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何處へ

Chapter 42: (五)
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About This Book

A collection of short narratives observing everyday life with quiet irony and psychological acuity. Episodes range from rainy nocturnal street encounters and modest restaurant interiors to household caretaking, money worries, and spirited conversations, with emphasis on conversational detail and inward reflection. Recurring concerns include youth and aging, social manners, and the small compromises that shape relationships, while moments of wry humour alternate with sombre introspection. The pieces favor closely drawn scenes and social observation over extended plot, offering compact studies of character and mood.

何時いつもこんな馬鹿ばか眞似まねをしてあそんでるんか」と、わたし突如だしぬけ加瀨かせうた。かれてゐる連中れんぢうは一わたしかほた。

面白おもしろいぢやないか、きみうちでも時々とき〴〵やりたまへな、ぼく大勢おほぜい引連ひきつれてかう」と、加瀨かせは一棟梁とうれう氣取きどりだ。

須崎すさきわたし)さんだけは、まだなにげいをおしになりませんね、お突合つきあひにひとつおかせなすつちや如何いかゞです」と、老婆ばあさんわたしかへりみた。小山こやま加瀨かせ左右さいうからるやうにしてすゝめる。

「そんなふざけた﹅﹅﹅﹅眞似まね出來できるか、しかし是非ぜひぼくのがきたけや、加瀨かせくん親爺おやぢがよくやる權兵衞ごんべゑ種蒔たねまきのをどりでもやらうか、ふと素裸すつぱだかになつてこしつてやつてたのを、ぼくも覺えとる。きみも幼い時分じぶんによく親爺の眞似まねをしとつた。ねえ、さうだらう」と、わたしふと、加瀨かせだまつてしまつた。

「だがぼくだつて長唄ながうたぐらゐは出來できる。おらくさんでも三味線さみせんいてれゝば」と、わたしいやおもひをしてつて、まへした。もう二三ねんにならうか、わたしはおしづから戯言ぢやうだん半分はんぶんに「越後えちご獅子じゝ」をならつたことがある。あの時分じぶんでも音曲おんぎよくきなはうではなかつたが、おしづくち眞似まねをしたり、わらつたりわらはれたりするのがうれしかつた。いまではそれをおもしても不快ふくわいだが、小山こやま周旋しうせんで、三味線さみせんがおらく押付おしつけられたので、詮方せんかたなくおらくならんで、うろおぼえのひとくさりをうたつた。調子てうししどろもどろ﹅﹅﹅﹅﹅﹅である。加瀨かせすこおどろいたふうで、

きみ何時いつならつた」

不思議ふしぎだらう、まだ十八番おはこがあるんだ。そりやこの次つぎにしやう、なんなら近々きん〳〵ぼくうち演藝會えんげいくわいをやるからんなで來玉きたまへ、おらくさんも三味線さみせんつて」

「そりや面白おもしろい、是非ぜひおやんなさい、わたし周旋役しうせんやくになるから」と、小山こやましきりにすゝめた。

(四)

ふたゝ歌留多かるたはじまつたので、わたし退屈たいくつつて、一人ひとりいとまげて薄暗うすくらがりのつめたい戶外そとた。そして電車でんしや飛乗とびのつたが、ぐに大久保おほくぼへはかへらなかつた。

すうぷんのちにはかさかついで、土州橋としうばしうへあるいてゐた。中洲なかすはう小雨こさめけむつて、提灯ちやうちんひかりそらんでゐる。足下あしもと荷船にぶねひるきたな姿すがたをかくして、ゆめのやうにあは水面すゐめんうかび、しめつたひかりがチラ〳〵して、寢呆聲ねぼけごゑれてる。はしわたると早足はやあしみぎまがつて、玄關げんくわんくらく二かい燈火ともしびはなやかなうちあがつた。わたしは一ねんぢかくこのうちかよつてゐるのである。

安逹あだちはら鬼婆おにばゞあから毒氣どくきいたやうな老婆ばあさんわたしかほると、して、「貴下あなた新奇しんきなのがましたよ」といふ。これがおきまりだ。老婆ばゞあわたしたいするこつつてゐる。たゞ新奇しんきだ」といふ。どんなのだらう。昨年さくねんねん今年ことしいまゝでわたし注意ちういき、こゝろやさしさあたゝかさをおぼえるのはこればかりである。階子段はしごだん足音あしおと廊下らうかづたひの衣摺きぬずれのおと障子しやうじおとわたしはそれをいてゐるときにのみ生甲斐いきがひかんずるのである。うつくしいまゆなめらかなはだたましひとろけるのではない。やさしい言葉ことばいろつぽい素振そぶりにむね湧立わきたつのではない。たゞめづらしいの」「新奇しんきなの」を待設まちまをけては、かはこゝろうるほさうとするにぎぬ。

わたし上京じやうきやう年間ねんかんゆたかならぬ學資がくし學問がくもんをした。卒業後そつげふご敎師けうしをしてゐる。交友かういうおほくはなく、自分じぶん出入しゆつにふ目睹もくとしてゐる社會しやくわいひろくはない。しかし最早もはや努力どりよくして榮逹えいたつはか微塵みぢんもない。高名かうめいひとしてうたはれようとねがこゝろさらにない。こゝろゆるひともなければ、他人たにんこゝろゆるされようともおもはない。知友ちいううちにはわたしを「落付おちついたしつかりしたをとこだ」とひやうするものがある。また冷酷れいこく無情むじやうをとこだ」とひやうするものもある。有望いうばう靑年せいねん愚昧ぐまい男子だんしか、他人たにんのお世話せわたずして、自分じぶん自分じぶんつてゐるのだ。圖拔づぬけた天分てんぶんもないが、努力どりよくすればなみひとにはけぬと確信かくしんしてゐる。處生しよせいはふぐらゐ心得こゝろえてゐる。たゞそのわづらはしさがいやだから見合みあせてゐるのだ。

すべてがわづらはしい。そして友人いうじん落魄らくはく榮華えいぐわあはれともかんぜぬうらやましくもおもはぬ。昨年さくねんから引續ひきつゞいてあに叔父をぢんだが、それすらわたしにはつたくらゐかんじをしかあたへなかつた。

明日あすわたしはどうなるか、いまわたしはこんなふう死運しうんるまできてゐる。

(五)

「あれは如何いかゞでした」

「さうだね、くちびるかはこわい」

隨分ずゐぶん此頃このごろましたから、せい〴〵をつけときまして」

わたし老婆ばゞあ見送みおくられてそとた。糠雨ぬかあめ身體からだりかゝれど、所々ところ〴〵くもげて、んだ靑空あをぞらあらはれてゐる。わたしふたゝ土州橋としうばしわたつたが、「明日あす天氣てんきだ」とおもふのみで、ほかなにをもあたまうかべなかつた。そして電車でんしやるとこまぬねむあたままどにもたせ、半醒はんせい半眠はんみん終點しうてんたつし、つきんで、人氣ひとけえた大久保おほくぼ宿やどかへつた。明日あすつとめをおもうて、ぐに寢仕度ねじたくをし、二三の郵書いうしよたが、そのうち故鄕こきやうからの手紙てがみもあつた。ちゝはゝみ、おとうと小賣商こうりしやうをして一わづかにくちしてゐるので、救助きうじよ願書ぐわんしよえたつきはない。今月こんげつのはことながい。わたし卷紙まきがみなかばをまぬうちに、眠氣ねむけさしてへられぬので、それをつくゑひろげたまゝとこうちはいつた。

翌朝よくてう下女げぢよ雨戶あまどけるおとかすかにきながら、きもやらず寢返ねがへりして、なほウト〳〵してゐたが、そのあひだめづらしく故鄕こきやうゆめた。——兄弟きやうだいにんうらはたけてゐる。樹木じゆもくすくなをかからなゝめふもとまではたになつてゐて靑々あを〳〵むぎなみち、あぜには蓮華草れんげさうあか緣取ふちどつてゐる。まぶしいくらゐつてる。あに被頰ほゝかぶりしてあせばんだはたたがやし、わたしおとうと紙鳶たこばした。風箏うなりしづかなそら氣持きもちよくつて、あか繪具ゑのぐつた紙鳶たこかげちいさくなる。わたしきようつてはたをかのぼり四はうまはると、おとうとあとからあえぎ〴〵うてる。やがてわたしまとうたいとかぎ手繰たぐしたが、運惡うんわるいとえだ引掛ひつかゝつて如何いかにするもはなれない。そのあひだ紙鳶たこいとつてフワ〳〵そらんでく。わたしおとうとあに仰向あふむいてその行衞ゆくゑながめた。——目醒めざま時計どけいおとおどろいてゆめえた。歸國きこくごと亡兄ばうけいわたしむかつて、「いま田地でんぢさへあらさなければ、うちのものは生活くらしこまりやしない、おまへ學才がくさいがあるんだから、うちこと心配しんぱいせんで勉强べんきやうしてはや出世しゆつせしてれ」とつて、自身じゝん死際しにぎはまでくわはなさなかつた。この手紙てがみによるとおとうと此頃このごろ反物たんもの脊負しよつて近村きんそんまわつてゐるらしい。そして一そろうてわたしうはさをしてゐるとある。わたしまたえず故鄕こきやう家族かぞくおもつてゐることと向定むかうぎめにめてゐる。わたし手紙てがみ座右ざいう反古籠ほごかごれて、こゝろさびしく肌寒はださむかんじた。

(六)

この宿雨しゆくうれて、敎員室けうゐんしつ花見はなみうはささかんであつた。日課につくわをはつてうちかへり、和服わふく着替きかへてゐると、豐島とよしまわたし所謂いはゆる情熱家じやうねつかたづねてた。同鄕どうきやうおな中學ちうがくにゐたをとこで、加瀨かせがこのうち同宿どうしゆくしてゐたころしよくうしなつてころがりんだこともある。はぬとき顏色かほいろあをく、言葉ことばすくなく、るんでゐるが、すこしでもひがまはると、悲憤ひふん慷慨こうがい滿心まんしんつて、自身じゝん一人ひとり世界せかい角力すまふでもいきほひだ。れの所謂いはゆる「お利口連りこうれん」をのゝしつてなみだうかべることもある。加瀨かせなどはあたまから「馬鹿野郞ばかやらう」「あをさい」「僞善者ぎぜんしや」の百萬べんあびせかけられる。

今日けふは七ゑひだ。格子戶かうしどをガラリとはげしくけると、「大將たいしやうるか」と怒鳴どなつて、帽子ぼうしげて、座敷ざしき眞中まんなか胡床あぐらいた。

大分だいぶ元氣げんきがいゝね、ちつとはまうかつたんだらう、おれにかねでもれにたのぢやないか」と、わたしおびめながら相手あひて見下みおろしてつた。

馬鹿ばかへ、かねなんかあるもんか」

宿やど矢張やはり下谷したや天井裏てんじやうゝらか」

馬鹿ばかへ、とつくに轉居てんきよしていま四谷よつやにはひろうちにゐる、ちかいから學校がくかうかへりにでもれ、アブサンをましてやらあ」

「さうか、モー天井裏てんじやうゝらにゐないんか、ぢやすこ堕落だらくしたはうだね、ぼくきみがあの二かいにゐるのをかなしむよりもむししゆくしてゐたのだがなあ、ねづみふん蜘蛛くもなかで、蠟燭らうそく點火とぼして文章ぶんしやういてるのをると、ぼくおがみたいやうながした。むかし天才てんさい義人ぎじんによくあるれいだからね。」

「うんにやぼくはもう方針はうしんへた、どんな卑屈ひくつ眞似まねをしてもかねまうけるつもりだ、なか俗物ぞくぶつばかりだから、これまでのやうにしちや馬鹿ばかるからな、もう主義しゆぎ變更へんかうだ。」

「しかしきみはどうしてかねまうける、何處どこからたつて素質そしつはないぢやないか、きみ俗物ぞくぶつになるのは加瀨かせあたまが五分刈ぶがりになる時代じだいだらう」