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Chapter 33: (五)
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About This Book

A collection of short narratives observing everyday life with quiet irony and psychological acuity. Episodes range from rainy nocturnal street encounters and modest restaurant interiors to household caretaking, money worries, and spirited conversations, with emphasis on conversational detail and inward reflection. Recurring concerns include youth and aging, social manners, and the small compromises that shape relationships, while moments of wry humour alternate with sombre introspection. The pieces favor closely drawn scenes and social observation over extended plot, offering compact studies of character and mood.

つひ細野ほその自分じぶんとが劣敗者れつぱいしやまり、蕎麥そばおごらされた。葛原くづはら萬歲ばんざいとなへ、むすめはほつといきき、「あゝよかつた」と莞爾につこりする。自分じぶん如何いかにもつまらない。それでいまむすめしてほかもの同意どういしたが、自分じぶん二人ふたり辭退じたいしてかへつた。かへつて二かいまどけて、星影ほしかげあふいでゐると、つゝみ座敷ざしき燈火あかりかすかにえる。まだトランプをやつてるのであらう。

こまるね、葛原くづはら侵入しんにふしては、此家こゝだつて、あのをとこてから、すつかりばアさんの態度たいどちがつてしまつた。が、それはまあいゝとして、つゝみうちつちやこまるよ、うちばアさんなんか、どうせ趣味しゆみひくいんだから、葛原くづはら感化かんくわされるのも當然たうぜんだがね、となりの家族かぞく敎育けういくもあり品位ひんゐそなへてるのに、何故なぜ葛原くづはら勸迎くわんげいするんだらう」と、自分じぶん細野ほそのはなしかけると、

「さうだね」と細野ほそのくびかしげ、「ぼくとなりの母子おやこけつして葛原くづはらよろこんでやしないとおもふ、擧動きよどう顏色がんしよくでさうさつしられるぢやないか、ことむすめむねなにかのくるしみがあつてたまらないから、それでトランプや馬鹿ばかばなしわすれやうとしてるんだ、あのたしかにうつくしいものきよこひもとめてるといふふうだ」と、上目うはめそらて、落付おちついたこゑつた。

自分じぶん細野ほそのせつにはすこしの根據こんきよもないとおもつたが、「さうかねえ」とつて、べつ反對はんたいもしなかつた。平生ふだん自分じぶんおのれの希望きばう想像さう〴〵について、多少たせううたがひをいうしてゐたが、細野ほそのけつしてそんなことなく、何事なにごとについても一しゆ意見いけんいうしてゐて、自分じぶんいてすら、幼稚えうち空想くうさうだとおもこと確信かくしんしてゐた。

で、かく自分じぶん細野ほそのごと樂觀らくゝわんしてゐられぬ。つゝみのために、葛原くづはらとほざける工夫くふうかうぜぬばならぬと、はらなか藻搔もがいてゐた。ところがその翌晚よくばん葛原くづはら女主人かみさん太郞たらうとをれて寄席よせつたあと

御免ごめんなさい、叔母をばさんはお留守るす?」

勝手かつてはうこゑがする。自分じぶん留守番るすばんあふせつかつてゐるから、早速さつそくりてると、それがお多津たつである。萩餅おはぎつてれたのだ。

「まあおあがんなさい、みんな留守るすだけれど」

葛原くづはらさんも」

「えぼく細野ほそのくんだけです、」

昨夕ゆふべけなすつて、今夜こんやまた留守番るすばんではつまらないわねえ」と、わらひをふくんでれ〳〵しい態度たいど

ぼく寄席よせきらひだからきたくはないんです、トランプだつてちつとも面白おもしろくはないし、けたつて口惜くやしくはありません」といつたが、今夜こんやめづらしくお多津たつ態度たいど打解うちとやすいやうであり、また他人ひとまじへずに差向さしむかひではな機會きくわいまたられぬのであるから、おもつて、

ぼく是非ぜひ貴女あなたにおはなししたいことがあるんですが、此方こちらあがつていてれませんか」と、しづめて、言葉ことばいておだやかにした。

なんのおはなし」と、いつもひやゝかな調子てうしつて、勝手かつていたこしおろし、橫向よこむきに自分じぶんかほ見詰みつめた。

なんつてべつなんでもないが」とドキマギした揚句あげく、「ぼく貴女あなたはじめ、家族かぞくかた尊敬そんけいしてるんです、おたくくと優雅いうがしつとり﹅﹅﹅﹅した空氣くうき滿ちてるやうにかんぜられるんです。貴女あなた幸福かうふく家庭かていうまれて純白じゆんぱく生涯しやうがいおくるんだから」と、またよどんだ。

「あらそんなおはなし、槇田まきたさんも隨分ずゐぶん可笑をかしなかたね」と、お多津たつなかおこした。

「だから貴女あなたてんからさづかつた純白じゆんぱく性質せいしつきづゝけんやうにしなくちやならん、下品げひん趣味しゆみ野卑やひ談話だんわ貴女あなたにはてきしないんです。」

槇田まきたさんはむつしいことばかり仰有おつしやるのね、お說敎せつけうでもきいてるやうだわ」とわらつて、

下品げひん趣味しゆみといふのはなんですか、トランプをること」

「さうでもないんだが、かく葛原ゝづはらなんかに感化かんくわされちや駄目だめですよ」

「え、葛原くづはらさんがどうかしたの」

「あのをとこ面白おもしろ人間にんげんだけれど、どうも趣味しゆみ下品げひんだからいかん、貴女あなたもそのつもりで御交際おつきあひなさるがいゝ」

わたし趣味ゝゆみ下品げひんだつていゝのよ」と、れいのツンとして立上たちあがつた。

ぼく貴女あなた尊敬そんけいしてるからつたのです、わる意味いみらないやうにしてください」

と、自分じぶん狼狽うろたへた氣味きみ

「つまり葛原くづはらさんとお交際つきあひするなと仰有おつしやるんでせう、貴下あなた何故なぜ友逹ともだち除物のけものになさるの、葛原くづはらさんは被入いらつしやたびに、貴下あなたがたをおめなさるのに、貴下あなた葛原くづはらさんの惡口わるくちなんかつて、」

「さうぢやないさ、しかし貴下あなたはまだ御存知ごぞんぢないだらうが、葛原くづはらはこれまでズボラで評判ひやうばんわるをとこだから、あんなをとこ家庭かてい侵入しんにふさすと信用しんようくわんするとおもつてつたのです、ぼく貴女あなたはじめておかゝつたときから、貴女あなた品性ひんせいすぐれたかたおもつて、一しやう天使エンゼルのやうな生涯しやうがいおくるやうにねがつてゐます。」

多津たつすましたかほ不審いぶかしげに自分じぶんかほて、「わたし尊敬そんけいされたり、天使エンゼルとかになりたくはありませんわ、貴下あなたこそ餘程よつぽどめうね……おはなしつてそれつり」とつて、會釋ゑしやくしてかへつてしまつた。自分じぶん失望しつばうして二かいあがると、細野ほそのが、

きみなにはなしてたんだ」

むかひのむすめたから葛原くづはらひとりをかせたけれど、薩張さつぱわからない、矢張やはり平凡へいぼんをんなだね」

ぼくはさうおもはない」と、細野ほそのをんな月世界げつせかいからつてをんなのやうにおもつてゐるらしい。自分じぶん葛原くづはら大事だいじたから踏碎ふみくだかれ、また理想りさうをんなから愛相あいそつかされたごとかんじ、きふにこの宿やどいやになり、轉居てんきよしやうと决心けつしんし、細野ほその同意どういもとめたが、細野ほその面倒めんだうくさいからといふ口實こうじつ賛成さんせいしない。

で、その翌日よくじつから學校がくかう歸途きと自分じぶん一人ひとり宿やどさがまはり、二三にちうちに、やうやいたところつけた。いよ〳〵轉宅てんたくきまつたに、葛原くづはらは二かいて、

あきらめてすんか」と、皮肉ひにくひ、「きみはひどいな、レデイにむかつてぼくこと趣味しゆみひくやつだとつたさうだが」

なにさうぢやないよ」と、自分じぶんすこあかくなつて辯解べんかいしやうとすると、葛原くづはら無邪氣むじやきくちけてわらひ、

「それはどうでもいゝさ、しかし、きみをんなむかつて趣味しゆみ高下かうげろんずるなんか、野暮やぼきよくだぜ、レデーでもエンゼルでもおさつよろこんで召上めしあがるんだもの」

(五)

自分じぶん轉居てんきよきは雜司ざうしの百姓家しやうや藁葺わらぶきのきかたむき、かべほねし、たゝみりむけてあしひつかゝるほどだが、まへ大根たいこんばたがあり四はうならもみ取圍とりかこみ、ほか人家じんかとかけはなれて、荒寺あれてらのやうである。下町したまちのさる富豪ふがう所有しよいうで、やがて地代ぢだいあがるのをまちうりはなすはずだが、それまで番人ばんにんとして、獨身ひとりもの作藏さくざうぢい無代むだい貸與たいよしてゐるのだ。自分じぶんはこのぢいさんの白痴はくちごと逹人たつじんごとく、なんとなく世間せけんばなれしてゐるのを面白おもしろかんじ、一しよ引割ひきわりめしひ、時々とき〴〵大根だいこ蟲取むしとりの手傳てつだひをもしてやり、無論むろん學問がくもんおこたらなかつた。で、山吹町やまぶきちやうへはまつたあしけぬ。細野ほその屡々しば〳〵たづねてては、楢林ならばやしした落葉おちばいて、あきながめて、ゆめのやうなはなしふけつてゐた。しかし自分じぶんつゝみむすめことなるべくくちさぬやうにし、細野ほそのかたらなかつた。

しかし細野ほそのもなく山吹町やまぶきちやう宿やどて、戶塚町とつかまち植木屋うゑきやの一り、卒業そつげふまで其處そこらしたのである。

卒業後そつげふご二人ふたりとも一にちはや職業しよくげふもとめねばならぬ。こと細野ほその鄉里きやうり家族かぞく補助ほじよする義務ぎむさへあつて、自分じぶんよりも糊口こゝう方法はうはふあせらねばならぬのだ。しかるにれは試驗しけんむと、一生涯しやうがい重荷おもにおろしたで、衣服きもの敎課書けうくわしよ賣拂うりはらつて、相州さうしう葉山はやま旅行りよかうした。そして或日あるひ自分じぶん先輩せんぱい訪問はうもんして職業しよくげふ周旋しうせん依賴いらいし、あせほこりにまみれてかへると、れからの手紙てがみてゐた。

「…………ぼくいま相模灣さがみわん見下みおろした小高こだかてら寄寓きぐうし、菜食さいしよく滿足まんぞくし、肉慾にくよくわすれてれい生活せいくわつをしてゐる。あさはやきて、まだ人影ひとかげもなく、うみ神秘しんぴ水氣すゐき閉籠とぢこめられてゐるころ明神崎みやうじんざきつて、岩蔭いはかげきよして作詩さくし工夫くふうらし、ひるてら廣間ひろまころんで、海風かいふうみゝあなまででられて、キーツやヲルヅヲルスの朗讀らうどくしてゐる。僧侶そうりよ讀經どくきやうかけひ水音みづおとは、やはらかにぼくはらわたまでむ。いま夕暮ゆふぐれ磯傳いそづたひからかへり、こけおほはれた石段いしだんあがつてゐると、かね永遠エターニチーひゞきをつたへ、ぼく宇宙うちう神靈しんれいれたごとかんじ、希悅きえつなみだた。こひ絕望ぜつばうんだいにしへひとが、寺院じゐんのがれたのは、さもあるべきことおもはれる。……」

しるし、最後さいご現在げんざいこゝろだとして、キーツのソンネツト"Oh! How I love, on a fair summer's eve"の全體ぜんたいうつへた。

れはほとんど生活せいくわつ方針はうしんなどを念頭ねんとういてゐないらしい。歸京きゝやうしてからでもあえ齷齪あくそくとしてしよくあさるでもなく、月給げつきうとりとなり一かまへるよりも、あき郊外かうぐわい散步さんぽ出來できときつてるやうだ。超然てうぜんとしたその態度たいど純潔じゆんけつなその精神せいしん自分じぶん細野ほその尊敬そんけいせずにはゐられなかつた。

さいはひにして自分じぶん細野ほその會社員くわいしやゐんくちついたが、自分じぶん大阪おほさか細野ほその東京とうきやうわかれ〳〵につとめねばならぬ。で、自分じぶん出立しゆつたつの二三日前にちまへ二人ふたりきりで離別りべつくわいもよほし、自分じぶん將來しやうらい活動くわつどう計畵けいくわくくはしくかたり、細野ほその理想りさう神靈しんれいきよこひなどについてうるしいゆめかたつた。