、一家かの活計くらしを助たすけたが、チビ松まつと綽名あだなを付つけられる位くらゐ、身體からだが小ちいさくて弱よわいため、人並ひとなみの仕事しごとは出來できず、一日にち鍬くわを持もつと關節ふし〴〵が挫くぢけるやうであつた。と云いつて一日にち惰なまければ、一日にち食くはずにゐねばならぬ。狹せまい田舎ゐなかだから、力業ちからわざをしなければ外ほかに糊口くちすぎの道みちもない。泣ないても叫さけんでも一生しやう野良のら仕事しごとをして、鍬くわと心中しんぢうする覺悟かくごを定きめねばならなかつた。所ところが或ある正月しやうぐわつ豐年ほうねん祝いはひとして、若わかい衆しうが勸進元くわんじんもとで村むら芝居しばゐを催もよほすことゝなり、寄よつて集たかつて衣裳いしやうや小道具こだうぐを借かり集あつめ、出だし物ものも千本櫻せんぼんざくらに阿波鳴門あはのなるとと定きまつたが、困こまるのは書割かきわりだ。無なくても濟すむが、凝こり性しやうの連中れんぢうは、夫それ迄まで大趣向だいしゆこうを廻めぐらし、どえらい﹅﹅﹅﹅物ものを拵こしらへて播州ばんしうあたりの本職ほんしよくの役者やくしやをも驚おどろかしてやらうと云いひ出だした。で、村中むらぢうで繪心ゑごゝろのある者ものを捜さがして、間まに合あはせに描かかすことゝなり、評定ひやうでうの結果けつくわ吉松きちまつが命めいを受うけた。古老こらうの指圖さしづで、木綿もめんの白布しろぬのや、數枚すうまい繼合つぎあはせた繪畫くわいぐわ用紙ようしに、鳥居とりゐに玉垣たまがき、椎しいの木きなどを描かいた。それが思おもひの外ほかの出來でき榮ばえなので、急きふに彼かれの畫才ぐわさいが一村そんの漁夫れうふや百姓しやうに認みとめられ、次第しだいに隣村りんそんにも知しられるやうになつた。この界隈かいわいの五月ぐわつ幟のぼり、漁夫れうしの崇あがめる惠比壽ゑびす大黑だいこくの掛物かけものは皆みな彼かれの筆ふでを煩わづらはすのである。
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彼かれは依賴者いらいしやにかの布繪ぬのゑを渡わたして、五六十錢せんのお禮れいを貰もらひ、それから磯傳いそづたひに二三軒げん未納者みなうしやを訪たづねたが、何いづれも氣持きもちよく拂はらつて吳くれる。
「吉きちヤ汝われや每歲まいとし繪ゑが上手じやうずになるぜ」「今歲ことしの淸正きよまさはどえらい﹅﹅﹅﹅元氣げんきがえゝ、厄病神やくびやうがみも逃にげてしまう」と、行ゆく先々さき〴〵で褒ほめて吳くれる。で、吉松きちまつは袂たもとの中なかに錢ぜにの音おとをさせ、大得意だいとくいで心こゝろは急せいても、わざとゆつくり﹅﹅﹅﹅步あるいて、お竹たけを捜さがしに行ゆきかけた。日ひは山やまの端は近ちかくなり、潮しほも退ひきかけ、半なかば海うみへ突出つきでた駄菓子屋だぐわしやの支柱つゝかいぼうは、濡ぬれたまゝ根本ねもとを露あらはしてゐる。店前みせさきには多數たすうの若わか漁夫れうしが陣取ぢんどり、粟あわおこし﹅﹅﹅やら大福餅だいふくもちやら、てんでに攫つかんでは食くひ、大聲おほごゑで笑わらつたり叫さけんだりしてゐる。彼等かれらの話題わだいに上のぼる者ものは、大抵たいていは喧嘩けんくわか女をんな、或あるひは賭博ばくち、しかも四邊あたりかまはず露骨ろこつな言葉ことばで持切もちきりだ。たま〳〵澁皮しぶかはの剝むけた若わかい女をんなでも通とほれば、戯ふざけた口くちを利きいて、大勢おほぜいでどつと囃はやし立たてるは愚おろか、惡わるくすると道みち邪魔じやまをして罪つみな諧戯からかひを始はじめることもある。又また中なかには諧戯からかはれたがつて、自分じぶんで押おしかけ、簪かんざし位ぐらゐ奢おごらせてやらうと云いふ女をんなもある。漁夫れうしの休日きうじつにはこの駄菓子屋だぐわしやが倶樂部くらぶになつて、時ときには賭博宿ばくちやども兼かねるのだ。
吉松きちまつは何氣なにげなくこの店先みせさきを通とほりかゝり、ふと氣きが付ついて見みると、意地いぢの惡わるい奴等やつらが揃そろつてゐる。牙齒きばの龜かめもゐる、備前びぜん德利とくりの米よねもゐる。ダニの虎とら、猪首ゐくびの鶴つる、村むらを騷さわがす連中れんぢうが皆みな久振ひさしぶりで歸かへつてゐる。惡わるい所ところへ來合きあはせた。あれ等らに掛かゝり合あつちや碌ろくな事ことはないと、知しらん顏かほで行過ゆきすぎやうとすると、鶴つるが素早すばやく見みつけて「吉公きちこうぢやないか、まあ寄よれいよ」と呼留よびとめた。吉松きちまつは仕方しかたなしに振向ふりむいて、「今日けふ用ようが殘のこつとるから遊あすんぢや居をれん」と、一寸ちよつとお世辭せじ笑わらひをして行ゆかうとしたが、「まあそないに云はずに寄よれと云いうたら寄よれいよ」と云いふと共ともに、龜かめは駈かけ出でて、兩手りやうてを開ひらいて道みちを防ふさいだ。
「今日けふは堪こらへて吳くれ」と吉松きちまつは情なさけない聲こゑで云いつて、くゞり拔ぬけやうとしたが、龜かめは肩かたを攫つかまへて離はなさない。
「さうら逃にげるなら逃にげて見みい、鳴門なるとの海うみを漕こぎ切きつた腕うでぢや」
吉松きちまつは鷹たかに攫つかまつた小雀こすゞめ、爭あらそふも無駄むだだから、そのまゝ小ちいさくなつて店みせへ引摺ひきずり込こまれた。袂たもとの銀貨ぎんくわがヂヤラ〳〵音おとを立たてる。
「汝われも澤山たんと錢ぜにを持もつてけつかるな」と、龜かめは吉松きちまつの袂たもとを握にぎつて重味おもみを量はかり、牙齒きばを剝むき出だして笑わらふ。
「汝われに聞きくことがあるから、まあ坐すわれい」と、年長としかさの虎とらは後退あとずさりして席せきを空あけて、吉松きちまつを坐すわらせ、「吉公きちこうは何時いつ見みても白瓜しろうりのやうな顏かほしとる、何處どこか工合ぐあひが惡わるいんか、大事だいじにせえよ、汝われが煩わづらうと、家うちの者ものあ乞食こじきせねや饑かつえ死じにぢや」と柔やさしく云いつたが、吉松きちまつは厭いやな氣きがした。自分じぶんが死しねば母はゝと妹いもととは乞食こぢきをするのは分わかつてゐる。それに母はゝは乞食こぢきを恥はぢとするやうな人ひとぢやない。で、彼かれは魔まがさしたやうに自分じぶんの死後しごを思おもつて、鬱ふさぎ込こんで默だまつてゐると、米よねは鼻はなに皺しわを寄よせてヒツ〳〵と笑わら《わら》つて、
「思案しあん投首なげくびで何なにをしとる、衒妻げんさいの事ことでも考かんがへとるか、汝われやお竹たけと夫婦めをと約束やくそくしたちうぢやないか、」
「汝われも中々なか〳〵惡わるさをするのう、私等わしらが一寸ちよつと漁れうに出でて村むらに居をらん間まに、こつそり女子をなごを拵こしらへるたあ、汝われもえらいぞ、祝いはひに酒さけでも奢おごらんか、その袂たもとの錢ぜにで」
と、皆みんなで面白おもしろさうに色いろんな事ことを云いつて、冷ひやかしては笑わらひ、笑わらつては冷ひやかす、吉松きちまつは我知われしらず袂たもとを握にぎり締しめ、
「虛言うそぢや〳〵、そがいな事ことがあるもんか」と、狼狽あはてゝ云いつて、顏かほを少すこし赤あかくした。
「隱かくさんでもえゝわ、ぢやけど汝われもお竹たけだけは諦あきらめい、あの女子をなごはな、ちやんと主ぬしが定きまつとるんぢやぞ」と、虎とらは毛脛けずねを出だして胡座あぐらを搔かき、澄すました顏かほで煙草たばこを吸すつてゐる。
吉松きちまつは一座ざを見廻みまわして、最後さいごに目めを丸まるくして、虎とらの顏かほを見詰みつめた。
「お竹たけにやちやんと主ぬしがある」と、虎とらは繰返くりかへして、「汝われやまだ知しるまいが、彼女あれは源兄げんあにの者ものに定きまつとるんぢや、源兄げんあにが去年きょねん土佐とさへ行ゆく時とき、お竹たけは己おらが嫁よめにする、五月ぐわつの節句せつくに歸かへるまで、彼女あれに手てでも觸さはつて見みい、承知しやうちせんぞと、私等わしらに云いひ付つけたんぢや、汝われも氣きを付つけい、うつかり﹅﹅﹅﹅してお竹たけの惚氣のろけでもぬかす﹅﹅﹅と源兄げんあにに首くびつ玉たまあ捻ねぢ切きられるぞ。」
その様子やうすが萬更まんざら戯言じやうだんでもなささうなので、吉松きちまつは眞靑まつさをになつて震ふるえた。頭あたまを奇麗きれいに刈込かりこんだ新客しんきやくが入はいつて來きて、漁れうの話はなしを仕掛しかけ、虎とらの仲間なかまは最早もはや吉松きちまつを相手あひてにしなくなつた。鶴つるは何時いつの間まにか大だいの字じに寢ねて鼾いびきをかいてゐる。
吉松きちまつはこそ〳〵と外そとへ出でた。もう二月ふたつきも手入ていれをせぬ髮かみは小ちいさい耳朶みゝたぼを蔽おほひ隱かくし、細こまかい棒縞ぼうじまの單衣ひとへは華はなやかな夕陽ゆふひに照てりつけられ、繪具ゑのぐの名殘なごりが黑くろく靑あをく光ひかつてゐる。虎とらの威嚇おどし文句もんくがまだ耳元みゝもとで鳴なつてるやうで、彼かれの魂たましひはくら〳〵して身みに添そはぬ。源げんと云いへば駐在所ちうざいしよの巡査じゆんさも恐おそれて手出てだしをせぬ程ほどの暴あばれ者もの。腕力うでぢからが强つよくて三人前にんまへの仕事しごともする代かはり、癇かんに觸さはると、出刃でば庖丁ぼうちやうを振ふり翳かざすのが評判ひやうばんの癖くせだ。十五六で魚賣さかなうりをしてる時分じぶんから、魚源うをげん命知いのちしらずと、饅頭笠まんぢうがさに書かいて隣村となりむらへも名なの通とほつてる男をとこだ。虎とらでも龜かめでも源げんにや道みちを避よけて諂言おべつかの一ひとつも云いふ。彼かれに見込みこまれちや、厄病神やくびやうがみに取付とつゝかれたやうなもの。何なんだつて私わしやお竹たけなんか思おもつたことか。
彼かれは源げんが下駄げたで旅商人たびあきんどを滅多打めつたうちにしたこと。大酒おほざけ飮のんで素裸すつぱだかで村長そんちやうの家うちへ怒鳴どなり込こんだことなど思おもひ出だしてぞつ﹅﹅とした。お竹たけを呼出よびだす計畵もくろみなんか頭あたまの中なかから消きえてしまひ、只たゞ源げんの顏かほばかり目めに浮うかぶ。何故なぜ源げんの船ふねが土佐沖とさおきで沈沒ちんぼつしなかつたんだらう。何故なぜ鳴戶なるとの渦うづに捲まき込こまれなかつたのだらう。何故なぜ私わしを庇かばつて吳くれた人ひとのいゝ芝居しばゐ好ずきの作藏さくざう爺ぢいが早はやく死しんで、源げんのやうな奴やつは虎烈剌これらにも罹かゝらぬのだらう。
吉松きちまつは神社じんじやの方はうへ向むかつて石いしころ道みちを辿たどつた。道みちの左右さいうには貝殻かいがらの塚つかが所々ところ〴〵に築きづかれ、真紅しんくの石榴ざくろの花はなが白壁しらかべの側そばに咲さいてる。彼かれは夢心地ゆめごゝちでそれを見みてゐたが、太皷たいこの音おとや鈴すゞの音おとがます〳〵賑にぎやかに聞きこえる。子供こども等らは祭まつりででもあるやうに、群むれをなして玉垣たまがきの前まへを飛とんだり跳はねたりしてゐる。
驚おどろいて見みると、初野はつのは眞向まむかひに立たつてキヨロ〳〵してゐる。鹽しほたれた單衣ひとへを赤あかい扱帶しごきで締しめ、埃ほこりに染そめる白茶しらちやけた髮かみを藁わらで茶筅ちやせんのやうに結むすび、顏かほから首くびへかけて垢あかで塗ぬられてゐる。
「兄ああよ、お前まへ時ときさんに會あはなんだか」と、尙なほ前後ぜんごを見廻みまはす。
「會あふもんか、汝われももう家うちへ戾もどれ、お母かあが柏餅かしはもちを拵こしらへて待まつとるから」と、吉松きちまつが手てを執とると、
「柏餅かしはもちか」と云いつて笑わらつたが、又また身みを藻搔もがいて手てを振放ふりはなし、