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血笑記

Chapter 10: (斷篇第七)
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About This Book

A narrator describes a weary column of soldiers marching under unbearable heat toward an unknown destination, where exhaustion and sunstroke produce delirium, grotesque hallucinations (including visions of horse heads and ghostlike bodies), and a slow unravelling of bodily and mental control; intercut with sudden recollections of a domestic interior and a brother, the account shifts between close, claustrophobic sensory detail and panoramic scenes of a deranged, silent procession, culminating in abrupt sounds of battle that temporarily restore clarity and collective urgency.

だれ其樣そんことふ? なんの、我々われ〳〵あへころす、あへく、掠奪りやくだつする。 我々われ〳〵屈托くつたく愉快ゆくわい勇士ゆうしむれだ。 てき建物たてものでも、大學だいがくでも、博物館はくつぶくわんでも、手當てあた次第しだい破壞はくわいする。さうしてその破壞はくわいあとで、わらひちたかれ軍士ぐんし我々われ〳〵をどりををどるのだ。 瘋癲ふうてん病院びやうゐん我々われ〳〵本國ほんごくしようしてからに、まだくるはぬ奴等やつら我敵わがてきみとめ、あべこべにこれ狂人きやうじんぶのだ。 さうして百せんしようの、いつも悅喜滿面えつきまんめん英雄えいゆう此方このはうが一てん萬乗ばんじようきみとしてこの世界せかいのぞとき如何いかにもこゝろゆくばかりの笑聲わらひごゑ天地てんちあひだとゞろわたるのだ!」

「それがあかわらひだ!」とわたし大聲おほごゑしてドクトルのはなしつて、「たすけてれェ! またあか笑聲わらひごゑきこえる!」

諸君しよくん!」とドクトルは不具かたは幽靈いうれい呻聲うなりごゑげてゐるやうな人逹ひとたちむかつて、「諸君しよくん! やが我々われ〳〵となれば、つきあかくなる、あかくなる、毛物けものあか愉快ゆくわいとなる。 あましろいと、あましろいとな、それ、そのかは引剝ひンむいでやらうといふものだ… 諸君しよくんむだことがるか? すこ黏々ねば〳〵するものだ、すこ生溫なまあたゝかなものだ、其代そのかは眞紅まつかものだ。 さうしてわらふと、眞紅まつか愉快ゆくわい笑聲わらひごゑきこえる!…

(斷篇第七)

 ひどい! 亂暴らんばうことをする。 赤十字せきじふじ神聖しんせいで、世界せかいいづれの國民こくみんこれむかつて敬意けいいはらはんものはない。 なにへいせてはまいし、なん手出てだしも出來でき負傷者ふしやうしやつた列車れつしやということてき承知しようちなら、地雷ぢらいせてあること警告けいこくすべきはずでないか? 可哀かわいさうにみな故鄉こきやうゆめてゐたらうに…

(斷篇第八)

 …中央ちうあう湯沸ゆわかし、正銘しやうめいまぎれのない湯沸ゆわかし、それが湯氣ゆげところ機關車きくわんしやのやうだ。 ひどい湯氣ゆげでランプのホヤまですこくもつたくらゐで、茶碗ちやわん矢張やはりむかしながらの、そと藍色あゐいろの、なかしろい、中々なか〳〵見事みごと茶碗ちやわんで、結婚けつこんときもらものだ。 おくぬしさい姉妹きやうだいだが、氣立きだて立派りつぱ婦人ふじんだ。

みなまだ滿足まんぞくでゐるかい?」と奇麗きれい銀製ぎんせいさぢ茶碗ちやわん砂糖さとう搔廻かきまはしながら、わたし心元こゝろもとなさゝうにくと、

「あの、ひとこはれましたの」、とさい何氣なにげなくこたへた。 さい此時このとき湯沸ゆわかし龍頭りうづねぢつてゐたが、見事みごとにスウとほとばしる。

 わたし高笑たかわらひをした。

 をとうとが、

なに可笑をかしいのです?」

「なに、なんでもない。 それよりか、う一書齋しよさいれてツてれ。 なに勇士ゆうしためだ、面倒めんだうれ! 留守中るすちうらくをしてゐたらうが、もう駄目だめだぞ。 これからはおれがウンと使つかつてやる。 」で、無論むろん常談じやうだんに、ともよ、いそがむ、たゝかひに、いさみててきいそがむ…とうたした。

 みなわたしこゝろさとつて微笑びせうしたが、さいだけは俯向うつむいてぬひとり奇麗きれい布巾ふきん茶碗ちやわんいてゐた。 書齋しよさいくと、水色みづいろ壁紙かべがみや、あをかさかぶつたランプや、水差みづさしつたちひさなテーブルがまたく。 水差みづさしすこちりよごれてゐた。

 わたし浮立うきたつて、

「あの水差みづさしみづすこし…」

いまむだばかりぢやりませんか。」

「まあ、い、いでれ。 それから、おまへな」、とさいむかつて、「ばうれてすこつぎつてゝれんか。 たのむ。」

 で、わたしはグビリ〳〵と、たのしみながら、みづむだ。 つぎにはさいばうるのだが、姿すがたえない。

「もうよろしい。 さあ、此方こツちへおで。 だが、もうおそいのに何故なぜばうないのだ?」

「おかへンなすつたのがうれしいのですよ。 ばうや、おとうさんのそばへおで。」

 しかしばう泣出なきだしてはゝすそかくれた。

何故なぜばうくのだらう?」とわたしはうろ〳〵と視廻みまはして、「一體いつたい前逹まへたち何故なぜ其樣そんあをかほをしてだまつてるのだ? 影法師かげぼふしのやうに、始終しゞうひとあとにばかりいてる…」

 おとうと高笑たかわらひをして、

だまつてやしません。」

 いもうと合槌あひづちつて、

「お饒舌しやべり仕通しどほしよ。」

「どれ、わたしはお夜食やしよく仕度したくかゝらう」、とはゝ倉皇そゝくさつた。

「いや、だまつてゐる」、とわたしはふツとそれ相違さうゐないと思込おもひこむで、「あさから一言ひとことだつてお前逹まへたちものふのをいたことがない。 おればかり饒舌しやべつたり、わらつたりしてよろこんでるのだ。 おれかへつててもよろこんでれんのか? 何故なぜみなたけおれかほぬやうにするのだ? おれ其樣そんなかはつたか? そりやかはりもしたらうが…かゞみひとつもえんぢやないか? みな片付かたづけてしまつたのか? かゞみつてれ。」

「は、いまつてまゐりますよ」、とさいはいつて、つたぎり中々なか〳〵もどらんで、かゞみ小間使こまづかひつてた。 かほうつしてると、汽車きしやつてゐたとき停車塲ていしやぢやうとき矢張やはりあのかほで、すこけたやうだが、格別かくべつかはつたこともない。

ちつともかはつてやせんぢやないか?」

 とすましていふと、そばもの大層たいそうよろこんだ。 何故なぜだかみなわたし大聲おほごゑてゝ氣絕きぜつでもしさうにおもつてゐたらしい。

 いもうと笑聲わらひごゑ段々だん〳〵たかくなつて、狼狽あわてゝつてしまつたが、おとうと狼狽らうばいした樣子やうすもなく、落着拂おちつきはらて、

「さう、そんなにかはつちやゐません。 たゞすこ禿げたばかりで。」

くび滿足まんぞくいてるのが見付みつものだとおもはなきやならん」、とわたし平氣へいきこたへて、「それはさうと、みな何處どこつたのだらう——一人ひとり二人ふたりちして。 おまへもうすこうちうち引張ひツぱまはしてれんか。 じつこの椅子ゐす便利べんりだ。 まるおとがせん。 いくした?おれうなりや仕方しかたがない、かね糸目いとめけんで此樣こん義足ぎそくはう、もツといのを…や、自轉車じてんしやが!…」

 かべかゝつてゐる。 空氣くうきいてあるから、護謨輪ごむわしなびてゐたが、まだ眞新まツたらしだ。 後輪あとわ護謨ごむすこどろ干乾ひからびていてるのは一番いちばん最後しまひつたときどろだ。 おとうとだまつて椅子ゐすすのをめてゐた。 わたしにはそのだまつてゐるこゝろ立止たちどまつてゐるこゝろめたから、不機嫌ふきげんかほをして、

おれはう聯隊れんたい生殘いきのこつた將校しやうかう四人よにんほかない。 おれ非常ひじやう幸運かううんだ…自轉車じてんしやはおまへらう。 明日あすになつたら、おまへ部屋へやつてつとくがい。」

「さうですか。 ぢや、もらつときませう」、とおとうと素直すなほこといて、「さうですとも、にいさんはかううんだ。 市内しないでも人口じんこう半分はんぶん忌中きちうひとだそうですからな。 そりやあしなんだけれど…」

「さうとも。 おれ郵便配逹いうびんはいたつぢやなしな。」

 おとうとはふと立止たちどまつて、

如何どうしたんです? くび大層たいそうふるへるぢやりませんか?」

「なに、なんでもない。 なほちまふ、醫者いしやつてゐた。」

ふるへますな?」

「う、ふるへる。 なに、なほちまふ。 まあ、してれ。 ひとところるときて不好いかん。」

 家内かないものみな佛頂面ぶつちやうづらをしてゐるので、わたし不愉快ふゆくわいでならなかつたが、でもとこだんになると、またうれしくなつてた。 結構けつこう寢臺ねだいだ。 四年前よねんぜん結婚けつこん間際まぎはつた寢臺ねだいうへ本式ほんしきとこつてれる。 きよいシーツをいて、それからまくらゑて、夜着よぎける——その事々こと〴〵しい爲體ていたらくてゐると、可笑をかしくてなみだこぼれる。

 さいむかつて、

「さ、着物きものがせてれ。 それからかすのだ。 あゝ、心持こゝろもちだ!」

「は、只今たゞいま。」

はやく!」

「は、只今たゞいま。」

如何どうしたンだ?」

「は、只今たゞいま。」

 さいわたし背後うしろ化粧臺けしやうだいそばつてゐた。 其方そのはう振向ふりむいてやうとしたけれど、かなはない。 と、不意ふいさいおほきなこゑさけんだ。 此樣こんなこゑ戰塲せんぢやうでなければないといふほどおほきなこゑさけんだ、

なさけないぢやりませんか!」

 さうしてわたし飛付とびついたまゝ、其處そこたふれて、ありもせぬわたしひざかほうづめやうとして、慄然ぞツとしたやうにいて、またすがいて、すこしばかりのこつたもゝ接吻せつぷんしながら、きながら、

「あんな滿足まんぞく身體からだだつたのに!…まだ三十ぢやりませんか。 わか立派りツぱかただつたのに、此樣こんなになつてしまつて、なさけないぢやりませんか! 本當ほんたう殘酷ざんこく人逹ひとたちだ。 貴方あなた此樣こんなにすれば、何處どこいのでせう? なん必要ひつえうつたのでせう? やさしい貴郞あなた此樣こん姿すがたにしてしまつて…わたしももうもうなさけなくツて…」

 この泣聲なきごゑ聞付きゝつけてみなけてた。 はゝも、いもうとも、乳母うばみな駈付かけつけてて、みないた、なんだかつて、わたしあしところころがつて、みな大泣おほなきにいた。 おとうと部屋へや入口いりぐち蒼白あをじろかほをしてつてゐたが、これあごをわな〳〵ふるはせて、金切かなきごゑ振絞ふりしぼつて、

其樣そんなにかれると、わたし氣違きちがひになりさうだ——氣違きちがひに!」

 はゝはゝわたし椅子ゐすそばにひれしてゐたが、もうおほきなこゑないとえて、わづかに皺嗄しやがごゑてゝ、あたま車輪しやりん打當うちあて〳〵いてゐた。 で、其處そこまくらゑて夜着よぎけた淸潔きれい寢臺ねだいえる。 四年前よねんぜん結婚けつこん間際まぎはつた寢臺ねだいだ…