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何處へ

Chapter 49: (十二)
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About This Book

A collection of short narratives observing everyday life with quiet irony and psychological acuity. Episodes range from rainy nocturnal street encounters and modest restaurant interiors to household caretaking, money worries, and spirited conversations, with emphasis on conversational detail and inward reflection. Recurring concerns include youth and aging, social manners, and the small compromises that shape relationships, while moments of wry humour alternate with sombre introspection. The pieces favor closely drawn scenes and social observation over extended plot, offering compact studies of character and mood.

わたし加瀨かせ結婚けつこんするまへに、不意ふいにこのをんなうばつて、加瀨かせはなかせたら面白おもしろからうとおもつた。小山こやまやその叔母をば從妹いとこまへならんで、加瀨かせにぶ神經しんけいおどろかしてやりたい。わたし嫉妬しつとからかうおもふのではない。たゞわたしにはいまでもポンチえる加瀨かせに、自分じぶん自身じしんをそのやうにかんじさせてたい。

そしてをんな口說くどくになん苦心くしんらう、失敗しつぱいづるわたしではない。他人たにん後指うしろゆびにするわたしではない。かねて電車でんしや飛下とびおりるくらゐ冒險ばうけんさへすれば、是非ぜひはせず、をんなものしんじてゐるのではないか、かつておしづにぎるだけで充分じふゞんであつた。かうおもつたが、おもふほど尙更なほさらくち活動くわつどうしなかつた。

らく女學ぢよがく雜誌ざつしした。むよりも屛風びやうぶがはりにしてわたし視線しせんけるのかもれぬ。わたしは「なに面白おもしろいことがいてありますか」と、雜誌ざつしひつたくるやうにつて、ひるがへしてた。表紙ひやうしうらに「△△女史ぢよしていす」といて、した加瀨かせ雅號ががうがある。おらくうらめしいかほつきをした。

「△△つて貴女あなたですか」と、わたしひやかすやうにつて、ジツとその文字もじ見詰みつめてゐたが、フイとおらくうつすと、おらくなみだたゝえてゐる。

なに御用ごようがあつて被入いらしつたんですか」と切口上きりこうじやうふ。

「えツ、べつ用事ようじもないんです」と、わたしおどろいてつた。

「ではなにしに被入いらしつたのです」と、わたしから雜誌ざつし奪返うばひかへし、表紙ひやうし引裂ひきさちかられてまるめながら、「貴下あなただつて加瀨かせさんだつて、わたし調戯からかいに被入いらつしやるんだわ、」

何故なぜ! そんなわけはないぢやありませんか、小山こやまくんかくぼく加瀨かせにそんな惡意あくいはないさ、こと加瀨かせ貴女あなた敬意けいゝひやうしてるんですもの」

加瀨かせさんとかゞうなすつたつて、わたしちつとも係合かゝりあひはありませんわ」と、おらくなみだぬぐつて、「なに面白おもしろくつて、みなさんは五月蠅うるさわたしうち被入いらつしやるんでせう、わたしねえさんのやうに惡戯ふざけたお相手あひて出來できませんから、わたし一人ひとりときには、もう何方どなたもおくださらぬやうにおねがまをします」と、きつとした口調くてうつた。

わたし多少たせうきまりがわるくないでもなかつたが、それよりもこのをんな不思議ふしぎかんじて、なほたうとはせぬ。

「そんなに我々われ〳〵きらはなくつてもいゝでせう、なに事情じゞやうがあるんですか」と、わたし微笑びせうしながらしづかにつた。

らくしばらくだまつてゐたが、きのむごい﹅﹅﹅言葉ことばどくかんじたのか、きふやさしい聲音こはねで、「此頃このごろ身體からだ加減かげんですか、人樣ひとさまにぎやかなおはなししますのが、なんだかつらいんですから、いつはじめからおにかゝらんはうがいゝとおもひますわ」

「さうですか、東片町ひがしかたまちへもあまりかんのですか」

「えゝ。ちつとも、何時いつ歌留多かるたくわいがあつて、貴下あなた被入いらしつたときまゐりましたきり、あのは一うかゞひませんの、」

「だがあの連中れんぢうはよく此家こゝるんでせう」

「はあ、………あの方逹かたゝち何故なぜあんなおはなしばかりなさるんでせう、雜誌ざつしにおきになつてることゝはまるちがつてますのね」おらくかほこゝろ落付おちついたやうだ。で、身體からだしなやかにげて、雜誌ざつし默讀もくどくしてゐたが、また起直おきなほつて雜誌ざつし指先ゆびさきでいぢくり﹅﹅﹅﹅ながら、「貴下あなた學校がくかう先生せんせいをしてらつしやるんですつてね」

「さうです、ちいさい私立しりつ學校がくかう敎師けうしだから、月給げつきうやすいし、加瀨かせのやうに贅澤ぜいたく出來できません、これで十ねんぢかくも苦學くがくして、こんな境遇けうぐうですからね………だが、貴女あなた何故なぜ二人ふたりつきりで部屋へやりをして、役所やくしよがよひなんかしてるのです、もつと小山こやまくんからは貴女あなたことをよくいてるけれど」

小山こやまさんがなにつたつててになるものですか、あんな淺薄せんぱくひと」と卑下さげすむやうにつて、「わたしどうかして一じつはやあねわかれて、一人ひとりくらしたいとおもひます、」

こゝろぼそいことをひますね、なにかんがへがあるんですか」

をんなでも學問がくもんしなくちやなりませんわね、わたしなんか小學校せうがくかう卒業そつげふしたばかりですから………」

「それで澤山たくさんさ、橫文字よこもじならふよりや三味線さみせんでもならつたはうをんならしくていゝ」

「ですけど、わたしちいさときから三味線さみせんなんかならつたのを後悔こうくわいしますわ、なんだかはやわすれてしまひたいやうながしますのよ」と、邪氣あどけないふうえる。

そしてわたし學校がくかう敎師けうしであるためか、わたしむかつて女子ぢよし學問がくもん方法はうはふ西洋せいやう音樂おんがく硏究けんきう順序じゆんじよ質問しつもんした。明治めいぢ女子ぢよし心掛こゝろがけ、あたらしい家庭かてい道德だうとくなど、女學ぢよがく雜誌ざつしからたとおもはれる問題もんだい提出ていしゆつして、漢語かんごまじりでわたし解答かいたふうながした。こんな問題もんだいならさぞ﹅﹅加瀨かせには興味きようみがあるであらうが、わたしみゝにはノンセンスだ、で、いゝ加減かげん返事へんじをして、「休日きうじつわたしうちへおでなさい」とつて、戶外そとた。

うちかへると、豐島とよしま垢染あかじみた單衣ひとへ肱枕ひぢまくらころんでゐたが、わたしると、あをかほ持上もちあげて、「今日けふはいやな天氣てんきだからあたまおもい」と、くちをもが〳〵させた。

さけまんからだらう」

「うん、かねがないから」

意氣地いくぢがないね」

すこつてたのを、いま乞食こじきにやつちまつた、………今日けふまたあのをんなたよ、あをかほをんなが、めうやつだね、なにをしにるんだらう、きみはどうしてつてるんだ」

以前いぜんこのとなりんでたのだ、あれのおふくろめしいてもらつたこともある、なにつてたか」

「いや、かへつちやつたが、あはれつぽいをんなだね、ぼく同情どうじやうする」

このれは豪語がうごかず、古行李ふるかうりけてかびへた浴衣ゆかたそで千切ちぎれた綿入わたいれ古雜誌ふるざつし古書物ふるしよもつ引出ひきだして整理せいりしてゐた。わたし散步さんぽがてらおしづうち周圍まはり迂路うろついて、うちものぬすんでおしづ引出ひきだした。鈍色にぶいろくもほしかくれ、をんなかほはつきり﹅﹅﹅﹅えなかつたが、わたしかほようともせぬ、こゑきたくもない。そしてひるたおらくやわらかいはだえ黑闇くらやみうちおもうかべながら、おしづそでれ、おしづいきれてゐた。

そのも二三しづつた。つたのち何時いつ不快ふくわいかんへぬので、豐島とよしまむかつて、「彼女あれまたたら追拂おつぱらつてれ、性質たちわるをんなだから」とたのんでく。しかし豐島とよしまは「同情どうじやうすべきをんな」とめてしまつて、わたし留守るすにも座敷ざしきとほしてむつまじくはなしをするやうになつた。

(十二)

てにもしないが、萬一まんいちらくわたしたづねてるかもれんと心待こゝろまちにすることもあつた。小山こやま十日とをかかほせぬ。

そのうちぐわつれる。わたし豐島とよしま同居どうきよ影響えいきやうして、月末げつまつはらひにこまつた。豐島とよしまきみ苦樂くらくともにするとつて、よごれた衣服きもの賣飛うりとばしたが、それが幾何いくらにならう。で、いつるに甲斐かひなきいへたゝんで下宿げしゆくをしようか、豐島とよしま追出おひだ口實こうじつにもなるし、それにおしづるに都合つがふもよしとおもひ、そろ〳〵安下宿やすげしゆく捜索さうさくはじめた。或日あるひ散步さんぽねて宿やどさがすつもりで、電車でんしやつたが、おもひがけなく向側むかうがは小山こやまがゐて、突如だしぬけに、「きみ大變たいへんへんこと出來できてね」と、くちとがらせてつた。

「そうか」と、わたしなに仰山げふさんさうにとこゝろではおもつてゐた。

徒士町おかちまち美人びじん二人ふたりともゐなくなつたよ、あのうちいても何處どこにゐるかわからないんだ、それに役所やくしよへもかんらしいよ、餘程よほどへんだよ」

「だがきみらせんとは不思議ふしぎだね、きらはれたのか」

どうだかね、此頃このごろいたのだが、あねはう隨分ずゐぶんはくのあるやつで、いろんなをとこ關係くわんけいしてたやうだがね」

きみもその一人ひとりぢやないか」

「だつてぼくすこしもかねつかはんからいゝさ」と、とぼけたかほをする。

加瀨かせ失望しつばうしてるだらう」と、わたし加瀨かせ悄氣しよげ樣子やうす想像さう〴〵してひやゝやかにわらつた。

「いや、あのをとこはそうでもない、あんなをんないくらもあらあとすましてゝ、此頃このごろしきりに品川しながは鳥屋とりやかよつてるよ」

と、つて、大聲おほごゑわらつて電車でんしやりた。

わたしはおらく行衞ゆくゑ不明ふめい愉快ゆくわいにもかんじたが、また何處どこつてなにをしてゐるかりたくもおもつた。をさへがたき一しゆ好奇心かうきしんられて、わざ〴〵徒士町おかちまち舊宅きうたくたづねたが、妻君さいくん猜疑さいぎわたして、「ぞんじません」と卒氣そつけない返事へんじをして、とりつくしまもない。そのうちわたしわづかの家財かざい賣拂うりはらつて、こつそり﹅﹅﹅﹅いち下宿げしゆくうつつた。豐島とよしまべつ不平ふへいはずからつぽの古行李ふるかうり古机ふるづくゑとをつてつた。豐島とよしまにははなれ、むを些少させう借金しやくきん片付かたづき、おしづには住所じうしよらせねば、むかうからたづねることも途絕とだえ、わたし以前いぜんごとしづかなおくり、たゞ小山こやまとのみ往來わうらいして、加瀨かせうはさ靑年せいねん消息せうそくかたつてはひやかしたりあざけつたりしてよろこんでゐた。箱崎町はこざきちやうがよひももととほり。

平坦へいたんれて平坦へいたんける。煙草たばこんでいく時間じかんすごすこともおほい。痴鈍ちどん長沼ながぬまにもわたし不思議ふしぎえたのか或日あるひ敎員室けうゐんしつで、

きみ田舎ゐなかいへがあるんだから、敎師けうしなんかしないで、田舎ゐなかかへつたらいゝぢやないか」と眞面目まじめでいつた。

ぼく田舎ゐなかおもしてもぞつ﹅﹅とする、これで東京とうきやうればこそ、れがなうとわづらはうと、いぬねこ同樣どうやうてゐられるんだが、田舎ゐなかはそういかんからね」