「加瀨かせなんかゞ」と、豐島とよしまは投なげつけるやうに云いつて、「あんな男をとこで八方ぱうに色女いろをんなが出來できるんだらうか、馬鹿野郞ばかやらうに」と叫さけんで、唾つばきを迸ほとばしらす。
「そうだねえ、僕ぼくや君きみにや待まてども〳〵雌猫めねこ一匹ぴき寄よつて來こないんだからね」
「つまり何なんだよ、君きみや僕ぼくは自分じぶんを屈くつして優やさしくなれんから駄目だめなんだよ、お互たがひに金かねも出來できにや女をんなも出來できん、けれど僕ぼくあこれからやる、戀こひもするし金かねも取とる、君きみもさうしろ、その方はうが得とくだもの、どうせ利口りこうな奴等やつらにや僕ぼく等らの心こゝろは分わかりやせんのだから、」と豐島とよしまは毛けの濃こい腕うでをまくつて、赤あかく肥ふとつた頰ほゝをこすり上あげつゝ、充血じうけつした目めを瞬しばだたく。
「僕ぼくもせい〴〵心掛こゝろがけやうよ、しかし君きみは今いま何なにをしとる、夜學校やがくかうの方はうは革命論かくめいろんか何なにかやつて止やめたそうだが」
「講義錄こうぎろくに關係かんけいしとる、大著述だいちよじゆつにも着手ちやくしゆしとる、も少すこし餘裕よゆうが出來できたら、新運動しんうんどうも初はじめる、まだはつきり﹅﹅﹅﹅言いふ譯わけに行いかんが、筆ふでを劍けんにして口くちから焰ほのほを吐はいて、惰眠だみんを貪むさぼつてる今いまの社會しやくわいを震動しんどうさすんだ、君きみも我黨わがとうの士しだから、その時ときや片端かたはし擔になつて吳くれ」
「少すこし矛盾むじゆんだね、さつきにや金儲かねまうけの計畵けいくわくをしたぢやないか」
「馬鹿ばか云いふな、僕ぼく等らはこんな薄うすのろい世よに我慢がまん出來できんのだ」
「同感どうかん々々〳〵、早はやくその活劇くわつげきを見みせて吳くれ、僕ぼくは君きみの「馬鹿野郞ばかやらう」の聲こゑが日本國にほんこくに地響ぢひゞきすることを望のぞむんだ」
「屹度きつとやる〳〵」と、豐島とよしまは頰杖ほゝづゑついて、何なにをか考かんがへてゐたが、やがてぶつ﹅﹅倒たふれて鼾いびきをかき出だした。裾すその摺すり切きれた袷あはせから毛脛けずねを出だし足袋たびを穿はかぬ足あしは塵ちりにまみれてゐる。私わたしはぢつと見みてゐたが、やがて毛布もうふを出だしてそつと肩かたにかけてやつた。で、彼かれが前後ぜんごを忘わすれて何なにかいゝ夢ゆめを見みてゐる間あひだに、私わたしは學課がくゝわの下調したしらべをしてゐた。
「お客樣きやくさまはもうお歸かへり」と、緣側えんがはの障子しやうじの破やぶれ目めからのぞいた女をんなが、「あれ寢ねてゐらしつて」と呟つぶやいた。
私わたしは障子しやうじをそつと開あけた。お靜しづが立たつてゐる。少すこし靑あをざめた顏かほに長ながい眉まゆと黑くろい眼め、肉付にくつきの不足ふそくの頰ほゝに、鼻はなのみが高たかく鮮あざやかに刻きざまれた、左程さほど美うつくしくない女をんなだ。しかしその哀あはれつぽい樣子やうすが一二年前ねんぜんの私わたしには悅うれしかつた。
「お花見はなみにはゐらつしやらないの」と、お靜しづの癖くせとして一寸ちよつと口くちを歪ゆがめて笑わらつた。私わたしはそれには答こたへず、半なかば書物しよもつを見みながら穩おだやかに、
「まだ日本橋にほんばしへ行ゆかないんかね」
「もう歸かへらなくちやならんのですけど、身體からだがよくなつたら明日あすにも來きて吳くれなくちや困こまるつて、今いまも手紙てがみが來きたのですけど、私わたしもうあんな騷々さう〴〵しい所ところは厭あき〳〵しましたから」と萎しほれた聲こゑで云いつた。顏かほにも萎しほれた色いろが動うごいたのであらうが、私わたしはよく見みなかつた。
「だつて仕方しかたがないぢやないか、行ゆかなくちやお母つかさんが承知しやうちしないんだらう」
「だつて私わたし厭いやで〳〵、とてもこの上うへ半歲はんとしも辛抱しんばうしちやゐられませんもの」
「さうかねえ、しかし世よの中なかはどうしたつて氣樂きらくで通とほれりやしないんだから、まあ若わかい中うちに我慢がまんして苦勞くらうするさ、お靜しづさんなんか女をんなはよし氣立きだてもいゝんだから」と、私わたしは辭書じゝよを引ひき〳〵、ちらと顏かほを見みた。女をんなの目めは早はや濡うるんでゐる。
「そんな酷ひどいことを云いつて」と、聲こゑは四邊あたりを憚はゞかつて、顏かほ付つきで不平ふへいを訴うつたへる。
「何故なぜ、お靜しづさんなんかこそ、出世しゆつせする運うんを持もつてるぢやないか、去年きよねんからお母つかさんが來くる度たびに自慢じまんしてゐたよ、大商人おほあきんどの家うちへ奉公ほうこうして、大變たいへんお氣きに入いつてるんだつて、今いまでも家うちの娘むすめが〳〵と五月蠅うるさい程ほど云いつてるよ。」
近所きんじよではお靜しづをさる穩居いんきよの妾めかけであるとか、怪あやしい商賣しやうばいをしてゐるとか蔭口かげぐちを利きいてゐるが、私わたしはそれを確たしかには信しんじてゐない。二三年前ねんまへにこそ一時じ心こゝろの浮立うきたつて、忍しのび〳〵に弄もてあそむでは、世よの中なかへ出初でぞめの淋さびしさ苦くるしさを忘わすれたこともあつたが、今いまでは初戀はつこひの思おもひ出でも只たゞ人事ひとごとのやうな氣きがしてゐる。お靜しづはさうは思おもつてゐない。私わたしにも昔むかしの心持こゝろもちが繰返くりかへすものと思おもつてゐるのであらう。
「お母つかさんは私わたしが目めを廻まはして死しんだつて、何なんとも思おもつてやしないんですもの、人中ひとなかへ出だして氣骨きぼねを折をらせてお母つかさんは私わたしをどうしやうと思おもつてるんでせう、先日こないだもお話はなしたあのことでね」と、お靜しづは首俯うつむいて、淚なみだぐんだ聲こゑをする。
「おい〳〵先日こなひだの話はなしはもう願ねがひ下さげだよ、耳みゝにたこ﹅﹅の出來できる程ほど聞きかされたんだからな、そんなことを云いつてクヨ〳〵しとるから病氣びやうきに取付とりつかれて、靑あをくなつてなくちやならん、下くだらないぢやないか、それよりや早はやく手賴たよりになる男をとこでも捜さがし出だして、面白おもしろい日ひを送おくる方はうがいゝぜ、一昨年おとゝしだつたか、日本橋にほんばしへ行ゆく前まへにや大變たいへん元氣げんきのいゝ事ことを云いつてたぢやないか」と、あの時ときお靜しづが私わたしとの關係かんけいはけろり﹅﹅﹅と忘わすれたやうにして、寶たからの山やまへでも入はいる氣きで、日本橋にほんばしとかへ旅立たびだつ時分じぶんの得意とくいの樣さまを思おもつた。
お靜しづはシク〳〵泣なき出だした。で、今いまにも一昨日おとゝひのやうに、怨うらんだ言葉ことば自棄やけになりさうな文句もんくで、私わたしの心こゝろを動うごかさうとするだらうと待設まちまうけながら、書物しよもつの頁ページを飛とばせてゐると、ザーツと手水鉢てうづばちに水みづを入いれる音おとがした。頭あたまを上あげると下女げぢよがバケツを持もつて、不思議ふしぎさうにお靜しづを見みてゐる。
樹木じゆもくも草花くさばなもない狹せまい庭にはは蔭かげつて、隣となりの二階かいの壁かべにのみ冴さえた光ひかりが止とゞまつてゐる。下女げぢよは勝手かつてへ廻まはりながら、まだ振返ふりかへり〳〵見みてゐる。
豐島とよしまも目めを覺さました。片頰かたほゝに赤あかく疊たゝみの形かたを殘のこして、拳こぶしで目めをこすつてゐる。
「お靜しづさんぢやあ明日あすの晩ばんにでもゐらつしやい」と、私わたしは外方そとへ向むかつて笑顏ゑがほで柔やさしく云いつて障子しやうじを締しめ、
「もう醒さめたかい、茫然ぼんやりしてるね」
「うん」と起上おきあがつて、帶おびをキチンと締直しめなほし、一ひとつ欠伸あくびをして、「さあ歸かへらう」
「まあいゝぢやないか、何なにか僕ぼくに用事ようじはないんか」
「うん、用事ようじもあるんだが、又また二三日中にちうちに來こよう、これから本鄉ほんがうへ行ゆくから、加瀨かせの家うちへも寄よるかも知しれん」
「あまり彼奴あいつを意地いぢめるなよ」
豐島とよしまは外ほかに急用きふようでも控ひかへてゐるやうに、急いそいで門もんを出でた。後あとに「敷島しきしま」の袋ふくろを置忘おきわすれてゐた。袋ふくろの中なかには煙草たばこが二本ほんと白銅はくどうが二ふたつ入はいつてゐる。
私わたしはこの夜よ故鄕こきやうの弟おとうとへの手紙てがみを書かいた。中なかには「出來できるだけの事ことをして、それでも食くへなければ仕方しかたがない、一家か擧こぞつて乞食こじきになつて諸國しよこくを流浪るらうしやうぢやないか、おれもその仲間なかまになつてもよい、何なにをしても一生しやうだ」と、筆ふでの拍子ひやうしでこんなこと迄まで書かき添そえた。
(七)
私わたしは學校がくかうの生徒せいとに人望じんばうのある方はうでもないが、敢あえて不評判ふひやうばんでもない、職務しよくむに精勤せいきんする方はうではなく、病やまひと稱しやうして缺席けつせきすることも多おほいが、免職めんしよくされる程ほど怠なまけはせぬ。增給ざうきうも覺束おぼつかなけれど、これで當分たうぶん食くひはづしもないから不平ふへいを云いふ必要ひつえうもない。衣食いしよくの慾よくは少すくなく、外ほかに娯樂ごらくを求もとめるのでもない。そして豐島とよしまなどの二三の友人いうじんがちよい〳〵訪たづねて來くるので、無聊ぶれうで苦くるしむ時ときも少すくない。此頃このごろは豐島とよしまの外ほかに、加瀨かせの宿やどで會あつた小山こやまが屡々しば〳〵顏かほを出だすやうになつたが、この新奇しんきな友人いうじんは初對面しよたいめんの折をりからスツカリ私わたしの氣きに入いつた。此方こつちから碎くだけて話はなしかけると、直すぐ私わたしの懷ふところに入はいつて來くる。その呑氣のんきらしい容貌ようばうと心こゝろ、微塵みじんも苦味にがみ辛味からみのなく、ポカンとして無駄むだ口ぐちを利きく工合ぐあひが面白おもしろい。で、「君きみは話はなせる、學校がくかうの先生せんせい連中れんちうは元もとよりだが、豐島とよしまだつて加瀨かせだつて娑婆しやば臭くさくつて鼻はな持もちもならん、君きみは流石さすがに江戶えどツ兒こだ、社會しやくわいを咀のろつて革命かくめいを唱となへるでもなし、加瀨かせのやうに見得坊みえばうでもなし」と感服かんぷくすると、小山こやまも多少たせう得意とくいになつて、「加瀨かせ君くんのやうにしてちや、さぞ氣骨きぼねの折をれるこつでせう」と笑わらふ。
或日あるひの正午ひる過すぎに上野うへのを散步さんぽしてゐると、小山こやまが縞しまの羽織はおりに袴はかまを着つけ、不似合ふにあひな山高やまたか帽子ぼうしを被かぶり、少すこし仰向あふむいて口くちを開あけ、左ひだりの手てで突つき袂たもとをして廣吿隊くわうこくたいの後あとから澄すまして步あるいて來きたが、その樣子やうすが甚はなはだ面白おもしろかつた。私わたしは呼止よびとめて、一緖しよに夕方ゆふがたまで遊あそび暮くらしたが、彼かれは女をんなの步あるき振ぶりから、その心理しんり上じやう生理せいり上じやうの批判ひはんを下くだすと云いつて、左右さいうを顧かへりみては、毒どくのない毒語どくごを放はなち、
「巧うまいもんでせう、加瀨かせ君くんにもよく敎をしへてやるんですよ、僕ぼくが多年たねんの經驗けいけんから歸納きなうした結果けつくわですから、一々いち〳〵的中てきちうします」
と自慢じまんした。會あふ度たび每ごとにお樂らくの身みの上うへも加瀨かせの秘密ひみつも、面白おもしろさうに話はなして、多少たせうのお景物けいぶつまで添そへる。「お樂らくの事ことは、もう加瀨かせ先生せんせいがちやんと﹅﹅﹅﹅一人ひとりで呑込のみこんでる、おれが見込みこんだらどんな女をんなでも厭いやとは云いはせんと、自分じぶんで確信かくしんしてるんです」とか「貴下あなたのこともよく例れいに引ひいて、あの男をとこはとても女をんなに好すかれりやしないと云いつてる」とか、調子てうしに乗のつて喋舌しやべる。
この男をとこに連つられて、私わたしはお樂らくの家うちへも行いつた。お樂らくは從姉いとこと二人ふたりで徒士町おかちまちの或ある小役人こやくにんの二階かいを借かりて自炊じすゐをしてゐる。遞信省ていしんしやうの女をんな判任官はんにんくわんで十二三圓ゑんの月收げつしうがあるらしい。
私わたしの訪たづねた時ときは、お樂らくは役所やくしよから歸かへつて、袴はかまを疊たゝんでゐた。部屋へやは廣ひろくないのに、簞笥たんすや鏡臺けうだいや針刺はりさしや、諸道具しよだうぐが一通ひとゝほり揃そろつてゐるのだから、非常ひじやうに窮屈きうくつだ。小形こがたの低ひくい机つくゑの上うへには加瀨かせ編輯へんしうの婦人ふじん雜誌ざつしと貸本屋かしほんやの小說せうせつが載のつてある。
小山こやまは餘程よほど懇意こんいだと見みえて、いきなり﹅﹅﹅﹅胡床あぐらを搔かいて、「おい、お樂らくさん、今日けふは加瀨かせの代かはりに須崎すさき先生せんせいを連つれて來きたよ、御馳走ごちさうしないか」と云いつた調子てうし、お樂らくはあまり馴々なれ〳〵しくもなく愛嬌あいけうも賣うらず、初々うい〳〵しく私わたしに挨拶あひさつをした。私わたしはろくに口くちも利きかず、只たゞ小山こやまの喋舌おしやべりとお樂らくの擧動きよどうを注目ちういしてゐた。この女をんな田舎ゐなかには兩親りやうしんがあるのださうだが、何故なぜ歲頃としごろになつて結婚けつこんもせず、こんな風ふうに暮くらしてゐるのだらう、加瀨かせが愛あいしてゐると云いつて、それがどの位くらゐ進行しんかうしてゐるのだらう、小山こやまから聞きいたゞけでは腑ふに落おちぬことが多おほい。