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Chapter 45: (八)
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About This Book

A collection of short narratives observing everyday life with quiet irony and psychological acuity. Episodes range from rainy nocturnal street encounters and modest restaurant interiors to household caretaking, money worries, and spirited conversations, with emphasis on conversational detail and inward reflection. Recurring concerns include youth and aging, social manners, and the small compromises that shape relationships, while moments of wry humour alternate with sombre introspection. The pieces favor closely drawn scenes and social observation over extended plot, offering compact studies of character and mood.

小山こやままどしきゐこしけ、ひざかさねて貧乏搖びんばふゆるぎをしながら、

今夜こんやねえさんは何處どこかへつたのかい」

「えゝ、一寸ちよつと道寄みちよりしたのよ、もうかへるでせう」

かへつたらんなで散步さんぽしようか」

わたし散步さんぽなんかいやだわ」

「おらくさんは消極的せうきよくてきだからいかん、もつと活潑くわつぱつにハキ〳〵しなくちや駄目だめだよ」

「さうですかねえ」と、おらく不愛相ぶあいさうふ。そしておちやんで、あと几帳面きちやうめんすわつて身動みうごきもしない。

今日けふはおらくさんはどうかしてるね、加瀨かせれてんから不平ふへいなんぢやないか」と、小山こやまひやかすやうにつたが、おらくなんともこたへず、すこ俯首うつむいて、ひざうへ指先ゆびさきをいぢつてゐる。

過日こなひだ加瀨かせ何處どこかへ散步さんぽしたさうだね、あのときらくさんがこんなことつてたつて、みんなぼくはなしたよ、それでね加瀨かせ近々きん〳〵うちつとつてしきりに準備じゆんびをしとる。おらくさんのためにもしゆくすべきことだね、二かいりをしてお役所やくしよがよひなんかしないでもいゝんだから」と、小山こやま相手あひてかほいろには無頓着むとんちやくふと、おらくはツンとして、

小山こやまさんは何時いつひと馬鹿ばかにしとるのね」

何故なぜぼくはおらくさんには敬意けいゝはらつてるから、その幸福かうふくのために盡力じんりよくしてるんぢやないか」

「もう澤山たくさん!」

「ぢやそのはなしそう」と、小山こやまわたしはうき、「きみ近々きん〳〵大久保おほくぼであのくわいをやらうぢやありませんか、そのときやおらくさんも是非ぜひでよ、このひとうち演藝會えんげいくわいをやるんだから、ぼくが一しよきやねえさんもなんともやあしないだらう」

わたしもう何處どこへもかないわ」

「だつて須崎すさきくんうちならいゝぢやないか、このひとぼくにも加瀨かせくんにも親友しんいうだし、大變たいへん學者がくしやだから。こんなこはかほをしてるけれど、これでかる面白おもしろひとだよ、時々ときどきあそびにつて御覽ごらん二人ふたり長唄ながうたでもうたつて陽氣やうきにやるも、加瀨かせくん差向さしむかひでニヤリ〳〵わらつてるよりやいゝよ」

わたし退屈たいくつして苦笑くせうして、「もうかへらうぢやないか」と小山こやまうながした。

小山こやま容易よういかへらうともせず、「ねえさんはどうしたのだらう」と氣遣きづかつてゐたが、しばらくすると無斷むだん階下したりた。だれかと高聲たかごゑはなしてゐる。

わたし窓際まどぎはへすりつて、正面まともにおらくた。以前いぜん加瀨かせ宿やどときよりは、すこいろわるもあのときほどえてゐない。

小山こやまくんはよくるんですか」

「えゝ、一にちぐらゐらつしやるんですわ」

なにをするのです、あのひと面白おもしろいでせう」

「えゝ、お喋舌しやべりばつかりして」と、まゆひそめて、さも不愉快ゆくわいさうだ。

「あれほど毒氣ゞくけのない秘密ひみつのないをとこもない、だからんなにかれるんです、加瀨かせなんかもあのひとにはなにもかも打明うちあけるとえて、ぼくのやうなながあひだ友人いうじんらんことまで小山こやまくんつてゐます」

「ですけど小山こやまさんにだつて、秘密ひみつはあるでせう、人間にんげんれにだつて秘密ひみつはあるんですもの」と滅入めいつたこゑだ。

「さうですかねえ、しかし小山こやま加瀨かせ秘密ひみつといつて、たかがきつと情婦いろをんなこしらえとくくらゐのことだらう」とひやゝかにわらつて、殊更ことさら侮蔑ぶべつするやうな目付めつきでジツと相手あひてた。それがおらくには身震みぶるひするほどかんじをあたへたらしい。つツとつて階下したりた。わたしあと見送みおくつて姿すがたのいゝをんなだとおもつた。すくなくもおしづよりは生々いき〳〵してゐる。そして小山こやまふやうにこのをんな加瀨かせこひしてゐるとおもふと、なんとなく不愉快ふゆくわいへんかんじがする。

しばらくしてわたし階下したりた。小山こやま緣側えんがはふとつたをんなひそかになにかたひ、おらく長火鉢ながひばちまへ夕刊ゆふかん新聞しんぶんみながら、橫目よこめでそのはう偸見ぬすみゝしてゐた。

「あれはれだ」と、かへみち小山こやまくと、

「おらくあねさ」と、簡單かんたんこたへて、何時いつものお喋舌しやべりつゞけない。

「おらくめうをんなだね、」

「あれも馬鹿ばかいてるときと、めうひねくれ﹅﹅﹅﹅ときとある」

このからおらくわたしあたまひとつのわだかまりとなつてのこつた。なつかしくもゆかしくもおもふのではないが、たゞ一二年前ねんぜんしづわかれて以来いらいわたしれいのない一しゆのインテレストを惹起ひきおこしたのだ。何故なぜだらう、わたしはおらく加瀨かせこひ疑問ぎもんいだいてゐるので、その經過けいくわたいとおも好奇心かうきしんから、らず〴〵おらくわたしこゝろらなくなつたのだらうとおもつた。で、おらくもつと﹅﹅﹅打解うちとけてはなして、あの淺薄せんぱく加瀨かせがどんなふうをんなこゝろうつつてゐるか、眞相しんさうさぐつてたいが、容易ようい懇意こんいにはなれぬ。

このしばらくわたし土州橋としうばしわたることがしげくなつた。それにつれて財政ざいせい平調へいてうやぶれた。

(八)

大久保おほくぼ躑躅つゝぢいてひと出入でいりおほくなつた。わたしうちへも來客らいきやくおほい。わたし財囊ざいのう缺乏けつばふかんじて、内職ないしよく原稿げんかうかせぎでもしようかとおもつてゐたが、手近てぢかところさばぐちがない。加瀨かせたのむのはいやだ。駈廻かけまはつて面識めんしきあさひと嘆願たんぐわんするのもあさましいがする。まだ二十七さいわか身空みそらで、あふ幻影まぼろしもなく、たゞ刻々こく〳〵肉慾にくよくたさんがために、わづかのかねもとめてゐる自身じゝん可笑おかしくかんぜられた。

或日あるひ加瀨かせ小山こやまとが躑躅つゝぢかへりに立寄たちよつた。加瀨かせくちびる臙脂べにをさしたやうにあかい。しろほそながゆびきいろい指環ゆびわめてゐる。

此頃このごろ徒士町おかちまちへよくくかね」と、わたし加瀨かせるとぐにうた。

ぼくよりや小山こやまくんはうがよくく」と、加瀨かせはニヤリ〳〵わらふ。

きみもよくくぢやないか、しかしね須崎君すさきくんきみ徒士町おかちまちであまり評判ひやうばんがよくないよ、なんだか意地いぢわるさうなひとだとつてる、ぼくしきりに辯護べんごするんだけど」

「さうかねえ、こまつたものだねえ」

きみわざつ﹅﹅﹅をんな侮蔑ぶべつするやうな態度たいどるからさ、やさしくさへすればをんなよろこんでる、きみくだらないとふだらうが、それでをんなもてあそんでりや、面白おもしろいぢやないか」と加瀨かせめづらしく氣焔きえんく。

きみ小山こやまくんくち眞似まねをするやうになつたね、ぼくきみこひ眞面目まじめなんかとおもつてたのに、ぢや浮氣うはきなんだね」

浮氣うはきでもない、それがこひ本體ほんたいさ。せつぱつまつたやうなこひ駄目だめだからね、餘裕よゆうのあるこひでなくちやぼくはいやだ。面白味おもしろみ其處そこにある」

きみ進步しんぽしたもんだね」と、わたし加瀨かせがこのうち同居どうきよしてゐた時分じぶん追想つゐさうした。いまれのは、邪推じやすゐらぬがわたしあはれむやうにえる。

なにしろ加瀨かせくんかねがあるからかなはない。ほかてんではあえて一ゆづらんがね」と、小山こやま歎息たんそくした。

加瀨かせ勝利者しやうりしやごとわらつて、「このひといまこひくるしみをしてるんだよ」

わたしかさねてかうともしなかつた。加瀨かせ拍子ひやうしけがして、よこいて小山こやま小聲こゞゑはなした。

徒士町おかちまちあねはう夜遊よあそびをするさうだ、あのうち妻君さいくん皮肉ひにくつてたがかゝるよ、以前いぜん隨分ずゐぶんはくのあつたをんならしいからね」

はや結婚けつこんしてしまへばいゝぢやないか」

ところうまくさういかんよ、いざとなるとげてしまうし」

いもうととはちがうね」

いもうとだつてわかるものか」

「ハツ〳〵、きみをんながない、いもうと純潔じゆんけつなものだ、役所やくしよはうでも評判ひやうばんがいゝし、あんなになまけないではたらいてるんだもの、そだちがいやしいのに似合にあはず、あれだけに仕上しあげたんだからね、」

きみ成功者せいこうしやだが」と、小山こやま溜息ためいきいた。

小山こやまくん婦人學ふじんがく理論りろんのみだね」と、わたしよこからひやかすと、小山こやまは「さうでもないさ」とつて、グツタリくびれた。その樣子やうす可笑おかしくてならぬ。

しかし小山こやましづんだ調子てうしもなくえて、にぎやかな世間せけんばなしとなつた。

彼等かれらひとしきりさわいで、ランプをつけるころかへつた。徒士町おかちまちかうと二人ふたり約束やくそくして、わたしをもさそうたが、わたしはそれにおうじなかつた。

夕餐ゆふめしをはると戶外そとた。無意味むいみ散步さんぽして、散步さんぽしながら加瀨かせ小山こやまとが徒士町おかちまちの二かいたはむれて現拔うつゝぬかしてゐるさまおもうかべた。二人ふたりとも年中ねんぢうきもせずにあそんでゐる。加瀨かせやつ仕事しごと愉快ゆくわいだとふ。やがて雜誌ざつし主任しゆにん昇進しやうしんするさうだ。案山子かゝしにフロツクコートをせたやうなをとこ通用つうようするなかだとおもふと可笑をかしいと、わたしいてあざけつて冷笑れいせうしてやつた。

はなつて靑葉あをばやはらかかぜそよいでゐる。のきランプもない薄暗うすぐらわたしいへまへには、子供こども大勢おほぜいさわいでゐるのがきこえる。

わたし小徑こみちを五六ちやう行戾ゆきもどりして、いへそばまでると座敷ざしき障子しやうじ燈火あかりうつつてゐる。してはずだが、れかきやくでもたのかと、多少たせうゝれしかつた。

座敷ざしきあがつてると、おしづ片隅かたすみ兩袖りやうそで搔合かきあはせてすわつてゐる。矢張やはりかほあをくちびるいろせてゐれど、このまへほどいやかんぜられなかつた。

また日本橋にほんばしつたといてたが、まだるんだね」

「まだ身體からだがよくなりませんから、……どうせ駄目だめなのですから」と、こゑえせずいやおんだ。

けれどわたしはあまりにくまれぐちかなかつた。ひややかしもしなかつた。かつわたしてゝ他所よそつたこのをんな火鉢ひばちへだてゝ差向さしむかひで、夜更よふけるまで物語ものがたつた。下手へたうそつてるなと折々をり〳〵こゝろあざけりながら、をんな苦勞くらうばなしいてやつた。