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血笑記

Chapter 15: (斷篇第十二)
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About This Book

A narrator describes a weary column of soldiers marching under unbearable heat toward an unknown destination, where exhaustion and sunstroke produce delirium, grotesque hallucinations (including visions of horse heads and ghostlike bodies), and a slow unravelling of bodily and mental control; intercut with sudden recollections of a domestic interior and a brother, the account shifts between close, claustrophobic sensory detail and panoramic scenes of a deranged, silent procession, culminating in abrupt sounds of battle that temporarily restore clarity and collective urgency.

たツいま戰爭せんさうめろ! めんと…」

 めんと、如何どうする? 人間にんげんまどひくべき言葉ことばるか? かういへば、あゝと、おなやう壯語さうごして、癖言くせごとへばへる。 あるひ人間にんげんまへひざまついていたら? すうまんひと泣聲なきごゑゆすつても、なんかひもないでないか? あるひ人間にんげんまへ自殺じさつしてせたら? 自殺じさつ每日まいにちすう千といふひといのちおとしても、なんかひもないでないか?

 かうして自分じぶんちからでは奈何いかんともすることが出來できぬとおもふと、わたしそゞろになる、——のろところ戰爭せんさうかぶれて、その狂味きやうみびてる。 あにはなしのドクトルのやうに、妻子さいし珍寶ちんぱう諸共もろとも人間にんげん栖家すみかきたくなる、そのところみづどくとうじたくなる、所有あらゆる死人しにんくわんから引出ひきだして亡骸なきがらけがれたひと寢臺ねだいうへ抛付なげつけたくなる。 汝等なんぢら人間にんげんつまいだ情婦じやうふいだいてねむごとくに、死骸しがいいだいてねむれ!

 あゝ惡魔あくまになりたい! 地獄ぢごくさんたる有樣ありさま此世このようつして、人間にんげんけてりたい。 人間にんげんゆめつかさどつて、ひとおや笑顏ゑがほをしてねむらむとしては、其子そのこに十切掛きりかけるとき眞黑まつくろ姿すがたをしてその面前めんぜんにヌツクとつてやりたい…

 わたしはどうしてもくるふ。 たゞ、くるふなら、はやくるへ、——一こくはやくるへ…

(斷篇第十一)

 …俘虜ふりよで、恟々おど〳〵した、ふるへてゐる一だんひとだ。 これ車室しやしつから引出ひきだしたとき見物けんぶつうなつた、——みじかい脆弱やにこくさりつないだ、おほきな、意地いぢわるいぬごとうなつた。 うなつてから、だまつてかたいきをしてゐると、俘虜逹ふりよたち衣囊かくしれ、しろせてびるやうに微笑びせうしながら、ひし目白押めじろおし押塊おしかたまつてく。 それをると、いまにも背後うしろからながぼうすねところをビシヤリとられるといふひと足取あしどりだ。 が、なか一人ひとり落着おちついて、微笑にツこりともせず、險相けんさうかほをしてものがある。 わたし視合みあはせたときそのくろうち公然あからさま衣着きぬきせぬ媢嫉にくしみめた。 此男このをとこわたしいやしんでゐて、此奴こいつなにるかれたものでない、とおもつてゐたにちがひない。 わたし獲物えものたぬこのをとこらうとしたら、かならこゑをもてず、手向てむかひも辯解いひわけもしなかつたらう。 わたしなにをするかれたものでない、とおもつてゐたにちがひない。

 も一此男このをとこ視合みあはせたくなつて、見物けんぶつとも駈出かけだしてつた。 俘虜逹ふりよたち收容所しうようじよはいときねがひかなつて、其男そのをとこひらいて戰友せんいうみなとほしてから、自分じぶんうちはいらうとして、とまたわたしかほた。 くろい、おほきな、ひとみつたに、無限むげん恐怖きようふ狂氣きやうきとをうかべて、如何いかにもくるしさうで、これては是程これほど不幸あじきない心持こゝろもちになつてゐるひとるまいとおもはれた。

「あれは何者なにものです、あのへん眼付めつきをしてゐるをとこは?」

 と護送ごさう兵士へいしたづねてると、

士官しくわんです。 狂人きちがひなんで。 あゝいふのは澤山たくさんります。」

名前なまへは?」

だまつてゝ名前なまへはんのです。 ほか俘虜ふりよんといふから、大方おほかた餘所よそのがまぎんでたんでせう。 もう一くびくゝらうとしたのをたすけたことがあるんで、や、どうもけられない!…」

 と兵士へいしはそのけられないといふこと手眞似てまねでしてせて、うちかくれてしまつた。

 で、かうばんになつてから、この俘虜ふりよことかんがへてみると、あゝしてひと敵中てきちうる。 如何どんあははされるかもれない、とおもつてゐる。 味方みかたても、つたかほ一人ひとりもない。 だまつて、浮世うきよひまくのを辛抱强しんばうづよつてゐるのだが、それにしても如何どう狂人きちがひとはおもへぬ。 臆病おくびやうでもなさゝうだ。 みなたましひはずぶる〳〵ものでゐるなかで、ひと昂然かうぜんとしてゐる。 おそらくその仲間なかまをも仲間なかまおもつてゐまい。 如何どん心持こゝろもちでゐるだらう? のぞむでを言ふまいといふ、その絕望ぜつばうふかさははかられぬ。 つたとてなんえきがある? いま是迄これまでいのち覺悟かくごして、人間にんげん眞價しんかさとつたには、周圍まはり如何どんなにさわいだとて、わめいたとて、また威嚇ゐかくしたとて、眼中がんちうにもう人間にんげんはない、てきもなければ、味方みかたもない、——といつたになつてゐるのだらう。 此男このをとこうへ聞糺きゝたゞしてみたら、一數萬すまん戰死者せんししやした此頃このごろおそろしい戰鬪せんとうとき捕虜ほりよになつたので、捕虜ほりよになるとき抵抗ていかうしなかつたとふ。 何故なぜ武器ぶきつてゐなかつたのを、それとはかずに一兵卒ぺいそつけんふるつて斬付きりつけると、起上おきあがりもせず、ほこにしてさへぎりもしなかつたが、きずあさかつた。 きずあさかつたのは、此男このをとこにしたら生憎あいにくことだつた。

 しかしまつた狂人きちがひでないともへぬ。 護送ごさう兵士へいしもさういつたが、かういふのは澤山たくさんるさうな…

(斷篇第十二)

 …そろ〳〵はじまつた。 昨夜さくやあに書齋しよさいはいると、あに安樂椅子あんらくゐすもたれて、書物しよもつうづまつたつくゑむかつてゐる。 手燭てしよくけると、まぼろしえてしまつたが、しばらくはその安樂椅子あんらくゐすにはかゝになれなかつた。 はじめうちおそろしかつた、——ガランとした室内しつないに、なにえずさら〳〵といふおとや、ぱち〳〵とものはねおとがして薄氣味うすきみわるかつたが、しかあになら他人たにんにはましだとおもふと、むし居心ゐごゝろくなつた。 が、それでも此晚このばん徹宵よツぴて椅子ゐすはなれなかつた。 はなれたら、あにけさうにおもはれて。 へやときは、背後うしろかずに、いそいでた。 家中うちゞう燈火あかりけたものか——いや、それにもおよぶまいか? 燈火あかりなにかゞえたら、無氣味ぶきみだらう。 此儘このまゝだと、まだ多少たせううたがひそんしてこと出來できる。

 今日けふ手燭てしよくつて部屋へやはいつたら、椅子ゐすにはだれけてなかつた。 してみると、昨夜ゆうべたゞかげがちらりとしたばかりでつたのだ。 また停車塲ていしやばつてみると、——もう此頃このごろでは每朝まいあさことにしてゐるのだが、つてみると、味方みかた瘋癲ふうてん患者くわんじやばかりをせた車輛しやりやうがある。 けずにべつ線路せんろうつしてしまつたが、それでもまどから幾人いくにんかのかほえた。 みなおそろしいかほであつた。 こと一人ひとり患者くわんじやかほ法外はふぐわいびて、レモンのやうにきいろく、明放あけツぱなしの眞黑まつくろくちすわつたと、どうても「無殘むざん」をおもてきざむだやうなかほで、わたしこれうばはれてしまつたほどだつたが、ひたわたし眞向まむかひにつて、ぢつくびゑて、其儘そのまゝまゆひとうごかさず、じろぎもせずに、うご汽車きしやとも行過ゆきすぎてしまつた。 これが停車塲ていしやば仕合しあはせうちのあのくら戶口とぐち此面このかほえたら、わたし到底とてれなかつたらうとおもふ。 いてたら、後送こうさうされた瘋癲ふうてん患者くわんじやは廿二めいだつたとふ。 愈々いよ〳〵流行りうかうするものとえる。 新聞しんぶんでは一向噂かうゝはさもせぬが、市内しないでも徐々そろ〳〵其萠そのきざしえるやうだ。 はた締切しめきつた眞黑まツくろ馬車ばしや折々をり〳〵かける。 今日けふにち彼方此方あちこちで六だい見掛みかけたが、大方おほかたわたしいまあれことであらう。

 新聞紙しんぶんし每日まいにち軍隊ぐんたい輸送ゆさう必要ひつえうく。 さらなが必要ひつえうがあるとふ。 如何どういふわけだか、わたし愈愈いよいよわからない。 昨日きのふ奇怪きくわいばん論文ろんぶんむだ。 そのせつに、國民中こくみんちうにも軍事探偵ぐんじたんてい賣國奴ばいこくど謀叛人むほんにん澤山たくさんるから、銘々めい〳〵戒心かいしんして十ぶん注意ちういしなければならんが、國民こくみん公憤こうふんてらされては、この極惡人等ごくあくにんらつひ其跡そのあとくらますことは出來できまいとあつた。 この極惡人等ごくあくにんらとは如何どん人逹ひとたちことで、如何どん惡事あくじはたらいたのだらう? 停車塲ていしやば電車でんしやつたら、車中しやちうへんはなしいた。 大方おほかたその極惡人逹ごくあくにんたちうはさをしてゐたのだらう。

「さういふ奴等やつら裁判さいばんなにつたものぢやない、卒然いきなり絞罪かうざいしよしツちまふがいのです、」と一人ひとりつて、胡亂うろんさうにみな視廻みまはしたつひでに、わたしかほをもちらりとて、「謀叛人むほんにん絞殺やツつけるにかぎる。」

用捨ようしやなくな」、といま一人ひとり合槌あひづちつて、「もう散散さんざん用捨ようしやしてつてますからな。」

 わたし電車でんしや飛降とびおりてしまつた。 みな戰爭せんさうにはかされてゐる、あの人逹ひとたち矢張やはりうだらうに、——これはまた如何どうしたことだ? 如何どうやらあかきり大地だいぢつゝひとさへぎり、まこと世界せかい破滅はめつちかづいたやうに段々だん〴〵おもはれてる。 あにたといふあかわらひれだ。 かなたのみどろの赤黑あかぐろくなつたから、狂亂きやうらんかぜいてて、大氣たいきなかにそのつめたい氣息いぶきつたはるをおぼえる。 わたし屈强くつきやうをとこだ、やまひ身體からだこはしたため腦髓なうずゐとろけてたのではないが、病毒びやうどく傳染でんせんしてわたしこゝろなかばはもうわたし自由じいうにならぬ。 これはペストよりわるい、ペストよりおそろしい。 ペストなら、まだ何處どこへかかくれるはふもある、なにかしら豫防法よばうはふほどここと出來できるが、遠近えんきんもなく、障隔へだてもなく、何處どこへでもとほ思想しさうにはかくれるみちがないではないか?