(九)
その翌日よくじつ、朝あさ早はやく出勤しゆつきん前まへに豐島とよしまからのハガキが着ついた。「午後ごゞ學校がくかうへ尋たづねて行ゆくから待まつてゐて吳くれ」と鉛筆えんぴつで書かいてある。どうせ碌ろくな用事ようじでもあるまいと思おもつたが、別べつに歸宅きたくを急いそぎもせぬから、私わたしは同僚どうれうが皆みな引擧ひきあげた後あとに居殘ゐのこつて、この日ひの宿直しゆくちよくの長沼ながぬまと土臭つちくさい番茶ばんちやを啜すゝりながら話はなしをしてゐた。長沼ながぬまは私わたしよりも七なゝツ八やツ年上としうへで、子供こどもが二人ふたりもあるのに、月給げつきうは却かへつて私わたしよりも少すくなく、生計くらしには隨分ずゐぶん苦勞くらうしてゐるのだが、人間にんげんが一風ぷう異かはつてゐて、敎場けうぢやうで鷄とりの泣なく眞似まねをしたり、妙めうな身振みぶりをして生徒せいとを喜よろこばせてゐる。同僚どうれうの中うちでは一番ばん私わたしと話はなしが合あふ方はうだ。
「今日けふも僕ぼくあさんざ失敗しくじりましたよ、晚酌ばんしやくをやり過すごして下讀したよみを懶なまけたもんだから、下くだらんことで間違まちがひを仕出しでかして、生徒せいとの奴やつにうん﹅﹅と油あぶらを取とられました。その上うへ校長かうちやう先生せんせいから手嚴てきびしい忠吿ちうこくを喰くひましてな、敎場けうぢやうで飄輕ひやうきんな眞似まねをしちやならん、敎場けうぢやうは神聖しんせいな所ところだから飽あくまでも眞面目まじめでなくちやならんと懇々こん〳〵と說諭せつゆされて、イヤハヤ面目めんぼくもない次第しだいですよ、しかし飄輕ひやうきんだからまだ、私わたしに脈みやくがあるんですが、これで御說諭ごせつゆ通どほり辛蟲にがむし嚙かみつぶした間違まちがひをやつてた日ひにや、生徒せいとの方はうで承知しやうちしません、校長かうちやう先生せんせいも殘酷ざんこくなことを申まをされるもんです、」と長沼ながぬまは安値やすい刻きざみ煙草たばこを吸すひながら眞面目まじめで云いふ。
「けれど君きみは間違まちがひを氣きに掛かけるだけ眞面目まじめなんです、それだけ正直しやうじきなんだ、高たかが丁年ていねん未滿みまんの子供こどもぢやありませんか、口先くちさきで甘うまく云ひひまるめりやいゝんですよ」と、私わたしが事こともなげに云いふと、
「まあそんな者ものですがね」と、長沼ながぬまはヒツ〳〵と味あぢのない笑わらひ方かたをして、「私わたしはどうも敎育けういくだけは外ほかの事こととは違ちがつてる、尊たつとい者ものだと思おもうのでしてな、生徒せいとの顏かほを見みると、忠實ちうじつによく敎をしへてやりたい少すこしでも早はやく學業がくぎやうの進すゝむやうに導みちびいてやりたいと思おもうんですが、其處そこがそれ、私わたしに學識がくしきが足たらんもんですからな、どうも不行屆ふゆきとゞきで汗顏かん〴〵の至いたりに堪たへん譯わけです、と云いつて辭職じゝよくすれば外ほかに糊口くちすぎの道みちがあるぢやなし」
「それだけ眞面目まじめなら貴下あなたは立派りつぱな敎師けうしです、少すこし位ぐらゐ誤謬ごびやうを傳つたへようと、飄輕ひやうきんな眞似まねをしようと差支さしつかえないさ、僕ぼくなんか少年せうねんを愛あいする氣きもないから、初はじめから敎授けうじゆに身みの入はいつたことはないのです」
「そりや君きみに子供こどもがないからですよ、自分じぶんに子こがあつて見みりや、他人たにんの子こも矢張やはり可愛かあいい、よく敎育けういくしてやりたくなりますよ、何なにも經驗けいけんだ、まあ子こを持もつて御覽ごらんなさい、世よの中なかががらり﹅﹅﹅と異かはつて來きますからね」
「子こを持もつと敎場けうぢやうで飄輕ひやうきんな眞似まねをして、生徒せいとの御機嫌ごきげんと執とるやうになるんですね」と笑わらふと、長沼ながぬまも苦笑くせうして、
「まあ、そんな者ものさねえ」と云いつて、風呂敷ふろしきの中なかから講談かうだんの「佐倉さくら義民傳ぎみんでん」を取出とりだし、「今夜こんやはこれをお伽とぎで宿直しゆくちよくするのだ」と、机つくゑの上うへに廣ひろげて小聲こゞゑで讀よみ出だした。言分いひぶんが氣きに入いらぬのか、もう私わたしを相手あひてにしない。暫しばらくして豐島とよしまが下駄げたのまゝ敎員室けうゐんしつへ入はいつて來きた。私わたしはほん﹅﹅の型式的けいしきてきに長沼ながぬまを紹介しやうかいした。豐島とよしまは「今日けふは馬鹿ばかに蒸暑むしあついぢやないか」と、袷あはせの袖そでで額ひたひの汗あせを拭ぬぐふて目めをパチクリさせ、それから一輪りんの花はなも一幅ぷくの繪ゑもない薄汚うすぎたない敎員室けうゐんしつを見渡みわたした。
「何なにか急用きふようか」と、私わたしの方はうから問とふた。この男をとこ何なんでもない事ことに、さも急用きふようのあるらしく、惶あわただしさうに出でたり入はいつたりする男をとこだが、今日けふもその顏かほ付つきが大事だいじを扣ひかへた人ひととも見みえぬ。
「僕ぼくは辭職じゝよくした」と、豐島とよしまは大聲おほごゑで簡短かんたん明瞭めいれうに云いつた。
「さうか」と云いつたきり、私わたしは折返をりかへして理由りゆうを聞ききもしなかつたが、長沼ながぬまは片手かたてで書物しよもつを壓おさへ、ヂロ〳〵豐島とよしまの顏かほを見みて、聞耳きゝみゝ立たてた。
「俗ぞくな事ことを書かかにや氣きに入いらんのだから、癪しやくに觸さはつて、僕ぼくの方はうから出でてしまつた。もう向むかうから賴たのんだつて、あんな仕事しごとをやりやしない」と獨ひとりで力りきんだ。
「それもいゝさ、君きみにはあんな俗務ぞくむは不適當ふてきたうだからな、これから君きみの本音ほんねを出だして活動くわつどうするさ」
「むん、………それから君きみにお願ねがひだが、當分たうぶん君きみの家うちに置おいて吳くれんか、迷惑めいわくだらうが」と少すこし言淀いひよどんだ。
「僕ぼくの家うちにか」と、私わたしは躊躇ちうちよしたが、「ぢや來玉きたまへ、今夜こんやからでも」
「有難ありがたう、二三日ち内うちに荷物にもつを持もつて行ゆく、そうすりや僕ぼくも安心あんしんして活動くわつどうが出來できる」と云いつて、豐島とよしまは再ふたゝび室内しつないを見渡みわたした。夕日ゆふひはガラス窓まどを通とほして、埃ほこりの舞まふのが見みえる。
長沼ながぬまは自みづから立たつて澁茶しぶちやを吸くんで、豐島とよしまの前まへに置おいた。豐島とよしまは一息ひといきに呑のみ干ほして、
「此處こゝも汚きたない學校がくかうだね、しかし君きみのやうな熱烈ねつれつな人間にんげんを容いれてるんだから、校長かうちやうもえらい」
(十)
前夜ぜんや私わたしが物好ものずきに柔やさしい素振そぶりを見みせたので、お靜しづはもう以前いぜんの燒木杭やけぼつくひが再ふたゝび燃もえ上あがつた氣きになつて、せつせと近ちかづいて來きたが、私わたしは最早もう腐くさつた菓實くだものを嗅かぐやうで、思おもはず顏かほを背そむけたい程ほどになる。そして「調しらべ物ものがある」とか、「金儲かねもうけをしてるんだから當分たうぶん來きて吳くれるな、その代かはり一二年ねん待まつてりや、お前まへの好すきなことをさしてやる」とか云いつて、追退をひのけるやうにした。間まもなく豐島とよしまが、越こして來きてからは、お靜しづを遠とほざけるに都合つがふがよくなつた。
豐島とよしまは柳行李やなぎかうりと机つくゑとの總財產さうざいさんを持込もちこんだ。何なにか著述ちよじゆつをしてゐるようであるが、大抵たいていは外出ぐわいしゆつして夕方ゆふがたに醉ゑうて歸かへることが多おほい。歸かへつての土產みやげ話ばなしには俗物ぞくぶつと同情どうじやうすべき人ひととの消息せうそくを傳つたへる。彼かれの世界せかいはハツキリこの二種しゆの人間にんげんに分類ぶんるゐされてゐるので、かの長沼ながぬまの如ごときは直すぐにその同情どうじやうされる人ひととなつた。「君きみ、あの男をとこは保護ほごしてやり玉たまへ」と、度々たび〳〵心こゝろの底そこから私わたしに賴たのむことがある。又また彼かれの崇拜者すうはいしやもあつて、折々をり〳〵訪たづねて來きて、夜更よふける迄まで熱烈ねつれつな議論ぎろんが戰たゝかはされる。
「社會しやくわいに反抗はんこうするのもいゝが、その前まへに生活くらしの法はふぐらゐ考かんがへとかうぢやないか」と、私わたしが注意ちういすると、
「なあに僕ぼくあ一人ひとり身みだ、生活せいくわつなんか考かんがへる必要ひつえうはない、僕ぼくあ食くへなけや放浪はうらうする、水みづばかり呑のんでゝも、爲なすだけのことはして見みせる」と取合とりあはぬ。
「ぢや何時いつかの俗化ぞくゝわ主義しゆぎはお止やめだね」
「止やめざるを得えないんだ、君きみもどうせ世よに容いれられんのだから、放浪はうらう生活せいくわつをしろ、僕ぼくと一緖しよにやらう」
「先まづ君きみから經驗けいけんして見玉みたまへ、面白おもしろけりや僕ぼくもやるよ」
そして彼かれは繩暖簾なはのれんをくゞつて、泥醉でいすゐの後のち突如とつぢよとして汗臭あせくさい勞働者らうどうしやの腕うでを握にぎり、その硬張こわばつた手ての掌ひらに熱淚ねつるゐを濺そゝぎ、「僕ぼくは君きみの兄弟きやうだいだ」と叫さけんで、周圍まはりの客きやくを驚おどろかすこともあるが、彼かれ自身じゝんは敢あえてその好すきな放浪はうらう無宿むしゆくの人ひとともならぬ。手てに鶴嘴つるはしを持もたうともせぬ。私わたしの家いへによく寢ねて、よく飮のみよく食くつてゐる。
日ひが立たつにつれて、收入しうにふの一定ていした私わたしの財政ざいせいは次第しだいに窮境きうけうに陷おちいる。豐島とよしまのためにも亂みだされたのだ。しかし彼かれは私わたしを信しんじ切きつてゐる。私わたしの迷惑めいわくなどは微塵みぢんも念頭ねんとうに置おいてゐない。「困こまつたら二人ふたりで放浪はうらうするさ」と、放浪はうらうの夢ゆめを描ゑがいて見みせるが、私わたしにはそれが何なんの興味きようみもない。彼かれは放浪はうらう流離りうり薄命はくめいの文字もじを見みてすら胸むねを躍おどらすであらうが、私わたしには艶つやも香にほひもない空くうな文字もじたるに過すぎぬ。それで彼かれが無職むしよくの徒とや貧民ひんみんと無理强むりぢいに交際かうさいを結むすび、彼等かれらに解かいし難がたい氣燄きえんを吐はいて樂たのしみとしてゐる間あひだに、私わたしは小山こやまに會あひ、加瀨かせ一輩ぱいの噂うはさを聞きいて、眠ねむつた心こゝろを醒さましてゐた。
(十一)
豐島とよしま同居どうきよ以來いらい小山こやまは前程まへほど繁々しげ〳〵と訪たづねて來こぬ。豐島とよしまを嫌きらつてか、戀事いろごとに忙せわしいためかであらう。私わたしはこの人ひとばかりは會あひたくなるので、或日あるひ學校がくかうの歸かへりに立寄たちよつたが、朝あさから歸かへらぬさうだ。
私わたしは失望しつばうした。暫しばらく上野うへのの電車道でんしやみちに立たつて、何處どこへ行ゆかうかと考かんがえた。そして目めを尖とがらせて停留場ていりうぢやうに集あつまつてゐる數多あまたの男女だんぢよを見みてゐたが、細ほそ長ながい顏かほ丸まるい顏かほ、皆みな夕日ゆうひを浴あびて、汗あせと埃ほこりに鈍染にじみ、疲つかれた色いろをしてゐる。久ひさしく雨あめを見みぬ空そらは冴さえぬ色いろをして、その一方ぱうは黃きいろく濁にごつてゐる。目めの逹とゞく限かぎり生氣せいきは見みえぬ。若々わか〳〵しい色いろも香かもない。
私わたしは屈託くつたくした。
その揚句あげくふとお樂らくを訪たづねる氣きになり、徒士町おかちまちへ足あしを向むけた。お樂らくには小山こやまのお供ともで二三度ど會あつたきりで親したしくないのみか、私わたしはあの女をんなに憚はゞかられてゐるのだ。しかしその憚はゞかられてゐる所ところへ推おしかけて行ゆくと云いふことが、私わたしの倦うんだ心こゝろを刺激しげきして多少たせうの活氣くわつきも湧わいて來くる。
威勢ゐせいよく格子戶かうしどを開あけて、宿やどの妻君さいくんに「小山こやまさんは來きてゐませんか」と聞きくと、「今いま入いらしつて直すぐお歸かへりになりました」といふ。
「ぢやお樂らくさんは」
「ゐらつしやいますよ」
私わたしはそれ丈だけ聞きいて、無遠慮ぶえんりよにつか〳〵二階かいへ上あがつた。お樂らくは俯首うつぶしになつて手紙てがみを讀よんでゐたが、慌あはてゝ居住ゐずまひを直なほして、私わたしを見上みあげげた。ニコリともせず澁々しぶ〳〵座蒲團ざぶとんを出だした。
「小山こやま君くんが來きてるかと思おもつて」と、私わたしは言譯いひわけをして、わざと柔やさしく馴々なれ〳〵しい風ふうをして、「どうです、僕ぼくの家うちへも遊あそびに來きませんか」
「はあ」と、女をんなは手紙てがみを卷まいて封筒ふうとうに入いれた。小山こやまの噂うはさ加瀨かせの話はなしと、勉つとめて相手あひてを誘さそつても、向むかうから乗のつて來こない。埃ほこりを吹寄ふきよせる風かぜを厭いとうて障子しやうじを締切しめきつてあれば、冬ふゆ洋服やうふく着用ちやくようの私わたしには暑苦あつくるしくて窮屈きうくつだ。で、物好ものずきにこんな所ところにゐるにも當あたらぬと思おもつたが、今日けふは不思議ふしぎに腰こしが据すわつて動うごかない。