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血笑記 cover

血笑記

Chapter 24: 血笑記 終
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About This Book

A narrator describes a weary column of soldiers marching under unbearable heat toward an unknown destination, where exhaustion and sunstroke produce delirium, grotesque hallucinations (including visions of horse heads and ghostlike bodies), and a slow unravelling of bodily and mental control; intercut with sudden recollections of a domestic interior and a brother, the account shifts between close, claustrophobic sensory detail and panoramic scenes of a deranged, silent procession, culminating in abrupt sounds of battle that temporarily restore clarity and collective urgency.

「チヨッ、書齋しよさいかう。 なんつても他人たにんよりかい。」

 あにはたして肱掛椅子ひぢかけいすつて、書物しよもつうまつたテーブルにむかつてたが、いま彼時あのときのやうにえもせぬ。 カーテンおろしたすきからそとあかりが薄赤うすあかしてゐるけれど、ものらすほどでもないから、あに姿すがたはぼんやりえる。 わたくしあにとははなれて、ソフアにこしおろして成行なりゆきた。 書齋しよさいしづかで、のべつにぐわうといふおとなにかのグッラ〳〵と崩落くづれおちるおと其處此處そここゝ叫聲さけびごゑかすかにきこえてゐたのが、次第しだいちか押寄おしよせてる。 赤黑あかぐろひかり益々ます〳〵つよくなり、肱掛椅子ひぢかけいすつたあにの、眞黑まツくろな、鑄鐵いてつつくつたやうな半面よこがほが、そのほそあかせんうちえるやうになつたとき

にいさん!」

 とんでみた。

 が、だまつてる。 石碑せきひのやうに凝然ぢツ眞黑まつくろ居竦ゐすくまつてゐる。 隣室りんしつ床板ゆかいたがピシリとはぜて、きふめうしんとなる。 澤山たくさん死骸しがいなかにでもゐるやうだ。 おとおとみなえて、赤黑あかぐろひかりまでしんめりとしたかげ宿やどして、こツたやうにうごかなくなり、其色そのいろやゝうすれる。 このさびしさはあにからとおもつて、其通そのとほりをふと、

「いや、おれ所爲せゐぢやない。まどのぞいて御覽ごらん。」

カーテン引除ひきのけて——わたしはたぢ〳〵となつた。

「おゝ、この故爲せゐか!」

家内かないんでれ。 あれはまだたことがないから」、とあにがいふ。

 あによめ食堂しよくだうなに裁縫さいほうをしてゐたが、わたしくと、はり縫物ぬひものして、はれるまゝ起上たちあがり、わたしあといてる。 窓々まど〳〵カーテンみんな引除ひきのけたら、薄赤うすあかひかりが、ひろ入口いりぐちて、おもひのまゝ室内しつないながむだが、何故なぜだかうちあかるくはならないで、矢張やはりくらかつた、たゞまどだけ四角しかくあかおほきく燦然ぼツあかるくえた。

 みな窓際まどぎはつてあふいでると、いへかべ軒蛇腹のきじやばらから、のやうに眞紅まツかな、平坦たひらそらになつて、くもほしけずに、其儘そのまゝ地平線ちへいせん彼方かなたぼつしたやうにえる。 してれば、矢張やはり平坦たひら赤黑あかぐろ死骸しがいうづまつてる。 死骸しがいみな裸體はだかで、あし此方こちらけてるから、此方こちらからはたゞあしのうらと三かくあごしたえるばかりだ。 寂然しんとしてゐる——みな死骸しがいえて、際限はてしもない置去おきざりにされた負傷者ふしやうしやらしいもの一人ひとりえなかつた。

段々だん〳〵えてる」、とあにふ。

 あに窓際まどぎはつてたが、はゝいもうと家内中かないぢうのこらず此處こゝる。 だれかほえなかつたが、たゞこゑでそれとれた。

「そんながするンだわ」、といもうとふ。

「いや、えてるのだ。 まあ、御覧ごらん。」

 成程なるほど死骸しがいえたやうだ。 如何どうしてえるのかと、凝然ぢツ注目ちうもくしてると、とある死骸しがいとなりの、今迄いままでなにかつたところに、フト死骸しがいあらはれた。 どうやら、みなからくらしい。 いたところがズン〳〵ふさがつてつて、大地だいちたちま微白ほのじろくなる。 微白ほのじろなるのは、あしのうら此方こちらけて、ならんでてゐる死骸しがいみな薄紅うすあかいからで、それにつれて室内しつないもその死骸しがいいろ薄紅うすあかあかるくなる。

「さあ、もう塲所ばしよがない」、とあにふ。

「もう此處こゝにも一人ひとりるよ」、とはゝがいふ。

 みな振向ふりむいてると、成程なるほど背後うしろにも一人ひとり仰反のけぞつてたふれてゐる。 と、たちまちそのそば一人ひとりあらはれ、二人ふたりあらはれる。 あとから〳〵いてて、薄紅うすあか死骸しがい行儀ぎやうぎよくならび、たちま部屋へや々々〳〵一杯いつぱいになる。

 保母ほぼが、

ぼツちやんたちのお部屋へやにもましたよ。 わたくしまゐりました。」

 いもうとが、

げてきませう。」

 あにが、

出道でみちがない。 御覽ごらん、もう此通このとほりだ。」

 成程なるほど死骸しがい其處そこぢう素足すあし投出なげだし、うでつらねて、ギッシリつままつてゐる。 それがる〳〵うごめきして、ぎよツとするに、みな行儀ぎようぎよくならむだまゝ、むく〳〵と起上おきあがる。 あたらしい死骸しがいからいてて、もとからるのを推上おしあげたのだ。

「かうしてると、くびめられる。 まどからませう。」

 とわたしふと、あにが、

「いや、まどからはもうげられん! 駄目だめだ! それ、あれを御覽ごらん!」

 …窓外さうぐわいには、赤黑あかぐろひかりのつたなかあかわらひえる。


血笑記  終


明治四十一年八月五日印刷  血笑記奥付

明治四十一年八月八日發行   正價金八拾五銭

        著者     長谷川二葉亭

              東京市麹町區飯田町六丁目廿四番地

  不 許   發行者    西本波太

              東京市小石川區久堅町百八番地

  複 製   印刷人    山田英二

              東京市小石川區久堅町百八番地

        印刷所    博文館印刷所

     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 發行所   東京市麹町區飯田町  易風社

       六丁目二十四番地    振替口座 一二〇三四番


Transcriber's Notes(Page numbers are those of the original text)

誤植と思われる箇所は岩波書店発行二葉亭四迷全集第四巻(昭和三十九年 第一刷)を参照し以下のように訂正した。

原文 生若まなわかい (p.25)

訂正 生若なまわか

原文 たばかりて (p.59) 

訂正 たばかりで

原文 狂人きちちがひ (p.64) 

訂正 狂人きちがひ

原文 血潮ししほ (p.71)

訂正 血潮ちしほ

原文 れぼ (p.72) 

訂正 れば

原文 便たよりないこゑて (p.85)

訂正 便たよりないこゑ

原文 二本指ほんゆびて (p.96)

訂正 二本指ほんゆび

原文 きこる! (p.108)

訂正 きこえる!

原文 貴方あなた此樣こんにすれば (p.121)

訂正 貴方あなた此樣こんなにすれば

原文 折合をりあこと出來ん (p.125)

訂正 折合をりあこと出來でき

原文 一所ひところ (p.125)

訂正 一所ひとところ

原文 せんか (p.138)

訂正 せん

原文 かみ歿のこつた (p.148)

訂正 かみのこつた

原文 うて (p.149)

訂正 うて

原文 薄無味惡うすきみわるかつたが (p.162)

訂正 薄氣味惡うすきみわるかつたが

原文 ちらりとしたばかりてつたのだ (p.163)

訂正 ちらりとしたばかりでつたのだ

原文 するど目色めつきて (p.171)

訂正 するど目色めつき

原文 ピシャり (p.172)

訂正 ピシャリ

原文 にげけろ (p.175)

訂正 にげ

原文 ふるす (p.175)

訂正 ふる

原文 つたたい (p.187)

訂正 つめたい

原文 むかふからる (p.208)

訂正 むかふから

原文 うしつたやうにも (p.230)

訂正 うしなつたやうにも

原文 たゞあしのうらと (p.243)

訂正 たゞあしのうら

原文 あしのうら (p.245)

訂正 あしのうら

原文 きれれ (p.237)

訂正 

●文字・フォーマットに関する補足

113頁「弟は高笑をして、」「妹も合槌を打つて、」、118頁「おとうとはふと立止たちどまつて、」の行は一字字下げした。

233頁の草書体の「志」は「し」に置換えた。「熱」の字は原文では「灬」の上が「執」の字。