「何故なぜ僕ぼくをこんな小ちつぽけな身體からだに生うみつけたんです」
と詰なじり、淚なみだをこぼしたことさへあつた。その癖くせ友逹ともだちの間あひだへ出でると、「痩やせてゝもおれは强つよいぞ」と力りきんで、喧嘩けんくわをしかけられて逃にげることはない。或日あるひも餓鬼大將がきだいしやうに嬲なぶられた時とき、ナイフで切きりつけて、相手あひてを驚おどろかしたこともある。
歲としを取とるに從したがつて、戶外遊戯こぐわいいうぎは止やめて、勉强部屋べんきやうべやに閉籠とぢこもり、課業外くわげふぐわいの雜書ざつしよをも渉獵あさるやうになり、最早もはや體質たいしつの苦勞くろうはしなくなつた。で、中學ちうがくから高等學校かうとうがくかうと順序じゆんじよを踏ふんで進すゝんだが、一家かの財政ざいせいからいふと、それだけでも容易よういではなく、とても大學だいがくを卒業そつげふする望のぞみはなかつた。しかるに健次けんじが他たの學生がくせいと對當たいたうの交際かうさいもして、別べつに見みすぼらしくもなく、文科ぶんくわの英文學えいぶんがくを終をへることの出來できたのは、一に桂田かつらだ文學博士ぶんがくはかせの助力じよりよくに依よるのだ。桂田家かつらだけと菅沼家すがぬまけとは昔むかしから緣故えんこの深ふかい上うへ、博士はかせが健次けんじの學才がくさいを認みとめたためである。
大學だいがく三年ねんの生活せいくわつ、健次けんじの頭腦あたまは非常ひじやうに變化へんくわを來きたした。元もと法科はふくわへ入はいりたい氣きもあつたのを、桂田かつらだとの關係かんけいから文科ぶんくわと定きまつたので、入學後にふがくごも心こゝろは迷まよふ。自分じぶんの素質そしつから云いつても學者がくしやで安やすんじてゐられさうぢやない。多量たれうの書物しよもつを讀よんで一生せうを終おはる、下くだらないぢやないか、それよりも政治家せいぢかにでも實業家じつげふかにでもなつて、自分じぶんの考かんがへが具體的ぐたいてきに目めの前まへに現あらはれるを見み、生いきた人間にんげん生いきた事件じけんの動搖どうえう起伏きふくに接せつする方はうが面白おもしろくはないかと思おもふこともあつたが、さりとて斷だんじて一を去さつて他たに就つ く氣きにもなれぬ。それに課業くわげふとして學まなぶ哲學てつがくの問題もんだい、外國ぐわいこくの詩歌しか小說せうせつ、新刊しんかんの雜誌ざつし雜著ざつちよ、皆みな過敏くわびんな神經しんけいを刺激しげきして、妄想もうそうは留とめ度どがない。制服せいふく制帽せいぼうを着つけ、博士はかせ夫人ふじん恩賜おんしの紅梅こうばいを散ちらした水色みづいろの風呂敷包ふろしきづゝみを抱いだき、兩手りやうてをポツケツトに入いれ、大學だいがくの裏門うらもんから上野うへのを拔ぬけて、根岸ねぎしの古屋ふるやへ歸かへる間あひだ、彼かれは妄想もうそうの道みちを辿たどつてゐたのだ。單調たんてうの道みちには飽あいてしまつた。しかし彼かれは一度ども泣言なきごとを云いつたことはない。人生じんせいの寂寞せきばくとかを文章ぶんしよう にして雜誌ざつしへ寄稿きかうしたこともない。同窓どうそうの瞑想家めいそうかからは淺薄せんぱくと云いはれる程ほどあつて、飛花落葉ひくわらくえふに對たいして、深沈しめやかな感かんに耽ふけり、自然しぜんの默示もくしに打うたれるでもなく、友人いうじんにでも遇あへば、急きふに沈しづんだ心こゝろも浮立うきたつて快活くわいくわつに談笑だんせうし警句けいく百出しゆつ諧謔かいぎやく縱橫じうわう。クラスの集會しふくわいに缺席けつせきすると、「菅沼すがぬまはどうした」と、衆口しうこう一致ちして遺憾ゐかんの聲こゑを發はつする程ほどであつた。テニスもやる、玉突たまつきもやる、彼かれはクラスの快男子くわいだんしとして通とほつてゐた。そして二年目ねんめの試驗前しけんぜん、制服せいふくを囚衣しういの如ごとく感かんじ、引脫ひきぬいで自由じいうの身みとならんとしたが、博士はかせ夫妻ふさいの强硬きやうかうな反對はんたいに會あひ、その時ときは恩人おんじんに背そむく程ほどの勇氣いうきもなく、ぐづ〳〵で卒業そつげふまで我慢がまんしたものゝ、成績せいせきは圖拔づぬけてよくはなく、博士はかせ夫妻ふさいの期待きたいに背そむいた。彼かれの弱よはい身體からだは長年月ちやうねんげつの學校がくかう生活せいくわつに倦うみ疲つかれ、最早もはや席順せきじゆんの高下かうげを爭あらそふの根氣こんきもなく、虛榮心きよえいしんも失うせ、他たの連中れんぢうが卒業試驗そつげふしけんの準備じゆんびに夜よを徹てつしてる間まに、獨ひとり球戯場たまやにゲームを爭あらそひ、或あるひは牛屋ぎうやの二階かいで女中ぢよちうに圍繞ゐぎようされてゐた。櫻木さくらぎに出入しつにふし始はじめたのも此頃このころからである。卒業後そつげふごは博士はかせの推薦すゐせんで、中學ちうがく敎師けうしとなつたが、これは三月みつきばかりで辭職じしよく、今日けふまで一年ねんあまり雜誌ざつし記者きしやを勤つとめてゐる。
(三)
大抵たいていの家いへは戶とを鎖とざし、暗闇くらやみの森閑しんかんとした道みちを、健次けんじは雜念ざつねんに煩わづらはされ、俯首うつむいてコツ〳〵辿たどつてゐる。彼かれは七歲で先祖せんぞ以來いらいのこの都みやこへ歸かへつてより二十七歲さいの今いままで殆ほとんど一日にちもこの道みちを踏ふまぬことなく、目めを瞶つぶつてゝも、路次ろじの隅々すみ〴〵まで間違まちがへる氣遣きづかひはない。
そしてこの界隈かいわいの見みる物もの聞きく物ものに飽あき〳〵してゐる。父ちゝは交番かうばんの角かどまで來くると肩かたの荷にが下おりるやうな氣きがすると云いふが、健次けんじは此處こゝまで歸かへると、足あしが澁しぶつて後あとへ引ひきかへしたくなる。彼かれは今いま織田おだに分わかれ、その長靴ながぐつの重おもい音ねの次第しだいに消きゆるを聞ききながら、「阿片あへんを呑のみたい」を繰返くりかへした。他人たにんが味うまさうに吸すふのを見みて羨うらやましく、煙草たばこを吸すひ習ならつたが、自分じぶんには左程さほどの甘味うまみもない。阿片々々あへん〳〵〳〵、自分じぶんが内々ない〳〵求もとめてた者ものはあれだ、阿片あへんさへ吸すへばこの世よからなる極樂淨土ごくらくじやうどへ行いけるのだ。アルコールランプに點火てんくわし、長椅子ながいすに身みを埋うづめ、長ながい煙管きせるで匂にほひを呼よび、沈睡ちんすゐに陷おちいる支那人しなじんは、祖先そせんの詩人しじんが夢想むそうした無何有むかうの境さかひに遊あそんでゐるのだ。阿片あへんを嗅かぎに支那しなへ行ゆく。迦南かなんの樂土らくどは其處そこにありと思おもはれる。
敎師けうしの職しよくは蓄音器ちくおんきか鸚鵡あふむの役廻やくまはりだと感かんじて、否應いやおうなしに辭職じしよくし、もつと活氣くわつきのあり動うごきのある役やくをと志こゝろざし、現在げんざいの職しよくを求もとめたが、これも此頃このころは厭いやで〳〵溜たまらぬ。どうせ長ながくは續つゞきはしない。いつそ向むかうから不勉强ふべんきようの爲め免職めんしよくと來くると、新あらたなる地ちが開ひらけさうだが、當分たうぶんそんな運うんも向むひて來きさうでない。だから明日あすは桂田かつらだを訪たづねて「現代げんだいの思潮しちやう」とか何なんとかの問題もんだいで、的てきの字じづくめの談話だんわを筆記ひつきして來こなくちやならん。
雨あめはしよぼ〳〵と飽あきもせずに降ふつてゐる。電燈でんとうの輝かゞやいてる或ある別邸べつていの犬いぬは今夜こんやも飽あきもせずに生命いのち限かぎり吠ほえ立たてゝゐる。
健次けんじは睡ねむい目めをして元氣げんきのない欠伸あくびをした。
先々月せん〳〵げつの初はじめ、殘暑ざんしよのまだ酷きびしい時分じぶん、西日にしびの當あたる桂田かつらだの書齋しよさいで、長々なが〴〵しい文學論ぶんがくろん、獨逸語どいつごやラテン語ご交まじりの味あじのない只たゞ六ケ敷しい議論ぎろんを筆記ひつきさせられ、浴衣ゆかたの着流きながしでありながら、汗あせに漬つかつて弱よはつたことがあつたが、その時とき下座敷したざしきから柔やはらかいピアノの音ねが洩もれ聞きこえ、博士はかせの頑固かたくなな言葉ことばを追おひのけては、健次けんじの耳みゝに忍しのび込こみ、膓はらわたまで盪とろかさうとした。そして彼かれの筆記ひつきはしどろもどろ﹅﹅﹅﹅﹅﹅に亂みだれ、聞違きゝちがへ書誤かきあやまりの夥おびたゞしかつたのを、そのまゝ雜誌ざつしに掲かゝげて博士はかせの怒いかりに觸ふれたが、あの時ときほど博士はかせが怖こわい顏かほして激はげしい言葉ことばを吐はいたことはない。で、後々のち〳〵までも健次けんじの耳みゝには、その音樂おんがくが染しみついて、踏飽ふみあいた道みちを步あゆんでる時ときなど、耳みゝの底そこでぴん〳〵鳴なり響ひゞいて、心こゝろに異樣ゐやうな感かんじが起おこる。
ピアノの主ぬしの博士はかせ夫人ふじんも美うつくしい、櫻木さくらぎのお雪ゆきも美うつくしい、織田おだの妹いもとも醜みにくゝはない。紅葉こうえふや綠雨りよくうの小說せうせつの主人公しゆじんこうの如ごとく、女をんなが生命いのちの凡すべてなら、憧憬あこがれたり煩悶もだへたり若わかい盛さかりの今いま時分じぶん、さぞ戀こひに忙いそがしいことであらうが、
「しかし自分じぶんは箕浦みのうらぢやない」と、自分じぶんの胸むねに答こたへた。その聲こゑは他たを嘲あざけつた自尊心じそんしんから出でたのであらうが、絕望ぜつばうの調てうも交まじつてゐる。で、彼かれは煙草たばこを啣くはへ袂たもとからマツチ箱はこを取出とりだしたが、マツチは一本ほんもないので、舌打したうちして箱はこを投なげつけ、傘かさを持直もちなほしてさつさ﹅﹅﹅と步あるき出だした。目めの前まへには自分じぶんの家いへの軒燈がすとうが、今いまにも消きえさうに微かすかに光ひかつてゐる。
彼かれは雨あめにふやけた﹅﹅﹅潜戶くゞりどを兩手りやうてで開あけ、成なるべく音おとのせぬやうに敷石しきいしを傳つたひ、玄關げんくわんの隅すみへ傘かさを投なげ出だすと、母はゝは雨戶あまどを開あけて釣つりランプを差出さしだし、
「おや衣服きものがびしよ濡ぬれぢやないか、この冷ひえるのにそんなに濡ぬれちやつては身體からだに毒どくですよ」
「今日けふは早はやく歸かへる筈はずでしたが、又また友人いうじんに誘さそはれて遲おそくなりました、明日あすは屹度きつと早はやく歸かへります」
と、言いはれぬ前まへに言譯いひわけしながら、足袋たびを脫ぬいで、爪先つまさきで臺所だいどころへ步あるいて行ゆき、足あしを濯そゝいだ後のち、そつと柄杓ひしやくから口くちうつしに冷水れいすゐを呑のんだ。臺所だいどころには盥たらひを据すゑ、柱はしらを傳つたはつた雨あめの雫しづくがぽたり〳〵落おちてゐる。
健次けんじは長火鉢ながひばちの前まへへ戾もどつて、着物きものを脫ぬいで母はゝの手てから搔卷かいまきを取とり、酒氣しゆきの名殘なごりで温あたゝかい肌はだへにふはりと纏まとひ、菊きくを染そめ出だした八ツ橋はしの略帶しごきを柔やはらかく締しめて胡座あぐらを搔かき、「皆みなもう寢ねたんですか」と、隣室となりの父ちゝの高鼾たかいびきを聞きいてゐる。
「あ、もう二時間じかんも前まへから寢ねてらあね、それにお父とつさんは風邪氣かぜけだといつてね、お夕飯ゆうはんが濟すむと直すぐにお休やすみさ」と母はゝは戶締とじまりをして火鉢ひばちの側わきに戾もどり、「お前まへ、織田おださんがお出いでだよ、何なにか用事ようじがおありのやうで、大分だいぶ待まつてゐなすつたがね」
「いや、織田おだにや途中とちうで會あひました、親爺おやぢが病氣びやうきだとか云いつてた」
「さうだつてねえ、餘程よほどお惡わるいんだつてねえ」と眉まゆを顰ひそめ、「織田おださんも大抵たいていぢやあるまいよ、稼人かせぎてはあの方かた一人ひとりで、それで病人びやうにんなんか出來できてはね、……でも感心かんしんな人ひとさ、一生懸命しやうけんめいに働はたらいてゐなさる」
「何なに、あの男をとこは他人たにんが思おもふ程ほど苦くにしちやゐないさ、呑氣のんきな人間にんげんですもの」
「さうでもあるまいよ、厄介者やくかいものが多おほいんだから、浮うはの空そらぢやゐられないさ、お前まへだつて今いまの間うちはどんなにしてゝもよからうがね、もうそろ〳〵先々さき〴〵の事ことも考かんがへなければね、お父とつさんも口くちばかりは元氣げんきがよくても、何時いつまでもお役所やくしよ通がよひも出來できまいし織田おださんのやうにお前まへが家うちの心棒しんばうになつてお吳くれでなくちや」と、何なににつけてもお定きまりの御敎訓ごけうくんが始はじまりかけたので、
「ですがね、お母つかさん、織田おだの大木たいぼくなら心棒しんばうにでも大黑柱だいこくばしらにでもなるでせうが、私わたしのやうな痩やせつぽちぢやお役やくに立たちませんよ」と、健次けんじは如何いかにも無邪氣むじやきさうに笑わらつた。母はゝも釣込つりこまれて靑あをい顏かほに笑わらひを浮うかべ、
「馬鹿ばかお云いひでない」と云いつたが、話はなしは甘うまく外それて、「そう云いへばねお前まへ、家うちの冑かぶとは大變たいへんいゝ物もので世間せけんに類るいが少すくないんだとさ、今日けふ古物こぶつ陳列會ちんれつくわいとかへ出だすとね、誰たれだか目めの利きく方かたが見みて、大變たいへん褒ほめてゐなすつたつて、だからお父とつさんも、あれ程ほど世間せけんへ出だすのを厭いやがつてた癖くせに、今日けふは歸かへるとその話はなしばかりして、大喜おほよろこびで被入いらつしやるんだよ、賣うつたらば大變たいへんなお金かねになるんだらうね、あんな薄汚うすきたない冑かぶとだけど」