老婆ばあさんは茶ちやを汲くんでテーブルに置おき、散ちらかつた白縮緬しろちりめんの兵子帶へこおび、キヤラコの紺足袋こんたびなどを片付かたづけながら、「每日まいにちいけないお天氣てんきで御座ございます」とか、「上野うへのはもう咲さいたで御座ございませう」とか、頻しきりに話はなしをしかける。
五月蠅うるさいと思おもつたが、返事へんじをせぬ譯わけにも行ゆかず、よい加減かげんにあしら﹅﹅﹅つてゐると、老婆ばあさんはビスケツトを持もつて來きて、椅子ゐすの前まへに坐すわり込こんだ。私わたしは餘儀よぎなく相槌あひづちを打うちながら、加瀨かせの變遷へんせんを思おもつた。老婆ばあさんの話はなしと自分じぶんの追想つゐさうとがごつちやになつて、加瀨かせの面影おもかげが頭あたまの中なかに動搖どうえうする。
彼かれが上京じやうきやうしたのは一昨年おとゝしの春はる。同鄉どうきやうの緣えんで暫しばらく私わたしの家いへに同居どうきよしてゐた。普通ふつうの學資がくし位ぐらゐ出だせぬ身分みぶんでもないから、何處どこかへ入學にふがくするのだらうと思おもつたら、少すこしもそんな希望きばうはない。そして私わたしの知しらぬ間まに先輩せんぱいを歷訪れきはうして、その紹介しやうかいで或ある女學ぢよがく雜誌ざつしの記者きしやとなつた。訪問はうもんには洋服やうふく でなくては不便ふべんだと云いつて、直すぐに有合ありあはせの三圓ゑん足たらずの金かねで、白しろい小倉こくらの夏服なつふくを造つくつた。私わたしはさんざ﹅﹅﹅﹅冷ひやかしてやつた。しかし彼かれはにやり﹅﹅﹅〳〵笑わらふばかりで、何なんとも思おもはぬ。職業しよくげふを得えると同時どうじに、最早もはや一人前にんまへになつたつもりか、私わたしの家うちを出でて植木屋うゑきやの離座敷はなれを借かりた。持物もちものは月々つき〳〵に殖ふ ゑて行ゆく。國訛くになまりの目醒めざましく消きえると共ともに、身體からだの泥どろも次第しだいに拔ぬけて行ゆくやうだ。夏なつの末すゑには絽ろの襦袢じゆばんを着きて柾目まさの下駄げたを穿はく。私わたしは彼かれよりも五歲いつゝの年長者ねんぢやうじやで、十年ねんも東京とうきやうに住すまつてゐるが、身裝みなりは彼かれが半歲はんとしの進步しんぽにも劣おとつてゐる。で、會あふと目顏めかほや口先くちさき で揶揄からかつてやる。「いくら鍍金めつきしたつて肥桶こえたごは肥桶こえたごだぜ」と云いふと、「僕ぼくは虛榮みえを張はるんぢやない、自分じぶんに氣持きもちがいゝからだ」と落付おちついて答こたへる。雜誌ざつし社しやの者ものに聞きくと、この男をとこは社中しやちう第だい一の勉强べんきやう家かで、器用きようでもあり主任しゆにんの信用しんようも厚あついさうだ。月給げつきうもずん〳〵昇のぼつて行ゆくらしい。彼かれにはコツ〳〵六むつケ敷しい敎科書けうくわしよいぢりをするよりは、雜誌ざつし 記者きしやで飛廻とびまはる方はうが面白おもしろいのだ。成程なるほど生活せいくわつのためにいや〳〵﹅﹅﹅﹅勤つとめるのとは異ちがつて、足たらねば國くにから送おくらされる身分みぶんの、二十二三の靑年せいねんの雜誌ざつし道樂だうらくなら面白おもしろからう。そして社しやの者ものは「加瀨かせさんは大變たいへん大人おとな振ぶつた人ひとですね、行おこなひも謹直きんちよくだし、非常ひじやうにしつかりしてる」と褒ほめるが、私わたしの目めには矢張やはり歲とし相當さうたうのお坊ぼつちやんだ。無口むくちでマセてはゐるが、私わたしには小憎こぞツ子こと見みえる。甘あまい奴やつと見みえる。實際じつさいはさうでなくても、私わたし自身ゞしんに無理むりにさう思おもつて見みる。向むかうから親したしんで來きても、此方こつちからは何どうしても打解うちとける氣きになれぬ。これが二三年來ねんらいの私わたしの性分しやうぶんで、又また一種しゆ憐あはれなプライドとなつてゐるのだ。
その後ご彼かれは越前堀えちぜんぼりへ移うつつた。江戶えど趣味しゆみ硏究けんきうのためか、綠雨りよくうの文集ぶんしふを買集かひあつめて熟讀じゆくどくしては氣きに入いつた文句もんくに線せんを引ひき圈點けんてんを付ふし、餘白よはくには頻しきりに感歎かんたんの辭じを書かき散ちらしてゐたのもこの時とき。女學ぢよがく雜誌ざつしの隅すみの方はうに三四行ぎやうづゝの皮肉ひにくの書かき出だしたのもこの時とき。私わたしに當あてこすつたつもりか、或ある號がうには「我われを貴族きぞく主義しゆぎなりと云いふものあり、我われを平民へいみん主義しゆぎなりと云いふものあり、或ある時ときは埃及えじぷと煙草たばこを吸すひ、或ある時ときは朝日あさひを吸すふを哂わらふものあり、彼等かれらは變通へんつうの道みちを知しらぬ徒輩しれものなり、晴天せいてんにも足駄あしだを穿はいて步あゆむ人ひとなり、我われは月つきの初はじめには辨當べんたうに鰻うなぎや牛肉ぎうにくを食くひ、月つきの終をはりには饂飩うどんか麺麭パンにて濟すます、この趣おもむき拘泥派こうでいはの知しる所ところにあらず」と書かいたが、これなどが彼かれの警句中けいくちうの壓卷あつくわんであつて、隨分ずゐぶん一人ひとり合點がてんの無意味むいみの者ものが多おほかつた。
しかし越前堀えちぜんぼり移轉ゐてん以後いごはあまり往來わうらいしない。學校がくかう生活せいくわつをせぬ彼かれは、眞味しんみの友人いうじんの少すくないので、時々とき〴〵は私わたしに向むかつて人懷ひとなつかしい手紙てがみを送おくつて來くるが、私わたしはあまり構かまひつけぬ。で、暫しばらく彼かれの發展はつてんを知しらなかつた。
(二)
「加瀨かせさんは本當ほんとにお柔やさしいんで御座ございますね、それにお若わかい癖くせによく何なににでも氣きがお付つきなさいますし」と、老婆ばあさんは指先ゆびさきで耳みゝの後うしろを撫なで〳〵、世間せけん話ばなしから加瀨かせの噂うはさに移うつつた。
「暫しばらく會あはん間うちに非常ひじやうにハイカラになつた」と、私わたしは獨言ひとりごとのやうに云いつて、「加瀨かせは粧めかしてばかりゐるんでせう」と、笑わらひ〳〵聞きいた。
「え、そりや大變たいへんで御座ございますよ」と、老婆ばあさんは少すこし乗出のりだし、「油あぶらをつけたり、チツクで撫なでたり、每朝まいあさお出掛でかけまで一ひと仕事しごとで御座ございますわ、それに何なんであんなに髮かみをおのばしなさるんでせう、さぞお五月蠅うるさいでせうのに」と、女をんなに有勝ありがちな皮肉ひにくな口付くちつきで云いつた。
「ハイカラになるのも容易よういぢやありませんね、一體たい加瀨かせは誰だれの紹介しやうかいでお宅たくへ來きたのです?自分じぶんで捜さがしたんですか」
「何なにね、私わたしの甥をひがあの方かたと同おなじ雜誌ざつし社しやへ勤つとめてゐますのでね、二三度ど宅たくへも遊あそびに被入いらつしつたのが御緣ごえんで、ついお越こしなさるやうになつたので御座ございます。無人ぶにんでとても人樣ひとさまのお世話せわなんか出來できませんのですが、ついねえ……こんな窮屈きうくつな所ところで、さぞお困こまりだらうと思おもひますのにね」
私わたしは老婆ばあさんの顏色かほいろを讀よんで、「いや却かへつて貴女あなたの方はうで御迷惑ごめいわくでせう、この通人つうじん先生せんせい、そんなことにはお氣きのつかん方はうだし、それに不愛相ぶあいそで氣きの置おける男をとこだから」
「いゝえ、どうしてお愛相あいそがよくて、中々なか〳〵お話はなしがお好すきで被入いらつしやる、十時じ頃ごろからお茶ちやを召上めしあがつて、每晚まいばんお話はなしがはずむんですよ」
「そりや不思議ふしぎだ、何なにを話はなすんです」
「あの方かたは何なんでもよく御存知ごぞんぢなんですね、頭あたまの物ものから足あしの裏うらまで、何なににでもよく目めがおつきなさいます」
「あれがそんな話はなしをするんですか」と、私わたしは少すこし驚おどろいた風ふうをすると、老婆ばあさんは乗のり出だして、
「えい〳〵、私わたし逹たちよりもよく御存ごぞんじで被入いらつしやる、櫛くしは小形こがたが流行はやるの、羽織はおりは桔梗納戶きゝやうなんどが色合いろあひがいゝのと、そりや驚おどろいてしまうんですよ、一昨日おとゝひの晩ばんも宅たくで歌留多かるたを取とりまして、娘むすめさん方がたが四五人にん被入いらつしやると、あの人ひとには何なにが似合にあう、この人ひとには何なにが似合にあうと、一々お見立みたてをなさるんですよ」
「雜誌ざつしにでもあるんでせう」と、私わたしは笑わらつて、少すこし碎くだけた口振くちぶりで「加瀨かせに色女いろをんながあると云いふぢやありませんか、」と問とうた。
「何なんだかそんなことを甥をひが申まをして居をりますがね、」と、老婆ばあさんは窪くぼんだ目めに微笑びせうを湛たゝえてゐる。
「誰だれでせう、」
「御自分ごじぶんではいろんな﹅﹅﹅﹅事ことを有仰おつしやるんですから、見當けんたうが付つき兼かねますが、何なんでもお樂らくといふ女をんなに一番ばん御執心ごしふしんのやうで御座ございますよ、下谷したやに居ゐました時分じぶんから娘むすめのお友逹ともだちでちよい﹅﹅﹅〳〵宅たくへもまゐります、大變たいへんなハイカラで、讀よみ書かきも可成かなり上手じやうずださうで御座ございますよ、先日せんじつも加瀨かせさんが僕ぼくはあゝ云いつた肌合はだあひが好すきだと有仰おつしやるから、ぢやお貰もらひなすつたらと申まをしますと、さうさ何どうしやうかと考かんがへて被入いらつしやるのです」
「ぢや、まだ女をんなが出來できたと云いふ譯わけぢやないんですね」
「えい〳〵、まだこうと定きまつてるのぢや御座ございますまいよ、尤もつともね、加瀨かせさんの事ことですから外ほかにどんなのが出來できてゐるのか、ちつとも存ぞんじませんけれど」と、老婆ばあさんは息いきを吐つき、「何なにしろあの方かたですから」と、低ひくい聲こゑで無意味むいみな事ことを云いつて、兩手りやうてを膝ひざの上うへで揉もみながら、「何時いつかも甥をひとお酒さけを召上めしあがつて、お話はなしがはずんだ時ときに、僕ぼくあ女をんなを惚ほれさせて廻まはるのが面白おもしろいと有仰おつしやるのです、何なんでも品川しながはにも銀座ぎんざにもお目めに留とまる者ものがあるそうでしてね、甥をひはよく戯談じやうだんに、僕ぼくが一緖しよに行いかなくちや幕まくが開あかんのだから厄介やくかいで仕方しかたがない、僕ぼくあ丸まるで若樣わかさまのお幇間たいこのやうな者ものだ、無給金むきうきんで、加之おまけに時々とき〴〵は持出もちだしまでして、こんな下くだらないことはないと申まをすんで御座ございますよ」と、さも面白おもしろさうに云いふ。次つぎの室までは娘むすめがクツ〳〵笑わらつて居ゐる。
「さうですかねえ」と、私わたしは冷淡れいたんに云いつて、目めを轉てんじてテーブルの上うへのバイブルを飜ひるがへして、老婆ばあさんにはあまり耳みゝを貸かさなかつた。
しかし老婆ばあさんは問とはず語がたりに加瀨かせの噂うはさ——頓間とんまな江戶えどツ子振こぶり、辻褄つじつまの合あはぬ裝飾方しやれかた、變梃へんてこな田舎ゐなか言葉ことばの丸出まるだしの柔やさしい惡罵あくば——を止やめなかつたが、やがて臺所だいどころで魚屋さかなやの聲こゑのするのを機會しほに立たつて行いつた。
加瀨かせは容易よういに歸かへつて來こぬ。私わたしは日曜にちえう一日じつ待まち甲斐がひのない人ひとを待まつて過すごすのが惜おしくてならぬ。歸かへらうかと立上たちあがつたが、又また思おもひ返かへして疊たゝみの上うへに橫よこになつた。雨垂あまだれが落おちては又また落おちてゐる。新あらたにいゝ香にほひが庭にはから吹ふきつける。後うしろでは車井戶くるまゐどの音おとがギイ〴〵と聞きこえる。私わたしは眠ねむくなつた。氣きが緩ゆるんだ。すると、ふとお靜しづも憎にくくないなと思おもはれた。私わたしが寢卷ねまきのまゝ顏かほを洗あらつてゐると、派手はでな絣かすりの道行みちゆきを着きて、勝手口かつてぐちから傘かさをすぼめて入はいつて來きた彼あの女をんなの可憐かれんな姿すがた、身體からだが華奢きやしやで髮かみが濃こくて、島田しまだの重おもみに堪たへぬと云いつた風ふうに、首垂うなだれ勝がちのその顔付かほつき。こんなことが此頃このごろの私わたしには珍めづらしく目めに浮うかんだ。しかし直すぐに自分じぶんで自分じぶんを嘲あざけつて見みて、間まもなく常つねの心こゝろになつた。
やがてよい氣持きもちで眠入ねいつた。
暫しばらくして自分じぶんの家いへにゐる氣きで、細ほそく目めを開あけて伸のび上あがると、加瀨かせは緣側えんがはに膝ひざを抱だいてニコ〳〵してゐる。
「よく眠ねてるね、どうしたんだ、昨夕ゆふべ夜更よふかしでもしたんぢやないか」
「もう何時いつかね」と、私わたしは目めをこすり〳〵臺所だいどころへ顏かほを洗あらひに行いつた。老婆ばあさんと娘むすめとが膳立ぜんだてをしてゐる。娘むすめの顏立かほだちは老婆ばあさんに似にて、左程さほど美うつくしくもないが、年頃としごろだから皮膚ひふが艶々つや〳〵しい。私わたしは娘むすめの手てから西洋せいやう手拭てぬぐひを借かりて顏かほを拭ぬぐひながら、偸ぬすむやうにして相手あひての顏かほを見みた。娘むすめは不快ふくわいな顏かほをして橫よこへ向むいた。子供こどもの時ときから私わたしの目付めつきは人ひとを馬鹿ばかにしてゐると云いはれてゐたが、殊ことにこの頃ごろは毒氣どくきが加くははつて來きたのか、何氣なにげなしに見みてさへ相手あひてによつて、薄氣味うすきみ惡わるく感かんずるさうだ。ましてこの頃ごろの私わたしは穩おだやかに柔おとなしく人ひとに接せつすることが出來できぬ。冷笑れいせうするやうな、蔑視べつしするやうな、腹はらの底そこまで見拔みぬいてやるぞと云いつたやうな氣持きもちになつて喜よろこんでゐる。