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血笑記

Chapter 17: (斷篇第十四)
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About This Book

A narrator describes a weary column of soldiers marching under unbearable heat toward an unknown destination, where exhaustion and sunstroke produce delirium, grotesque hallucinations (including visions of horse heads and ghostlike bodies), and a slow unravelling of bodily and mental control; intercut with sudden recollections of a domestic interior and a brother, the account shifts between close, claustrophobic sensory detail and panoramic scenes of a deranged, silent procession, culminating in abrupt sounds of battle that temporarily restore clarity and collective urgency.

 ひるはまだしのげるが、よるになると、わたし人並ひとなみゆめやつこになつてしまふ、——そのゆめまたおそろしい狂氣染きちがひぢみたゆめで…

(斷篇第十三)

 いたところ私鬪しとうおこなはれて、無意味むいみおびたゞしくながす。 いさゝかの衝動しようどうにも無法むはふ腕力わんりよく沙汰ざたになつて、ナイフや石塊いしころ棍棒こんぼうひらめき、相手あひてかまはず手當てあた次第しだい打殺ぶちころす。 鮮血せんけつ兎角とかくほとばしりたがつて、なんもなく滾々こん〳〵ながれる。

 その百姓ひやくしやうは六にんで、丸込たまごめしたぢうかたげたへいが三にん護送ごさうしてく。 みな如何いかにも百姓ひやくしやうじみた、粗末そまつな、野蠻人やばんじん髣髴はうふつたる、原始的げんしてき服裝ふくさうで、宛然まるで粘土ねばつちでツちたやうな別種べつしゆかほをして、かみひげもくしや〳〵とかたまつてむし毛物けもののやうで、それがさかゆる市街しがいを、紀律きりつたゞしい兵士へいし護送ごさうせられてところは、むかし奴隸どれいまのあたりにるやうだ。 みな戰地せんち召集せうしふせられてくので、銃劍ぢうけんにはてきず、屠所としよかれるうしのやうに、つみかほをしてキョトンとしてく。 最先まつさきくのは頰髭ほゝひげえぬ、たか若者わかもので、鵞鳥がてうのやうなひよろながくびへ、ちひさなあたまゑてゐる。 枯枝かれえだのやうな身體からだ前屈まへこゞみにして、凝然ぢつ足元あしもと睇視みつめた目色めつき地中ちちう喰入くひいりさうだ。殿しんがりくのはひくい、ひげだらけの、年配ねんぱいをとこだつたが、もう反抗はんかうする氣力きりよくもないらしく、思慮しりよのない目色めつきをして、あし汲付すひつくのか、喰付くひつくのか、兎角とかくはなれかねて、烈風れつぷうむかつたやうに、そらしてく。 一うつすにも、兵士へいし背後うしろからぢう臺尻だいじり小突こづかれて、やツ片足かたあし引離ひきはなし、わな〳〵しながら踏出ふみだすけれど、片足かたあし附着くツついてゐて中々なか〳〵はなれない。 兵士へいしいやかほをして不機嫌ふきげんさうだ。 もうながいことうしてくらしく、ぢうかたげたふりにも、田舎漢ゐなかものらしく内輪うちわおもひ〳〵にある足取あしどりにも、困憊がツかりして萬事ばんじ抛遣なげやりにしてゐるところがある。 意味いみもなく、思切おもきわるく、だまつて百姓等ひやくしやうら反抗はんかうするので、紀律きりつかたまつたあたまぼツとなり、何處どこなんためくのか、もうわからなくなつたといふ樣子やうすだ。

何處どこれてくのです?」とわたしが一ばんはづれへいくと、そのへい愕然びくツとしてわたしかほた。 ギロリとしたするど目色めつきられたときには、まさしく銃劍ぢうけん突付つきつけられて、その切先きツさきむねへグサとさつたやうな氣持きもちがした。

そばつちや不好いかん! 退け! 退かんと…」

 れい年配ねんぱいをとここの瞬間しゆんかんひまじようじて迯出にげだした。 チョコ〳〵と小走こばしりにはしつて、路端みちばたさく根方ねかたへ、かくれるつもりなのか、つぐなんだ。 しん動物どうぶつでも此樣こんとぼけた狂人染きちがひじみたことはすまい。 へいおほいいかつた。 つか〳〵とそばつてこゞむと、ぢう左手ゆんで持易もちかへるや、右手めてなにやはらかいひらたいものおとがピシャリとした。 またピシャリといふ。 ひと環集たかつてる。 わらこゑわめこゑがする…

(斷篇第十四)

 土間どまの十一にた。 右左みぎひだりからだれうでだかにひたはさまれながら、周圍まはり見廻みまははすと、ズツとむかふまで一めんぢツゑたひとくび薄暗うすぐらなかならんでゐるのが、舞臺ぶたい火影ほかげけてぼツあかえる。 かうしたせまところ此樣こんなひとまつてゐるのをてゐると、次第しだいおそろしくなつてる。 みなだまつて舞臺ぶたい臺詞せりふいてゐる、——あるひなに餘所事よそごとかんがへてゐるのかもれぬが、多人數たにんずなので、だまつてゐても、俳優はいゝうおほきなこゑよりもきこえる。 せきをする、はなむ、衣摺きぬずれおとあし踏易ふみかへるおとがする。 ふかあら息氣いきづかひのおとさへ判然はツきりきこえたが、この息氣いきづかひのため空氣くうき生溫なまあたゝくなるのだ。 かうしてゐるひとみな死人しにんになるときにはなる、みなあたまくるつてゐる、——とおもふと、彌竪よだつ。 丁寧ていねいとかしたあたましろかたいカラーのうへしかゑてなりしづめてゐるところに、狂氣きやうき暴風雨あらしいまにも吹起ふきおこりさうな氣味きみがある。

 隨分ずゐぶん人數にんずだつたが、これがみなおそろしい人逹ひとたちで、加之しかわたしところから出口でぐちまで餘程よほどある、——とおもふと、ゆびさきまでつめたくなつた。 みな落着おちついてゐるけれど、大聲おほごゑに、「火事くわじだ! …」といつたら…とおもふと、慄然ぞツとする。 薄氣味うすきびわるいけれど、なんだかしきりにつてたくてたまらなくなる。 いまでも其時そのときこと憶出おもひだすと、ゆびさきまでつめたくなつて冷汗ひやあせる。 はうとおもへば、へんことはない。 起上たちあがつて、背後うしろ振向ふりむいて、大聲おほごゑういふのだ、

火事くわじだツ! にげろ〳〵、火事くわじだツ!」

 さうしたら、いま那麽あゝ落着おちついてゐる手足てあしきふ狂氣きやうき取付とりついてふるす。 みなをどあがり、さけし、畜生ちくしやうのやうに、たけつて、つま姉妹あねいもうと母親はゝおやるのもわすれて、不意ふい盲目めくらになつたやうに、彼方此方あちこち彷徨うろ〳〵し、そゞろになり、はて香水かうすゐかほりたかいあのしろたがひ咽喉のど締出しめだす。 ぱツ塲内ぢやうないあかるくして、だれだか眞蒼まつさをかほをしたもの舞臺ぶたいからなんでもりません、火事くわじでもなんでもりませんとよばはると、おのゝくやうに斷續だんぞくした樂聲がくせい思切おもひきつてはなやかにおこるけれど、もう其樣そんものみゝものはない。 ドタバタとたがひ咽喉のどひ、あるひ婦人ふじんあたまつ、手數てすうけてたくみに結上ゆひあげたかみをポカ〳〵とつ。 たがひみゝ引捥ひンもぎり、はな喰缺くひかく。 衣服きものなに引裂ひきさかれて赤躶まるはだかになるけれど、くるつてゐるから、はぢはぢともおもはない。 平生ひごろ吾神わがかみあがめる、淚脆なみだもろい、やさしい、うつくしい婦人逹ふじんたち泣聲なきごゑて、足元あしもと便たよりないもだえ、かねての男氣をとこぎたのみにしてひざ縋付すがりつくのに、そのうつくしいかほげたところ忌々いま〳〵しさうに撲曲はりまげて、自分じぶん出口でぐちやうと焦心あせる。 をとこはいつでも人殺ひとごろしをりかねぬ。 その長閑のどか上品じやうひんめかしてゐるのは、しよくいた動物どうぶついのちかゝ大事だいじもないと安心あんしんして落着おちついてゐるのにぎぬ。

 で、見物けんぶつ半分はんぶん死骸しがいになつて、ぼろ〳〵した服裝なり人逹ひとたち一塊ひとかたまり、出口でぐちところにわな〳〵と、畜生ちくしやうはぢいたやうなかほをしてふるへながら、苦笑にがわらひをしてゐるときわたし舞臺ぶたいて、ういつてわらてやるのだ。

「みんなわたしあにころしたむくひだとおもひなさい。」

 ね、かういつてわらつてやるのだ、

「みんなわたしあにころしたむくひだとおもひなさい。」

 なに大聲おほごゑわたし獨言ひとりごとつたとえて、此時このとき右隣みぎどなりのひと忌々いま〳〵しさうに身動みうごきをして、

「シッ! 邪魔じやまになつてきこえやしない。」

 わたし浮々うき〳〵する。 串戯ふざけてたくてたまらない。 事有ことありげな、生眞面目きまじめかほつくつて、其方そのはうつてくと、

なんです? 何故なぜ其樣そんなひとかほるのです?」

其人そのひと胡亂うろんさうにく。

しづかに」、とわたしくちびるばかりをうごかしてさゝやく。

ひどくキナくさいでせう? 火事くわじですぜ。」

 者奴しやつ中々なか〳〵氣丈者しつかりもの分別ふんべつやつえて、こゑてなかつた。 さツと顏色かほいろへると、うし膀胱程ばうくわうほどおほきな眼球めだま飛出とびだしてほゝさがほどになつたけれど、それでもこゑてなかつた。 そつと起上たちあがつて、わたしにはれいはずに、わく〳〵して蹌踉よろけながら、それでもかずに出口でぐちはうく。 此中このなか迯出にげだしていのちたすかる價値ねうちるのは自分じぶんばかりと己惚うぬぼれて、ほかもの火事くわじいてその迯路にげみちふさぐをおそれてゐたらしい。

 わたし氣色きしよくわるくなつてたから、矢張やはり芝居しばゐしまつた。 此處こゝ正體しやうたいあらはすのはまだはやいともおもつたので。 で、そと戰地せんち方角はうがくながめてみると、そらしんとして、火影ほかげうつよるくも長閑のどかしづかにたゞよつてゐる。 そらまちあましづかなのにだまされて、「みんなゆめで、戰爭せんさうなにるんぢやないのかもれん」、とわたしおもつた。

 が、曲角まがりかどから子供こども飛出とびだして、なんだかうれしさうに大聲おほごゑで、

「そーら滅茶苦茶めちやくちや大戰爭だいせんさう! 大變たいへん討死うちじにだい!電報でんぱうつておんな。 今夜こんや電報でんぱうだぜ。」

 街燈がいとう火影ほかげむでると、戰死せんし四千とある。 芝居しばゐ見物けんぶつだつて千以上いじやうかつたらう。 うちかへ途々みち〳〵も、四千の死骸しがい〳〵と、始終しじゆう其事そのことばかりをおもつてゐた。

 かうなると、ガランとしたうちはいるのが氣味きみわるい。 かぎあな押入おしいれて、なにはぬたひらなながめたばかりで、もうひとまぬ眞暗まツくら部屋へや々々〴〵のこらずこゝろうかぶ。 いま其中そのなかをキョロ〳〵しながら帽子ぼうしかぶつたもの一人ひとりとほところだ。 不知ふち案内あんない通路かよひぢではないけれど、まだ梯子段はしごだんのぼときから、マッチをつて、手燭てしよく見付みつけるまでとぼつゞけてゐた。 あに書齋しよさいへはもうかぬ。 書齋しよさい在形ありがたまゝ全然そツくりひた締切しめきつて、ぢやうおろしてある。 わたし食堂しよくだう引越ひツこしてゐたが、今夜こんやその食堂しよくだうるのだ。 食堂しよくだうはう居心ゐごゝろい。 話聲はなしごゑや、笑聲わらひごゑや、食器しよくきにぎやかなおとがまだ太氣中たいきちうこもつてさうにおもはれる。 時々とき〴〵かわいたペンさきのさら〳〵と紙上しゞやうはしおと判然はつきりきこえることもある。 寢臺ねだいよこになると…