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血笑記

Chapter 7: (斷篇第四)
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About This Book

A narrator describes a weary column of soldiers marching under unbearable heat toward an unknown destination, where exhaustion and sunstroke produce delirium, grotesque hallucinations (including visions of horse heads and ghostlike bodies), and a slow unravelling of bodily and mental control; intercut with sudden recollections of a domestic interior and a brother, the account shifts between close, claustrophobic sensory detail and panoramic scenes of a deranged, silent procession, culminating in abrupt sounds of battle that temporarily restore clarity and collective urgency.

(斷篇第三)

 …物狂ものくるほしさとおそろしさとだ。

 風聞ふうぶんると、てきにも味方みかたにも精神病せいしんびやう患者くわんじやおびたゞしいものだとふ。 我軍わがぐんでも精神病舎せいしんびやうしや四棟よむね出來できた。參謀部さんぼうぶつたとき副官ふくゝわんせてれたが…

(斷篇第四)

 …へびのやうにからく。 げんその友人いうじんてのはなしに、鐵條網てつでうもうの一たんがプツリとれて、ピンと跳返はねかへつて、クル〳〵とへいにんからいた。 軍服ぐんぷく突拔つきぬいてにく喰込くひこむから、へい悲鳴ひめいげて、狂氣きやうきごところまはつてゐるうちに、一人ひとりしまつたが、その死骸しがいあと二人ふたり引摺ひきずつてころまはる。 やがてきてゐるのは一人ひとりとなる。 生殘いきのこつたのが、二人ふたり死骸しがい突離つきはなさうとするけれど、死骸しがい附纏つきまとつてて、一しよころがり、三にんからだうへになりしたになりしてゐるうちに、ふと一にパタリとうごかなくなつてしまつたさうだ。

 ともはなしだと、この鐵條網てつでうもうひとつで二千からの戰死者せんししやしたとふ。 みな鐵條網てつでうもうらうとして、へび卷付まきつかれたやうに、進退しんたい自由じいううしなつてゐるところを、大小だいせう彈丸だんぐわんあめごと間斷かんだんなくあびけられたのだ。 おそろしいともなんとも云樣いひやうがない。 げる方角はうがくわかつてゐたら、臆病風おくびやうかぜ吹卷ふきまくられて此時このとき攻擊こうげき總崩そうくづれになつたらうが、なにしろ十重二十重とへはたへ鐵條網てつでうもう張渡はりわたしてある。 必死ひつしになつてそれやぶると、今度こんどそこくひ打込うちこんだ狼穽らうせいいくつとなくつてあつて、これまた迷宮同樣めいきうどうやうとあるから、みなうしなつてしまつて、げる方角はうがくかなかつたのだとふ。

 或者あるものまつた盲目めくらのやうになつて、漏斗形じやうごがたしたふかあなみ、とがつたくひさき芋刺いもざしになつて、虚空こくうを掴むで藻搔もがく。 宛然さながら玩具おもちや道化人形どうけにんぎやうをどるやうだ。 其上そのうへまたては突刺つゝさゝるから、まだ溫味ぬくみのある、あるひつた、血塗ちみどろからだがうよ〳〵ともりあがつて、あなぱいになつてしまふ。 其處そこにも此處こゝにもうで如龜々々によき〳〵突出つきでてゐて、痙攣けいれんおこしてヒク〳〵してゐる指先ゆびさきなんにでもしがみく。 一おちたら、られない。 こはばつてかにはさみのやうになつた數百すひやくゆびが、無性むしやうあし引掴ひつゝかみ、ふく引掴ひつつかみ、おのうへへと引倒ひきたふしていて、眼肉がんにくゑぐり、くびしめる。 が、大抵たいていさけにでもつてゐるやうに、正面まとも鐵條網てつでうもう目蒐めがけて駆出かけだし、引掛ひつかゝつてわめさけんでゐるうちに、彈丸たまあたつて往生わうじやうしてしまふ。

 さうはいふものゝ、醉漢ゑひどれのやうになるのは一ぱんことで、鐵條網てつでうもうあしからめられゝば、だれでもおほいのゝしつたり、あるひわらつたりする。 さうして其儘そのまゝんでしまふ。 このはなしをしたをとこも、あさからまずはずでゐたのださうだが、不思議ふしぎ氣持きもちで、おそろしいおそろしいでくら最中さなかに、一寸ちよつと無性むしやう愉快ゆくわいになる——おそろしいのが愉快ゆくわいなのだ。 だれだかとなりでうたうたしたから、一しよになつてうたつてゐると、やが其處そこらのもの皆仲間みなゝかまはいつて立派りつぱ合唱がつしやうになる。 拍子ひやうし中々なか〳〵そろふ。 なにうたつたか、おぼえがないが、なんでもかう愉快ゆくわい舞踏歌ぶたううたのやうなものだつたとふ。 で、うたつてゐると、其處そこらが血塗ちみどろ眞紅まつかになる。 そらまで眞紅まつかえて、天地間てんちかんなにか一大變異だいへんい奇怪きくわい變化へんくわおこつたやうな氣勢けはひで、もの綾色あいろわからなくなる。 水色靑みづいろあをなどゝいふおだやかなれたいろえてしまつて、太陽たいやう眞紅まつかにベンガラいろえる。

あかわらひだ」

 とわたしつたが、相手あひて其意味そのいみ了解のみこめんで、

「さう、わらひもした。 今話いまはなしたとほりだ。 宛然まるで皆酒みンなさけつてるやうだつた。 いや、舞踏ぶたうつたらう。 なんでもなにつた。 すくなくもそのにんへい藻搔もがところは、宛然まるで舞踏ぶたうのやうだつた。」

 いまでも判然はつきりおぼえてゐるさうだが、此男このをとこむね通創くわんつうさうけてたふれてからも、失神しつしんするまでは、舞踏ぶたうだれかと足拍子あしびやうしそろへるやうに、あしをピク〳〵とつてたさうだ。 いまとなつて此日このひ攻擊こうげき憶出おもひだすとめう氣持きもちがして、おそろしいことおそろしいが、う一ぺん彼樣あんおもひをしてたいやうなもするとふ。

さうしてまたむねへ一ぱつひたいのか?」

 とわたしがいふと、

馬鹿ばかへ! たび彈丸たまふとはきまつとりやせん。 そんなこといふけど、きみ目覺めざましいはたらきをしてさ、勲章くんしやうもらふのもわるくないぞ。」

 さういふ其身そのみはなとがつて、顴骨くわんこつて、くぼむで、きいろいかほをして仰向あふむきにて、てもなく死人しにんだのに、まだ勲章くんしやうゆめてゐるのだ。 もう化膿くわのうして、ひどねつで、三日みツかてばあななかころがしまれて、死人しにん仲間なかまはいらなければなるまいに、ながらいてゆめて、莞爾々々にこ〳〵して、勲章くんしやううはさをしてゐるのだ。

「それはうと、阿母おツかさんのとこ電報でんぽうつたか?」

わたしいてた。

 すると、ハッとした樣子やうすで、けはしい眼色めつき忌々いま〳〵しさうにわたしかほながめたなり、相手あひてだまつてしまたから、わたしだまつてゐた。 負傷者ふしやうしやうめいたり、譫言うはごといつたりするのがみゝく。 やがわたし起上たちあがつてかうとすると、ともねつつてもちからけぬで、しツかわたしにぎつて、にくちたえるやうなで、かなしさうにぢツわたしかほ視詰みつめて、如何いかにも途方とはうれたといふていで、

きみたい如何どうしたつてふンだらう? え、きみ如何どうしたツてふンだらう?」と恟々おど〳〵しながら引張ひツぱつて、しきりにこたへせまる。

なにが?」

なにがつて、一たい今度こんど戰爭せんさうさ。 はゝぼくかへるのつてるのだ。つてたつて、きみ如何どうなるもんか…國家こくかため——其樣そんことはゝにやわかりやせずさ。」

あかわらひだ。」

「また! きみ串戯じやうだんばかりつてるけれど、ぼく眞面目しんめんもくだよ。 如何どうにかして納得なつとくさせたいけれど、納得なつとくさせやうがない。 まあ、きみ如何どんことつて寄越よこすとおもふ? そりや、じつどくだ。 手紙てがみ文句迄もんくまで白髮しらがだ。 しかし、きみも」、とめづしさうにひとあたまながめて、指差ゆびさしをして、きふわらした。

きみ禿したなあ! つてるか?」

かゞみいもの。」

「いや、しかし、白髮しらがになるやつ禿はげになるやつ大分だいぶるぞ。 おい、かゞみしてれ、かゞみを! あゝ、ぼくなんだか白髮しらがえてさうでならん。 かゞみしてれ。」

 譫語うはごと言出いひだして、いたりわらつたりする。わたし病舎びやうしやしまつた。

 その夕方ゆふがた園遊會ゑんいうくわいひらかれた。 不思議ふしぎわびしい園遊會ゑんいうくわいで、來會者らいくわいしやうちには死人しにんかげまじつてゐた。 くにでのピクニックのときのやうに、夕方ゆふがたあつまつてちやはずだつたので、湯沸ゆわかし工面くめんをして、レモンやコップまで用意よういして、矢張やツぱりピクニックのときのやうに、トあるした會塲くわいぢやうめた。 で、一人ひとりづゝ、また二人ふたりにん連立つれだつて、常談じやうだんなど言合いひあつてはなしながら、みなたのしみにして浮浮うき〳〵にぎやかにつてたが、るときにだまつてしまつて、るべくかほ見合みあはせないやうにする。 かうして生殘いきのこつたものばかりつてると、なんとなく無氣味ぶきびだ。 みなるもあさましい薄汚うすきたない服装なりをして、惡性あくせい疥癬かいせんでもむでゐるやうに、身體中からだぢうをぼり〳〵く。 かみひげ延次第のびしだいで、やつつて、見慣みなれたむかし姿すがたはないから、湯沸ゆわかしなかに、かほあはせてると、はじめてつたやう氣持きもちがして、愕然はツとする。 うしなつてうろ〳〵するこの人々ひと〴〵うちに、馴染なじみかほはないかとたづねてたが、一人ひとりかつた。 わく〳〵として落着おちつきがなく、起居たちゐあらかどつて、一寸ちよツとしたおとにもびくりとし、えずうしろてはなにかにけ、何處どこかポカンと、不思議ふしぎあなく、そのあなのぞいてるも無氣味ぶきみなので、はげしい手眞似てまねこれふさがうとするなど、如何どうしてもらぬ餘所よそひとで、馴染なじみがない。 こゑまでがかはつてゐる。 はげしく、稜立かどだつて、えいやつとものふそれが、やゝもすれば聲高こはだかになつたり、らちもない高笑たかわらひになつて、めやうにもめられぬ、といつた調子てうしかはつてゐるのはそればかりでなく、にも馴染なじみがなく、入日いりひにも馴染なじみがなく、みづ異臭異味いしういみびたかはつたみづで、宛然さながら死人しにんと一しよひとつて、何處どこ別世界べつせかいへでもたやうに、えるものみな神秘しんぴで、おそろしかげのやうなもの朦朧もうらう其處そこらに滿ちてゐる。 入日いりひかげばむでつめたく、何處どこ明味あかるみもない眞黑まつくろ雨雲あまぐもが、つたやうに、おもたさうに、其上そのうへからかぶさつて、したには大地だいち黑々くろ〴〵と、ひとかほ尋常たゞならぬひかりけてきいろく死人色しびといろえる。 みな湯沸ゆわかしてゐたが、湯沸ゆわかしえて、はらにはきいろくすご入日いりひひかり反射はんしやし、陰々いん〳〵として此世このよものではないらしく、なんだか本體ほんたいわからぬ、奇怪きくわい湯沸ゆわかしであつた。

此處こゝ何處どこだ?」とだれだかつたが、恟々おど〳〵した恐怖きやうふ滿ちたこゑだつた。 だれだか溜息ためいきをした。 と、わく〳〵してゆびほねらすものがある、わらものがある、をどあがつてテーブルの周圍まはり急遽せか〳〵まはものもあつたが、此頃このごろうして急遽せか〳〵ほとんさぬばかりにあるまはひと見掛みかける。 さうしてみなめうだまつてゐる、ものつてもくちうち沸々ぶつ〳〵うばかりだ。