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Chapter 32: (四)
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About This Book

A collection of short narratives observing everyday life with quiet irony and psychological acuity. Episodes range from rainy nocturnal street encounters and modest restaurant interiors to household caretaking, money worries, and spirited conversations, with emphasis on conversational detail and inward reflection. Recurring concerns include youth and aging, social manners, and the small compromises that shape relationships, while moments of wry humour alternate with sombre introspection. The pieces favor closely drawn scenes and social observation over extended plot, offering compact studies of character and mood.

わたし面倒めんだうくさ世態話しよたいばなし大嫌だいきらひな性分しやうぶん御座ございましてね、わかかたと一しよになつて、つみのないおはなしをするのが一ばん面白おもしろいんで御座ございますよ、ですからどうか度々たび〳〵らつしてくださいましな、此頃このごろ主人あるじ留守るすだし、小人數こにんず本當ほんたうさびしくてね、退屈たいくつで〳〵こまつてるので御座ございますよ」と白玉しらたまをコツプにつて、砂糖さとうをぶつかけてれた。妻君さいくんせてした小皺こじはがあるが、顏立かほだちむすめによくてゐる。むすめ岐阜ぎふ提灯ぢやうちん點火ともしてのきるし、はゝそばすわつた。太郞たらう緣側えんがは白玉しらたま頰張ほゝばりながら、靑白あをじろ子息こどもと、蟲籠むしかごもてあそんでゐる。

今夜こんやはいゝお月樣つきさまだ」と、妻君さいくん仰視あふむいてそら見上みあげた。

わたしはこんなばんにはあはれな音樂おんがくきたくなります」と細野ほそのつた。

音樂おんがくがおきなの、では此女これがもつと上手じやうずだとおかせまをすんですけれど」

ことがお上手じやうずだつてふぢやありませんか、きかせていたゞくといゝんだが」

「だつてしばらくお稽古けいこめてますから」とむすめひくこゑつて、すましてゐる。細野ほその自分じぶんいてもとむる勇氣ゆうきはない。

細野ほそのくん新體詩しんたいし朗讀らうどく上手じやうずです、まつた音樂おんがくてきです」と自分じぶん座興ざきようすやうにと差出口さしでぐちいた。

「おやさう、是非ぜひきかせてくださいましな」と、妻君さいくんうながすので、細野ほそのはじ一寸ちよつと辭退じたいしたが、つひ中音ちうおんで「天使エンゼルうた」をぎんじた。こんな場合ばあひ細野ほその性質せいしつとしてべつ氣取きどりもせず羞耻はにかみもせぬから、如何いかにもこゑ自然しぜんうたぶり面白おもしろかつた。妻君さいくんくちきはめてめ、むすめ莞爾につこりして「いゝこゑだわねえ」とはゝつた。

槇田まきださんもなにかくげいがおありなさるでせう」と、妻君さいくん自分じぶんはうる。

「いえぼく駄目だめです、詩吟しぎんぐらゐだから」と自分じぶん氣乗きのりもしなかつたが、あまりにめられるので、詮方せんかたなく簡短かんたん漢詩かんし怒鳴どなつたが、あまり感心かんしんはされなかつたらしい。それから太郞たらう軍歌ぐんかがあつて、たがひに打解うちとけてると、妻君さいくんはトランプでもとしたが、自分じぶん後日ごじつして宿やどかへつた。

これからつゝみ家族かぞく懇意こんいになり、二三たづねてもき、そのたびごと妻君さいくん機嫌きげんよくむかへてれるが、むすめ何時いつ口數くちかずすくなく、ツンとした態度たいどつてゐる。自分じぶん東京とうきやうわかをんなまつた知邊しるべのないためか、これにたいしては一しゆおそれをかんじてり、ことつゝみむすめ神々かう〴〵しいやうで、あまりれ〳〵しく言葉ことばけると、無禮ぶれいとがめられはせぬかとおもつた。で、たまたま「欝陶うつとうしいお天氣てんきですこと」とか、「どちらへ御散步ごさんぽいらつしやつたの」とか、なんでもない挨拶あいさつをされただけで、非常ひじやう愉快ゆくわいかんじてゐた。

何故なぜあのをんなはあゝコールドなんだらう」と細野ほそのふと、細野ほそのは、

肉感にくかんとぼしいからだらう、純潔じゆんけつをんなひやゝかにえるんだ、しかしあれでこひかんじやうなら、かほ生命いのちあらはれて溫味あたゝかみびてるよ」と鹿爪しかつめらしくく。

「さうかもれん、しかしあのをんなはまだこひかんじたことがないんだらうか。」

いとも、こひしたこひしないとは、ちやんと區別くべつがある。」

「さうかね」と、自分じぶんは一も二もなく同意どういして、たゞそのこひするたいとおもつた。しかし自分じぶんがこの二かいで、やはらかい空想くうさうつゝまれながら、矢鱈やたら勉强べんきやうする平和へいわ時代じだいながくはつゞかなかつたのである。

(四)

或日あるひ同鄉どうきやう友人いうじん葛原くづはら勇吉ゆうきちたづねてて、さかんにこの宿やどめ、「ぼくすこ勉强べんきやうしたいから、しづかなうちうつりたい、此家こゝにはいてれんだらうか」とつたが、自分じぶんはこのをとこ騷々さう〴〵しいのをきらつてゐたから、「ほか部屋へやもないやうだし、人出ひとでがないから大勢おほぜいめるわけかんだらう」とあきらめさせた。すると葛原くづはら階下したりて、二三十ぷんかん女主人かみさんはなしてたが、どうきつけたのか、太郞たらう勉强べんきやう部屋べやかりることにめたさうだ。口先くちさきのうまため女主人かみさんいやへなかつたのであらう。

あんとほりこのをとこてからは、一空氣くうきちがつてしまう、自分じぶん細野ほそのとは三食事しよくじとき女主人かみさんはなしをするのみで、はしくと直樣すぐさまかいあがるのだが、葛原くづはら煙草たばこうて一時間じかんはなみ、時々とき〴〵太郞たらう將來しやうらいについても親切しんせつさうに相談さうだん對手あひてになつてやる。我々われ〳〵とはちがひ、快活くわいくわつ調子てうしのいゝ洒落しやれうまをとこだから、二三にちうちに、すつかり女主人かみさんつた。自分じぶん勉强べんきやう身持みもちがよいとめられてもかれはしない。葛原くづはら午寢ひるねをしやうと、夜深よふかしをしやうと、人間にんげん面白おもしろくて、さびしいいへにぎやかにするのだからかれないわけがない。土曜日どえうびばんには屹度きつとぽんつけさせ、微醉ほろゑひ落語らくご眞似まねをしたり、色話いろばなしをする。細野ほその夕陽美せきやうび講釋かうしやくや、新體詩しんたいし說明せつめいよりは、どんなに面白おもしろく、女主人かみさんみゝひゞいたであらう。或晚あるばん葛原くづはら自分じぶんまへいて一ぽんたひげて、さらに一がふだけを强請ねだり、くぼんだふちあかくし、とがつたあご突出つきだし、

「だつておつかさん、ぼくなんかさけでもまなけりやつまらないさ、こんな御面相ごめんさうで、情婦いろ一人ひとり出來できるんじやなしさ。」

いまからおさけなんか召上めしあがるから、なほ出來できないんぢやありませんか」

「しかし槇田君まきたくんだつて細野ほそのくんだつて、まだ戀人こひゞとといふやつ出來できんのは不思議ふしぎだ、みがげればみな色男いろをとこたる風采ふうさいつてるんだがね、我黨わがとうふるはざるひさしだ、ハツヽヽヽ」

「どうして槇田まきたさんなぞは、卒業そつげふさへなされば、どんないゝ奧樣おくさまでもおこの次第しだいですわねえ、つゝみのおじやうさんだつて、槇田まきたさん〳〵つて大騷おほさわぎなんだから」と、女主人かみさんはさも眞實まことらしくふ。自分じぶんは「あゝまたばあさんが捏造ねつざうはじめたな」とおもつたが、多少たせうゝれしくもかんぜられた。

本當ほんたうかい槇田君まきたくん」と、葛原くづはらまるくして眞顏まがほいた。

「そんな馬鹿ばかなことがあるものか」と、自分じぶん苦笑くせうした。

「なにね、槇田まきたさんは御存知ごぞんぢなくつても、むかうでは屹度きつとおもつてらつしやるにちがひない」と老婆ばあさん意地惡いぢわるたしかめた。

眞實ほんとでも虛僞うそでも、そんなうはさつだけでも名譽めいよだ、ひとおごたまへ、なんならこれぽんけてくから」と瓶子てうしつた。

くだらんことをつてらあ」と、自分じぶん取合とりあはずに二かいあがつた。さら〳〵とあめふくんだかぜまどあたり、むし絕間たえまなくこえ、折々をり〳〵葛原くづはらたか笑聲わらひごゑきこえる。しばらくして細野ほそのそばて、「いま女主人かみさんつたこと本當ほんとかい、きみがゐなくなつてから、いろんな皮肉ひにくつてたよ」と、ひくこゑで、なんだか氣遣きづかはしさうにつたが、れのむね鼓動こどうしてるやうだ。

馬鹿ばかな、そんなことのあるはずがないぢやないか、滅多めつたにあのうちきやしないしさ、たゞ老婆ばあさんなんでもないことを意味いみありげにひたがるんだ」

「でもまつたたねのないこともはないだらう」

屹度きつとなんだよ、あのなにかの拍子ひやうしぼくこといたのだらう、それが老婆ばあさんくちのぼると、あんなに誇張こちやうされてしまうんだからいやになつちまう」

「さうかねえ」と、細野ほその安心あんしんしたふうだ。

しかし自分じぶんは、女主人かみさん言葉ことばに、あるひ多少たせう事實じゝつふくまれてはゐないかともおもひ、またいてさうおもふやうにした。で、萬一まんいちさうであつたらどうしやう、如何いかなる障礙しやうがいやぶつても、こひ成遂なしとげるのほかはない。葛原くづはら揶揄やゆされやうとも老婆ばあさんあざけられやうともかまうものか、自分じぶんをんなしづかなところ清貧せいひんなる生涯しやうがいおくればそれでつてゐる。をんなとても世俗せぞく榮華えいぐわ追求つひきうするふうはないから、自分じぶん理想りさう同意どういするにちがひない。

にち二日ふつかこんな取留とりとめのない空想くうさうあたまなやましてゐたが、あえをんなつて心中しんちうたしかめやうともしない。葛原くづはらつゝみ妻君さいくんとも懇意こんいになり、太郞たらうれてしきりに出入しゆつにふすれど、自分じぶん細野ほその滅多めつた機會きくわいがない。そして自分じぶん葛原くづはら隣家となりしたしくなり、妻君さいくんにもチヤホヤされるのが不快ふくわいでならなかつた。自分じぶん渇仰かつかうする聖殿せいでん泥足どろあしけがされるがした。

或晚あるばん葛原くづはらが、「隣家となりでは今夜こんや大將たいしやう留守るすだから、トランプをるとつてたよ、一しよかうぢやないか」と自分じぶんすゝめた。

「トランプはらんもの」

らなくたつていゝさ、ひとすくないと面白おもしろくないから、是非ぜひ付合つきあつてたまへ、きみもあまり勉强べんきやうるとどくだよ、すこしは呑氣のんきあそはうがいゝよ」

「ぢやつてやう」

と、太郞たらうともすべて四にん隣家となりおしかけた。

叔母をばさん、んな引張ひつぱつてましたよ」と、葛原くづはらはずんずん座敷ざしきあがつた。れは宿やど女主人かみさんをおつかさんとび、つゝみ妻君さいくん叔母をばさんとひ、むすめをお多津たつさんとぶのだ。

「お多津たつさん、今日けふけたものがおごるんですよ」

「えゝ〳〵、よう御座ござんすとも、どうせけやしないから」と、むすめちがだなからふだ取出とりだし、一どうをなした。で、葛原くづはらふだつて順々じゆん〴〵いてつたが、その手際てぎはうまいものだ。自分じぶん細野ほそのたゞをそはつたとほ機械的きかいてきにやつてるのみでべつ興味きようみもない。むすめ夢中むちうになつて、身體からだゆすぶりふだつたをもぢ〴〵させて勝敗しやうはい氣遣きづかつてゐる。葛原くづはらさけんだりわらつたり、あたまいたりしたしたり、一人ひとりさわいでにぎやかにする。自分じぶん折々をり〳〵うつとり﹅﹅﹅﹅して、この家庭かてい行末ゆくすゑおもひ、葛原くづはらのやうな卑俗ひぞくをとこ出入しゆつにふして、おだやかなゆかしい生活くらし搔亂かきみだし、下等かとう趣味しゆみそゝみ、一堕落だらくしてしまうことを氣遣きづかひ、「なにかんがへていらつしやるの、貴下あなたばんぢやありませんか」と、そば妻君さいくんからしかられるくらゐであつた。