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血笑記

Chapter 23: (最後の斷片)
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About This Book

A narrator describes a weary column of soldiers marching under unbearable heat toward an unknown destination, where exhaustion and sunstroke produce delirium, grotesque hallucinations (including visions of horse heads and ghostlike bodies), and a slow unravelling of bodily and mental control; intercut with sudden recollections of a domestic interior and a brother, the account shifts between close, claustrophobic sensory detail and panoramic scenes of a deranged, silent procession, culminating in abrupt sounds of battle that temporarily restore clarity and collective urgency.

 手紙てがみ文句もんくしもとほり。 鉛筆えんぴつ幾片いくひらかのかみ切端きれはしいたもので、結末けつまついてゐない。 なに邪魔じやまはいつたものとえる。

⦅…いまとなつてはじめ戰爭せんさうおほいたのしむべき所以ゆえんつた。 利口りこうな、狡猾かうくわつな、裏表うらおもてのある、肉食にくしよく動物どうぶつちう肉食にくしよく動物どうぶつより、はるかにあぢのある人間にんげんといふやつをころたのしみは、古風こふう原始的げんしてきたのしみで、鎭長とこしなへひと生命せいめいうばふといふことは、行星かうせいなんぞをげてテニスをるよりも、愉快ゆくわいなものだ。 きみあはれだ。 ぼくきみ僕等ぼくらともることをずして、無味むみ平凡へいぼんおくつて、無聊むりようくるしむうへになつたのをかなしむ。 きみ高尙かいしやう精神せいしんから、やすきをぬすんでられずして、ながもとめたところのものは、死地しちはいつてのちはじめられる。 ふといふこと、比喩ひゆやゝふるめかしいが、眞實しんじつかへつ這裏しやりる。 僕等ぼくらひざまでり、この赤葡萄酒あかぶだうしゆつてチロ〳〵になつてゐる。 赤葡萄酒あかぶだうしゆとは名譽めいよあるぼく部下ぶかへいたはむれにめいじただ。 ひと生血いきちむといふ風習ふうしふは、ひとおもほど馬鹿氣ばかげたものではない。 古人こじん承知しようちしてつたことだ…⦆

⦅…からすいてゐる。 きみきこえるか、からすいてゐるぞ。 何處どこから此樣こんなんでたのだらう! そらくろほどだ。 天下てんか可畏物こはいものなしの僕等ぼくらならんで、からす宿とまつてゐる。 何處どこつてもいてる。 いつも僕等ぼくらあたまうへるから、くろレースのかさしてゐるやうで、またくろうごかげるやうだ。 一ぼくかほそばつゝつかうとした。 きやつぼく死人しにん間違まちがへたのだらう。 からすいてゐる、すこになる。 何處どこから此樣こんなにんでたのだらう?⦆

⦅…昨夜ゆうべ僕等ぼくら睡耋ねぼけたてき鏖殺みなごろしにした。 かも仕留しとめるときのやうに、そつと、足音あしおとぬすんで、うまく、用心ようじんしてつてつたから、死骸しがいに一つつまづかず、とりたせなかつた。 幽靈いうれいのやうに、しのんでく、それをまたよるかくしてれる。 哨兵せうへいぼく片付かたづけてやつた、突倒つきたふしていて、こゑてぬやうに咽喉のどめたのだ。 すこしでもこゑてられたら、百年目ねんめだからなあ、きみ。 しかしこゑてなかつた。 ころされるとおもつてゐるひまかつたやうだ。

 かゞりがぷす〳〵いぶつてゐる。 てき其側そのそばてゐた。 我家わがや寢臺ねだいたやうに、安心あんしんしててゐた。 其處そこ僕等ぼくらは一時間餘じかんよほふつたのだ。 らぬうちさましたのは幾人いくたりもなかつたが其樣そん奴等やつら悲鳴ひめいげて、無論むろんゆるしてれといつた。 喰付くひつきもした。 一人ひとりやつなんぞ、ぼくあたま引摑ひツつかむと、つかみやうがわるかつたので、ひだりゆびりをつた。 ゆびみ切られたが、其代そのかは見事みごとくび引捻ひンねぢつてやつた。 如何どうだ、きみ、これなら帳消ちやうけしになるまいか?いや、みな眠込ねこんでやがつたよ! ほねれば、ポキンといふな、にくれば、ザクッといふのだ。 それから丸裸まるはだかにしていて、お四季施しきせ分配ぶんぱいをやつたが、きみ串戯じやうだんいふとおもつておこつちや不好いけないぜ。 きみ六かしいから、それぢや野武士臭のぶしくさいといふかもれんが、仕方しかたがないさ。 僕等ぼくらだつてほとんはだかだもの。 全然すツかり着切きゝつてしまつたのだ。 ぼくうからなんだかをんな上衣うはぎのやうなものてゐるのだ。 これぢや常勝軍じやうしようぐん將校しやうかうぢやなくて、なにかのやうだ。

 それはさうと、きみ結婚けつこんしたやうだつたな?それぢや、此樣こん手紙てがみちや、わるかつたらう。 しかし…なあ、きみをんなかぎるぞ。 えい、くそぼくだつて靑年せいねんだ、こひかつしてゐるンだ!おツと——きみにも約束やくそくしたをんなが有つたつけな?きみ何處どこかの令孃れいぢやう寫眞しやしんぼくせて、これがぼく婚約こんやくしたをんなだとつたことがあるぜ。 寫眞しやしんにはなんだかかなしい、非常ひじやうかなしい、あはれなこといてあつたつけ。 さうしてきみいたぜ。 なにいたのだつけな? なんでも非常ひじやうかなしい、非常ひじやうあはれな、ちひさなはなのやうなこといてあつたつけが、なんだつけな? きみいたぜ、——いて〳〵、てたぜ… みツともない、將校しやうかうくせくなんて!⦆

⦅…からすいてゐる。 きみきこえるだらう?からすいてるぞ。 なんだつて彼樣あんなくのだらう?…⦆

 此後このあと鉛筆えんぴつあとえてゐて、署名しよめいめかねた。

******

 不思議ふしぎだ。 此人このひと戰死せんししたのがれても、わたしちつともあはれとおもはなかつた。 かほ憶出おもひだすと、判然はツきりうかぶ。 やさしい、しほらしい、をんなのやうな面相かほだちで、ほゝ桃色もゝいろ眼中がんちうすゞしく、あさごといさぎよくて、ひげやはらかなむくで、これならをんなかほかざりにもなりさうにおもはれた。 書物しよもつや、はなや、音樂おんがくこのみ、すべ粗暴そぼうこときらひで、などつくつてゐた。 批評家ひゝやうかあに中々なか〳〵たくみだといつてたくらゐだ。 が、このひとについてわたしつてゐるところおもしたのでは、どうもこの鴉啼からすなきや、夜襲やしううみや、調和てうわせぬ。

 …からすいてゐる…

 ふツと、またゝ調子てうしはづれのなんともひやうもないうれしい心持こゝろもちになつてみると、今迄いまゝでことみなうそで、戰爭せんさうないりはせん。 戰死者せんししやもなければ、死骸しがいもない。 思想しさう根底こんていゆるいで便たよりなくなるなぞと、其樣そんおそろしいことるのではない。 わたし仰向あふむけて、子供こどものやうにおそろしいゆめてゐるのだ。 恐怖きようふあらされて寂然しんとなつた無氣味ぶきび部屋々々へや〳〵も、ひといたものともおもへぬ手紙てがみつたわたしも、みなゆめだ。 あにきてゐて、家内かないものみなちやむでゐる。 茶器ちやきものれておときこえる。

 …からすいてゐる…

 いや、矢張やはり事實じじつだ。 不幸ふかうなか——それが事實じじつではるまいか? からすいてゐる。 理性りせいうしなつた狂人きやうじんや、無事ぶじくるしむ文士ぶんしなどが、安直あんちよくもとめておもいた空言そらごとではない。 からすいてゐる。 あに何處どこるか。 氣品きひんたかい、溫順おんじゆんな、だれにも迷惑めいわくけまいと心掛こゝろがけてゐたひとだ。 あに何處どこる? さあ、忌々いま〳〵しい解死人げしにんめら、返事へんじをしろ! のろつてもらぬ惡黨あくとうめら、牛馬ぎうば屍肉しにくたかつたからすめら、なさけない愚鈍ぐどん畜生ちくしやうめら、——さあ、手前逹てまへたち畜生ちくしやうだ、——世界せかいひと面前めんぜん手前逹てまへたちいてるのだぞ! 何咎なにとがあつてあにころした?手前逹てまへたちかほがあるなら、頰打ほゝうちはしてやるところだが、手前逹てまへたちにはかほはない。 手前逹てまへたちのそれは肉食動物にくしよくどうぶつ鼻面はなづらといふものだ。 人間にんげんふうをしてゐても、手套てぶくろしたからつめえるでないか? 帽子ばうししたから畜生ちくしやうのひしやげた惱天なうてんえるでないか? いくりこうさうなくちいても、手前逹てまへたちことには狂氣きちがひじみたところがあるわ。 繍錠さびぢやうのぢやら〳〵いふおとがするわ。 おれおれかなしみ、うれひ、侮辱ぶじよくせられた思想しさうちから有丈ありたけつくして、手前逹てまへたちのろふぞ、このなさけない愚鈍ぐどん畜生ちくしやうめら!

(最後の斷片)

「…生存上せいぞんじやう新生面しんせいめんひらくのは諸君しよくん任務にんむであります、」と辯士べんしさけむだ。 此人このひとは「戰爭せんさうめよ」といた文字もじしわでよれ〳〵になつたはたりながら、釣合つりあひつて、からうじてちひさな圓柱ゑんちううへつてるのだ。

諸君しよくん靑年せいねんである、諸君しよくん未來みらい生活せいくわつすべきひとである。 よろしくかくごと狂暴きやうばう慘酷ざんこくなること關係くわんけいつて、つて自己じこ生命せいめいたもつべきである。 未來みらい國民こくみんたね保全ほぜんすべきである、我々われ〳〵今日こんにち慘狀さんじやうるにしのびぬ。 これ目擊もくげきしては眼中がんちう血走ちばしるをきんぜぬ。 じつてん頭上づじやう落懸おちかゝ大地たいち足下そつかけるやうなかんがある。 諸君しよくん…」

 此時このとき群衆ぐんじゆ尋常ただならぬ動搖どよみつくつたので、辯士べんしこゑそれ消壓けおされてひとしきりきこえなくなつたが、まことたましひでもこもつてさうな、物凄ものすご動搖どよみであつた。

りに我輩わがはいくるつてゐるとするも、我輩わがはいところ眞理しんりである。 我輩わがはいにはちゝがあり兄弟きやうだいがあるが、みな戰塲せんぢやう牛馬ぎうばしかばねごと腐敗ふはいしつゝある。 よろしくかゞりいて、あなつて、武器ぶき鑄潰いつぶしてめてしまふがい、軍人ぐんじんとらへてそのさんたる狂氣服きちがひふくいで、寸裂すんれつしてしまふがい。 我々われ〳〵最早もはやしのぶことが出來できぬ… 同類どうるゐにつゝあるのである…」