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友情

Chapter 49: 十
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About This Book

The narrative follows a young playwright who becomes infatuated with a striking young woman he meets at the theater and proceeds to idealize her as both muse and future spouse. He oscillates between confidence and self-doubt about his literary ambitions, compares himself to peers, and seeks validation through friendships and creative success. Encounters and conversations reveal his jealousy, anxieties about rivals, and the belief that her faith in him would secure his greatness. Interwoven are scenes of camaraderie, debates about political and moral ideals, and reflections on youth, desire, and the pressures that bind artistic aspiration to personal longing.

「それなのにそのお前がその友達の恋人をつまり奪うことになるのだな」

「そうだ」

「それではお前は何と友達に返事を出した」

「僕は黙って、石膏せつこうのベートオフェンのマスクを送ってやった。そして友のかいた短かい脚本を一つ訳して仏蘭西フランスの友の関係している雑誌に出してもらうことにしたことと、その友がそれをよんで感心したことを報告してやった。それがせめてもの罪亡ぼしと思った」

「友はなおお前の友情のあついのに感心するだろう」

「それを思うと、なおすまない気がする。しかしそうするよりほか、仕方がない。友は必ず今度のことで本当に鍛えられるだろう。友は参り切ったり、自棄やけを起したりする人間ではない。人類、神と云いたい所だが、人類は彼を本当に鍛えて偉大なる仕事をさせようと思っているのかも知れない」

「それならお前は女を得て、仕事を失い、友は女を失って仕事を完成すると云うのか」

「そうは云わない。僕は女を得て、益々仕事をする力を得る。彼は女を失って益々真剣になる。両方が、日本及び人類にとって有意味であることを、自分は切にのぞんでいる」

「お前も女を失ったらさぞ真剣になるだろうな。その方がお前の仕事にはよさそうだな」

「そう云うな。俺はもう女を失うわけにはゆかない。お互に愛している。一人では生きられなくなりつつある。恐ろしい勢いで俺は二人でなければ生きられなくなりつつある。二人で生きるものは仕合せだと云う言葉は本当だ」

「それは誰が云ったのだ」

「あの人が云ったのだ」

「あはははは」

「いくら笑っても本当のことは本当のことだ」

「お前は友情のない男だ」

「何とでも云え。俺は運命の与えてくれたものをとる。恐らく、友は最後の苦いさかずきをのむことを運命からいられて其処で彼は本当の彼として生きるだろう。自分は女を得て本当の自分として生きるだろう。それは自分達が選択してきめることの出来る道ではなく、強いられて自ずと入る道である。友は得られないものを強く求めた為に何か他のものを得、俺は求めることをこばんだが、求めるものを得るくじ﹅﹅を選んだ。俺はそれを幸福と許りは思わない。更に進軍ラッパがなりひびいたのだと思う。彼は孤独の道に神の言葉をきく。俺のわきには天使が居て、俺をなぐさめ、俺に勇気を与えてくれる。それはすべて自分の力で得たのではない。意識して生み出したものではない。天与のものだ。自分はかえって今後の『彼』がこわい。しかし自分も負けてはいないつもりだ。天使よ、俺の為に進軍のラッパを吹け。今は人類が、立ちあがらなければならない時だ。自分達精神的に働くものは真剣にならなければならない時だ。自分達、フランス人も、イギリス人も、ドイツ人も、イタリー人も、支那人も、印度人も自分達の仲間にいる。皆若くって真剣だ。そして一つ目的、人類の為につくしたがっている。皆は自分を信じてくれる。天使よ、我を益々我たらしめよ。このよき時に、生れたる我を無意味に死なすな。なんじの写真は、それ等の人々の賞讃を得ている。何処にも、馬鹿はいる。巴里にも随分いる。だがそのしたに生きている世界各国から集ってくる若々しい血を直接に感じる時、自分達は同じく兄弟だと思う。日本によき人間のいることを彼等は本当に喜んでくれる。彼等の上に祝福あれ」

 わが愛する天使よ、巴里パリへ武子と一緒に来い。お前の赤ん坊からの写真を全部おくれ。俺は全世界を失ってもお前を失いたくない。だがお前と一緒に全世界を得れば、万歳、万歳だ。

 あなたのお手紙は本当に驚喜させました。ありがとう、ありがとう。私は之から早速武子さんの処にゆきます。兄に話しましたら、兄も大よろこびで賛成してくれました。兄はあなたを実に愛しております。しかし兄も気の毒よ。武子さんに一寸気があったのよ。しかしもうすっかりそのことは忘れておりますが。野島さんだって、今にきっと私と結婚しないでよかったとお思いになってよ。いい方がいくらでもいらっしゃるのですから、結婚でもなさって、お子さんでもお出来になると。だからあんまり野島さんのことはお気になさらない方がよくってよ。あなた以外の方が私を愛して下さるなんか不自然ですわ。何しろ私はもう夢中にうれしいのです。本当に巴里へゆきますよ。どうしても。親には兄から話してもらうことにしました。母はきっとよろこびますよ。武子さんと御一緒ならこんなにうれしいことはありませんわ。ですけど武子さんに、私はまだ何にも話して御座いませんのよ。ですから少しきまりがわるいのです。ですけど、私はもう度胸がきまりましたわ。世界中の人が笑ったって、そんな呑気者も居ないでしょうが、私はもう平気ですわ。私の写真全部お送りしますわ。可笑しいのも。笑って頂戴。しかし皆さんにはいいのだけ見せて頂戴。私をそんなに賞めて下さるのはあなた許りよ。あんまり本物を見てもがっかりなされない程度で話して頂戴よ。お目にかかれたら私うれしくって泣き出してよ。もうあなたとは少しもはなれなくっていいのね。何処へでもついてゆきますわ。私はなんでも云うことをききますから本当に可愛がって頂戴。私はどんな洋服をきたらいいのでしょう。武子さんにご相談しますわ。之から武子さんの処へゆきますわ。帰って又先をかきますわ。兄が今やって来まして、母に話したら、母もよろこんで承知してくれたそうよ。私どうしてこう仕合せなのでしょう。思い切って手紙をかいてよかったわ。なんでも正直にぶつかるだけはぶつかって見るものね。用心に用心して見て、私は二年間考えましたわ。随分考えましたわ。それでもうまちがいないと思いましたの。偉いでしょ。之からゆきますわ。

 今行って帰って来ました。武子さんはもう知っていらっして、私のくるのを心待ちしていらっしたのよ。同時に出して下さった御手紙が武子さんのお家は市内なので、少し前についたのよ。武子さんはびっくりしたけど、うれしかったと云って下さってよ。本当に武子さんはいい方ね。私ないてしまいましたわ。二人であなたのことをほめて、ほめちぎって話しましたわ。御一緒にルーブルにいってモナ・リザの前に立って、あの笑い顔の真似しっこすることも御約束しましたの。

 芝居や、音楽会にも一緒につれていって頂戴ね。オペラも、あなたと御一緒に何の遠慮もなく歩けると思うと、私は本当に、本当に、本当にうれしいのよ。なんでも御一緒に見たり聞いたり、話したり出来ますのね。もつとも私は仏蘭西語はちっともわかりませんわ。英語だって何にもわかりませんわ。ですが、あなたが外国の方と外国語で話して、愉快そうにしていらっしゃるのを見ると、私もわかった気になって一緒にトンチンカンな所で笑いますわ。私は本当に考えただけで笑いますわ。

 本当に本当にあなたのような方が、この世にいらっして下さったことはよかったわ。私神様に出来るだけ御礼申しますわ。私も出来るだけ立派な人間になって皆さんの前に立っても恥かしくない人間になりますわ。本当に何処の国の方でもいい方はよろしいわね。あなたをほめる方は皆いい方よ。私はあんまりうれしいので何をかいたかわかりませんわ。いや味な所があっても許して頂戴。もう二ケ月たつと日本をたつのよ。あなたのいらっしゃる処なら、何処だってちかいわ。ありがとうありがとう。

十一

 わが友よ。

 自分は二人の手紙をここに公にする。そして君の面前にそれをさしつける。事実をそのままさしつける。自分は君の神経をいたわってこの二人の手紙をかきなおして、君に見てもらおうかと思った。しかしそれは反って君を侮辱することになることを知った。自分は君を尊敬している。君は打ちくだかれれば打ちくだかれる程、偉大なる人間として、起き上ってくれることを僕は信じている。そして露骨に事実を示せば、君は反って怒ることによって悲しみに打ち克ってくれると思う。僕は又君につまらぬ同情をしようとは思わない。又自分の君にたいする冷酷な態度を甘く見せようとも思わない。自分はただ事実を云う。

 それについて自分は何も云いわけしない。いや云いわけしたいことは既にかいた。ここでは何にも云わない。ただ自分はすまぬ気と、あるものに対する一種の恐怖を感じるだけだ。自分はあるものにあやまりたい。そして許しをこいたい。一方自分は自分を正当だと思い、やむを得ないと思う。そして自分のとった態度を必然のような気もする。だが何かにあやまりたい。自分は君に許しを請おうとは思わない。それはあまりに虫がいい。君はとるようにとってくれればいい。君は君らしくこの事実をとってくれるだろう。自分の方は勿論君を尊敬し君にたいして友情を失いはしない。しかしそれは反って君を侮辱することになることを恐れる。

 事実は以上のようである。かくて僕は杉子さんと結婚することになるだろう。この事実にたいして君は自分達を如何ように裁いてくれても自分達は勿論甘受する。自分は云いたいことが随分あるようだ。しかし僕から慰められたり、鼓舞されたり、尊敬されたりするのは不快に思うであろう。尤も僕達はもう十分に不快を与えすぎたであろう。今になって遠慮するのもおかしなものだ。だから正直に云おう。自分は明日からマルセーユにつく杉子の一行を迎えにゆくわけだ。二人は遠くから、許してくれるならば君の幸福を祈る。そして君が、日本、否世界の誇りになるような人間になってくれることを信じ又祈る。

十二

 野島はこの小説を読んで、泣いた、感謝した、怒った、わめいた、そしてやっとよみあげた。立ち上って室のなかを歩きまわった。そして自分の机の上の鴨居かもいにかけてある大宮から送ってくれたベートオフェンのマスクに気がつくと彼はいきなりそれをつかんで力まかせに引っぱって、釣ってある糸を切ってしまった。そしてそれを庭石の上にたたきつけた。石膏のマスクは粉微塵こなみじんにとびちった。彼はいきなり机に向って、大宮に手紙をかいた。

「君よ。君の小説は君の予期通り僕に最後の打撃を与えた。殊に杉子さんの最後の手紙は立派に自分の額に傷を与えてくれた。之は僕にとってよかった。僕はもう処女ではない。獅子だ。傷ついた、孤独な獅子だ。そしてえる。君よ、仕事の上で決闘しよう。君の残酷ざんこくな荒治療は僕の決心をかためてくれた。今後も僕は時々淋しいかも知れない。しかし死んでも君達には同情してもらいたくない。僕は一人で耐える。そしてその寂しさから何かを生む。見よ、僕も男だ。参り切りにはならない。君からもらったベートオフェンのマスクは石にたたきつけた。いつか山の上で君達と握手する時があるかも知れない。しかしそれまでは君よ、二人は別々の道を歩こう。君よ、僕のことは心配しないでくれ、傷ついても僕は僕だ。いつかは更に力強く起き上るだろう。之が神から与えられた杯ならばともかく自分はそれをのみほさなければならない」

 野島はそれをかき上げると彼は初めて泣いた。泣いた、そして左の文句を泣きながら日記にかいた。

「自分は淋しさをやっとたえて来た。今後なお耐えなければならないのか、全く一人で。神よ助け給え」


底本 新潮文庫「友情」(昭和五十六年四月二十日九十四刷)