と話はなしを轉てんじ、「で、君きみは此頃このごろ箕浦みのうらに會あつたか」と何時いつも長々なが〴〵と聞きかされる無味むみの生活談せいくわつだんや金錢論きんせんろんは避さけやうとする。
「むん昨日さくじつ見舞みまひに來きて吳くれたがね、會あふと例れいの通とほり大おほきな人生問題じんせいもんだいを論ろんじてる。讀書どくしよも盛さかんにやつてるやうだし、此頃このごろは長ながい論文ろんぶんも書かいてるさうだ、いづれ君きみの所ところへでも持込もちこむだらう、しかしね、僕ぼくが云いふんだが、箕浦みのうらなんかは己惚うぬぼれが過すぎる、人生じんせいがどうの宇宙うちうがかうのと、人間にんげんが誤託ごたくを並ならべるのは、身みの程ほど知しらずの極きよくだ、獨身どくしんで親爺おやぢの脛すねでも嚙かじつてる間うちは、そんな事ことを道樂どうらくにしてゐられやうがね、家庭かていでも造くつつて、一人前いちにんまへの人間にんげんになると、そんな事ことは馬鹿々々ばか〴〵しくて問題もんだいにもならんさ」
と、多少たせうの活氣くわつきを帶おびて論ろんずる。健次けんじは微紅うすくれなゐの艶々つや〳〵した頰ほうに靨えくぼを見みせ、切きれの長ながい目尻めじりに皺しわを寄よせ、
「はゝゝゝ、珍めづらしく君きみの名論めいろんを聞きくね、しかし箕浦みのうらはコツ〳〵根氣こんきよく學問がくもんを續つゞけてるし、文章ぶんしやうも上手じやうずになつたぢやないか、感心かんしんだよ」
「今いまに肺病はいびやうか惱病なうびやうになるのが落おちだ」と、織田おだは澄すましてゐる。
「いや博士はかせぐらゐにやなれらあ」と、健次けんじは皮肉ひにくに云いつて、「だが箕浦みのうらは君きみの妹いもとに惚ほれてるよ」と、少すこし乗出のりだして、聲こゑを低ひくくする。
「馬鹿ばかなことを」と、織田おだは締しまりのない大口おほぐちを開あけて、ハツ〳〵と笑わらふ。
「うんにや惚ほれてる、君きみの目めにやどうだか、僕ぼくには一目もく瞭然れうぜんよ」
「さうか知しらん」
「さうだとも、それにね君きみの妹シスターのラブしてる男をとこがある」
「え、本當ほんたうかい君きみ、虛言うそだらう、君きみはよく色いろんなことを云いつて、僕ぼくを調戯からかふからいかんよ、若もし本當ほんたうなら相手あひてが誰たれだか聞きかせて吳くれ玉たまへ、僕ぼくも一家かの主人しゆじんだから、妹あれの身みの上うへについても責任せきにんがあるんだもの、間違まちがひのないやうに警戒けいかいしなくちやならん」
「いくら警戒けいかいしたつて駄目だめさ、歲頃としごろの女をんなが色氣いろけづくのは當然たうぜんぢやないか、で、若もし相手あひてが分わかつたらどうする、妹シスターを柱はしらにでも縛しばりつけるかい」
「君きみ、そんな馬鹿ばかな眞似まねをする者ものか、僕ぼくは何なにさ、向むかうが相當さうたうの男をとこだつたら正式せいしきの結婚けつこんさすし、不相當ふさうたうの男をとこだつたら思おもひ切きらせる」
「成程なるほど譯わけの分わかつた兄樣にいさまだ、何處どこの親おやだつてそれと同樣どうやうの事ことを申まをします」
「だつて主人しゆじんの義務ぎむとしてそれが當然たうぜんぢやないか、君きみならどうする」
「僕ぼくなら放任はうにんしとかあ」
「馬鹿ばかな、君きみも箕浦流みのうらりうの空論家くうろんかだね」
「ふゝん、僕ぼくと箕浦みのうらとは一荷かにならんぜ、向むかふ樣さまは本ほんをどつさり抱だいてるから貫目かんめがあらあね」
「君きみは氣樂きらくな事ことばかり云いつてるが、僕ぼくは何時いつも確信かくしんしてる、人間にんげんは要えうするに僕ぼくのやうにならにや虛言うそだ、遲おそかれ疾はやかれ君きみなども同おなじ道みちへ落おちて來くるんだ」
健次けんじはぞつと寒氣さむけがして、思おもはず手てを火鉢ひばちに翳かざし、織田おだの顏かほを見詰みつめ、「お互たがひに君きみの道連みちづれになつて、テク〳〵步あるきで、電信柱でんしんばしらでも數かぞへて行ゆくんだね、大通おほどほりの左側ひだりがはを步あるいてりや、自然しぜんに日本橋にほんばしに出でられる」
「君きみ、戯言じやうだんは止よして、今いまの話はなしの相手あひては誰たれだい、一體たい向むかうの男をとこは妹いもとを思おもつてるんかい」
「さあ、どうだかね、よく知しらんよ」
「誰たれだらう」と、頰杖ほゝづゑついて、眞面目まじめに考かんがへてゐる。
健次けんじは人差指ひとさしゆびでテーブルを打うちながら、「先さきあ左程さほどにも思おもやせぬ」と小聲こごゑで唄うたつてゐたが、急きふに何なにをか感かんじて、額ひたひに皺しわを寄よせ、邪慳じやけんに煙草たばこの吸口すゐくちを嚙かみ出だした。
織田おだは思おもひ飽あぐんで面おもてを上あげ、「君きみは不斷のべつに煙草たばこを吸すつてる、毒どくだよ」
「毒どくだつていゝさ」と、健次けんじは吸殻すゐがらを吐はき出だし、「僕ぼくは阿片あへんを吸すつて見みたくてならん、あれを吸すふと、身體からだがとろけちやつて、金鵄勳章きんしくんしようも壽命じゆめいも入いらなくなるさうだ、阿片あへんだ〳〵あれに限かぎる」
と、獨ひとりで合點がてんしてゐる。それが戯語じやうだんとも思おもへず、眞しんから感かんじてるやうなので、織田おだは細ほそい目めを丸まるくして、
「よくそんな下くだらぬ事ことを眞面目まじめで考かんがへてるね、阿片あへんでなくつたつて快味くわいみを感かんずる者ものは幾いくらもあるぢやないか」
「さうかね、僕ぼくはこれ程ほど煙草たばこを吸すつてゝも、眞しんに味うまいと思おもつたことは一度どもないよ、酒さけだつてさうだ、ビフテキだつてさうだ、一寸ちよつと舌したの先さきで甘うまいと思おもつても、染々しみ〴〵と五體たいがとろける程ほど快味くわいみを感かんじたことがない。どうも物足ものたらんね、それで何時いつも思おもふんだ、何處どこか世界せかいの隅すみつこに最上さいじやうの珍味ちんみが潜ひそんでるに違ちがひない、僕ぼくはそいつを捜さがし出だしたい、で、今いまもそれを考かんがへてたんだが、或あるひはその珍味ちんみが阿片あへんぢやないか知しらん、阿片あへんを吸すひ出だすと、何なんにも代かへられんちうぢやないか」
「馬鹿ばかな」と、織田おだは一口ひとくちに斥しりぞけて、「まだ甘うまい料理れうりを食くはんから、そんな事ことが云いつてられるんだ、櫻木さくらぎの鳥とりなんか食たべてて、甘うまい物ものがないなんて廣言かうげんする權利けんりはないよ」と、天麩羅てんぷら鰻うなぎ椀盛わんもりなどの名代なだいの家いへを數かぞへ上あげ、諄々じゆん〳〵とその說明せつめいをし、「近々ちか〴〵長編ちやうへんを譯やくして仕舞しまつたら、藏田屋くらたやでも奢おごるよ」
健次けんじは苦笑にがわらひして、「何いづれ御馳走ごちそうにならうよ」と立上たちあがり、「もう十時じだ、行いかうか」と、勘定かんぢやうを濟すませて外そとへ出でた。雨あめは稍々やゝ小降こぶりになつたが、道みちは暗くらく風かぜは冷つめたく、健次けんじは來くる時ときの元氣げんきに引變ひきかへ、傘かさを兩手りやうてで持もつて、ぶる〳〵と慄ふるへたが、織田おだは前まへと同おなじく泰然自若たいぜんじじやく、急せかず騷さわがず、長靴ながぐつを踏占ふみしめ〳〵電車道でんしやみちへ向むかふ。
(二)
健次けんじの家うちは御行ごぎやうの松まつを右手みぎてに見みて、暗闇くらやみには危險きけんな道みちを一丁ちやうばかり入はいつた曲まがり角かどにある。土藏付どぞうつきで、狭せまいながらも庭にはもあり周圍しうゐを高たかい板塀いたべいで取とりかこみ、可成かなりの物持ものもの住宅じうたくと見みられるが、その實じつ屋根やねも壞こはれ柱はしらも傾かたむき、大雨おほあめには臺所だいどころで傘かさをさゝねばならぬ有樣ありさま。本當ほんたうなら隅すみから隅すみまで大修繕だいしうぜんを施ほどこさねばならぬので、近所きんじよの差配さはいなども見兼みかねて、賴たのまれもせぬに家屋敷いへやしきを檢分けんぶんして、「早はやく手てをお入いれなさらなくちや御損ごそんですぜ、何なんなら私わたくしがお引受ひきうけして、見積みつもりを立たてゝ見みませう」と注意ちゆういするが、健次けんじの父ちゝは「近々きん〳〵どうかしよう」と云いつて、別べつに心こゝろに掛かける風ふうはない。健次けんじは早はやくから「こんな陰氣いんきな古ふるびた家いへはうり拂はらつて、山やまの手てへでも引越ひつこした方はうがよからう」と勸すゝめ、母はゝは全然ぜんぜん同意どういして、せめて此家こゝを修繕しうぜんして他人ひとに貸かし、自分逹じぶんたちは小こぢんまりした借家しやくやに住すまつた方はうが幾いくらいゝか知しれぬ。第だい一こんな廣ひろい家うちにゐては、世間せけんから有福いうふくに見みられて、何なにかと取上とりあげられる金高きんだかも多おほくて不輕濟ふけいざいではあるしと說とくが、穩おだやかな父ちゝもこればかりは頑ぐわんとして聞入きゝいれぬ。おれは此家こゝで息いきを引取ひきとるつもりで越こして來きたのだから、决けつして他ほかへは移轉いてんせぬ。それに借家しやくやは厭いやだと云いふ。彼かれには借家住しやくやずまひは不見識ふけんしきだという氣きがあるのだ。
菅沼家すがぬまけは微祿びろくではあつたが、旗本はたもとの家柄いへがら。健次けんじの父ちゝは十四五の頃ころ、維新いしんの渦中くわちうに浮沈ふちんして、多少たせうの辛苦しんくを甞なめた。その後のちも生活せいくわつには惱なやんで、遂つひに四國こく九州しうの郵便局いうびんきよくにも二三年ねんづゝ勤つとめ、今いまは多少たせう榮逹えいたつして會計檢査院くわいけいけんさゐんに奉職ほうしよくしてゐるが、五十五歲さいの老朽らうきうで、地位ちゐも安固あんこではなく、長官ちやうくわんのお慈悲じひの下もとに脈みやくをつないでゐる。俸給はうきふも左程さほど多おほくはない。それに健次けんじの下したに女をんなの子こが二人ふたり、支出しゝゆつは容易よういではないが、彼かれはあまりくよ〳〵﹅﹅﹅﹅苦くに病やむ風ふうはなく、每晚まいばんの晚酌ばんしやく二合がふに陶然たうぜんとして太平樂たいへいらくを並ならべる、健次けんじは一人前いちにんまへの男をとこになつたし、娘むすめは二人ふたりとも容色きりやうはよし、おれはまだ〳〵お墓はかへ入はいる心配しんぱいはなし、これからがおれの世よの中なかだ、健次けんじに嫁よめを貰もらつてやり、姉娘あねむすめでも片付かたづけたら、おれは第だい一に役所やくしよを止やめて隱居いんきよをする。恩給おんきふも下さがるし心掛こゝろがゝりはないから、うんと好すきな事ことをして遊あそべるんだが、おれは物見遊山ものみゆさんはせん、差詰さしづめ馬術ばじゆつの稽古けいこがしたいな。全體ぜんたい子供こどもの時ときから馬うまが好すきで、馬術ばじゆつの逹人たつじんになるつもりだつたが、世よが變かはつて算盤そろばんばかり持もつて來きた。しかしこれからやる。自分じぶんの慾よくといつては外ほかに何なにもないが、一つ馬うまだけは買かつて見みたいと、この老人らうじんは馬うまの話はなしになると夢中むちうになつて來くる。
先祖せんぞに馬術ばじゆつの名人めいじんがあつたとかで、その秘傳ひでんの卷物まきものが桐きりの箱はこに入はいつて、土藏どぞうに保存ほぞんされてゐる。これと一領れうの甲冑かつちうと一口ふりの無銘むめいの刀劍とうけんとが一家かの寶物はうもつ、老人ろうじんの自慢じまんの種たねだ。冑よろひは疎まばらに星ほしのついてる古色蒼然こしよくさうぜんたる者もので、鎌倉時代かまくらじだいの作さく、刀かたなは國弘くにひろの作さくだらうと云いふ。そして老人らうじんは每年まいねん元日ぐわんじつには此等これらの寶物はうもつを床とこの間まに飾かざり、家族かぞくを集あつめて禮拜れいはいし、三方みかたケ原はら合戰かつせん以來いらいの祖先そせんの武勇ぶいうを談だんじ、この冑よろひや刀かたなに籠こもつてる精神せいしんを忘わすれてはならぬと說とき聞きかせ、獨ひとりで喜よろこんでゐる。
健次けんじは少年時代せうねんじだいに此等これらの武具ぶぐに興味きやうみを感かんじて、父ちゝの留守中るすちう竊ひそかに土藏どざうへ忍しのび込こみ、漆うるしの剝はげた鎧櫃よろひびつを開あけて、昔むかしの戰爭せんさうを連想れんそうし、或あるひは兩腕りやううでに力瘤ちからこぶを出だして冑よろひを持もちまはつて悅うれしがつてゐた。殊ことに刀かたなが大好だいすきで、恐々おそる〳〵拔ぬきはなち、齒はを喰締くひしばり瞳ひとみを据すゑて、その冴さえた光ひかりを見詰みつめては感かんに打うたれることが多おほい。刀かたなは武士ぶしの魂たましひだとは父ちゝからも屢屢しば〴〵敎をしへられ、自分じぶんでもこの家傳かでんの寶刀ほうたうを見みる每ごとに、義ぎの爲ためには死しを厭いとはぬ、如何いかなる苦痛くつうをも忍しのぶ、辱はづかしめらるれば死しすなどの感かんじが、その明晃々めいくわう〳〵たる切尖きつさきから彼かれの膓はらわたに染しみ込こむやうであつた。性質せいしつは父ちゝとは餘程よほど違ちがつて疳かんが强つよく、母はゝの故鄉こきやう、彼かれの生地しやうちたる丸龜まるがめの尋常小學じんじようせうがくに學まなんだ頃ころも、試驗しけんの成績せいせきが他ひとに劣おとると口惜くやしくて夜よも眠ねむれぬといふ程ほどであつたが、東京とうきやうの學校がくかうへ通かよふことゝなつては、殊ことにこの考かんがへがひどい。その爲ために學課がくくわの復習ふくしふを勵はげむのみならず、身體からだの訓練くんれんをもつとめた。痩やせつぽちと嘲あざけられるのも無念むねんである、年嵩としかさの學生がくせいに腕うでづくで意地いぢめられるのもつらし、腕力わんりよくを養やしなひ筋肉きんにくも發逹はつたつさせねばならぬと、寒中かんちうシヤツ一枚まいで木刀ぼくたうを揮ふるつたこともある。力試ちからだめしだといつて二人ふたりの妹いもとを笊ざるに入いれて擔になひ、引ひつくりかへつて傷きづをつけたこともある、母はゝからは惡戯いたづらが過すぎると叱しかられたが、彼かれには惡戯いたづらでも慰なぐさみでもないのだ。幼おさない心こゝろにも自分じぶんの脆弱ぜいじやくな體質たいしつが情なさけなく、行ゆく先々さき〴〵が案あんじられてゐたので、外目よそめには滑稽こつけいとも見みえる體格たいかく修養しうやうも、自分じぶんには最もつとも眞面目まじめな行爲かうゐであつたのだ。しかし生來しやうらいの體質たいしつは變かはりやうがない。それで度々たび〳〵母はゝに向むかつて、