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血笑記

Chapter 9: (斷篇第六)
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About This Book

A narrator describes a weary column of soldiers marching under unbearable heat toward an unknown destination, where exhaustion and sunstroke produce delirium, grotesque hallucinations (including visions of horse heads and ghostlike bodies), and a slow unravelling of bodily and mental control; intercut with sudden recollections of a domestic interior and a brother, the account shifts between close, claustrophobic sensory detail and panoramic scenes of a deranged, silent procession, culminating in abrupt sounds of battle that temporarily restore clarity and collective urgency.

 或者あるもの自分じぶんり、或者あるものはふら〳〵としてけては起上おきあがり〳〵る。 なかにも一人ひとりほとんはしつてたのがあつた。 と、ると、かほはひしやげて、ひとのこつたばかりが物凄ものすごいすさまじいひかりたゞ湯上ゆあがりのひとのやうに、ほとんど一をもけてゐない。 わたし衝退つきのけて、ひとでドクトルをさがし、あツといふ無手むず左手ゆんで胸倉むなぐらつて、

「うぬ…者面しやツつら打曲はりまげるぞ!」

 と、かうひとわめいていて、それから小突こづきながら、悠々ゆツたりと、そのくせ口汚くちぎたなくどくづく。

貴樣きさまつらをグワンとやるのだ。 このド畜生ちくしやうめ!」

 ドクトルは振放ふりはなして、ヤツと立向たちむかひ、いきつまらせ〳〵のゝしつた。

野郞やらう軍法ぐんぱふ會議くわいぎけるぞ! 監倉かんさうだぞ! ひと職務しよくむ邪魔じやましやがつて… この野郞やらう! この畜生ちくしやう!」

 なかはいつて引分ひきわけたが、引分ひきわけられてもへいのゝしまず、しばらくはたゞ

「こン畜生ちくしやう! 者面しやツつら打曲はりまげるぞ!」

 とばかり。

 わたしはもうへられなくなつたから、一ぷくしてやすまうと、片脇かたわき退いた。 手首てくびのりはパサ〳〵にかはいて、くろ手袋てぶくろ穿めたやうに、ゆびもぎこちなく、マッチやシガレットをつい取落とりおとす。 やうやすと、烟草たばこけむり平常いつものやうにもなくへんえて、そのあぢまつたかはつてゐる。 こんな烟草たばこあとにもさきにもんだことがない。 そのとき學生がくせい看護手かんごしゆそばた。 一しよ汽車きしやつてあのをとこだのに、なんだか數年すねんぜんつたひとのやうにおもはれて、さて何處どこつたかゞおもせない。 學生がくせいひたかゞとけて行進マーチ步調ほてうあるいてたが、わたし身體からだしに何處どこともなくとほくのそらながめて、

「これだのにみんなてゐるのだ。」

 となんだか落着おちつきはらつてゐる。 わたし自分じぶんことのやうに憤然やつきとなつて、

「だつて、きみ十日とをか獅子しゝのやうに奮鬪ふんとうしたのだもの、そのはずぢやないか?」

「これだのにみんなてゐるのだ。」

 と學生がくせいわたし身體からだしにそらながめながら、反覆くりかへしていつて、さてわたしかほのぞむやうにして、人差指ひとさしゆびはなさきり〳〵、矢張やツぱりにべもなく落着おちつきはらつた調子てうしで、

いてきなさい、く。」

なにを?」

 學生がくせい愈々いよ〳〵かほのぞむで、理由わけありさうに人差指ひとさしゆびり〳〵、辻褄つじつまつたはなしつもりらしく、矢張やツぱひとことをいふ。

いてきなさい、く。 みんなにもつてもらひたいのだ。」

 きツわたし見据みすゑたまゝ、も一人差指ひとさしゆびつてせて、ピストルを取出とりだすや、ドンと一ぱつわれわが顳顬こめかみ擊込うちこんだ。 けれどもわたしすこしもおどろかず、へいきでシガレットをひだり持易もちかへて、ゆびその創口きずぐちさはつてて、汽車きしやはうへ行つた。

「あの學生がくせいはピストルで自殺やりましたぞ。もつともまだいきはあるやうだが…」

 とわたしがドクトルにいふと、ドクトルはわれわがあたま武者振むしやぶいて、うなるやうに、

馬鹿ばかめ!… もう汽車きしやは一ぱいだ。 彼處あすこにもいま自殺やりさうなのが一人ひとりるのだ。 わたしだつてうだ」、と忌々いま〳〵しさうにしかるやうにつて、「自殺やりかねない。 まつたく! だから、貴方あなたは——あるいてつてもらひませう。 もうせる餘裕せきがない。それ不服ふゝくなら、こくはつなさい。」

 とわめき〳〵餘所よそいてしまつた。 いま自殺やりさうだといふをとこそばつてたら、それは看護手かんごしゆ矢張やツぱり學生がくせいらしかつた。 ちながら車輛しやりやう羽目はめひたへ押當おしあてゝ、かたなみたせていてゐる。

くな〳〵」、とわたしそのなみかたつた。

 が、振向ふりむきもせず、返答へんたふもせず、いてゐる。 ると、頸窩ぼんのくぼ自殺じさつした學生がくせいのそれのやうに若々わか〳〵しく、矢張やツぱ無氣味ぶきびだ。 酔漢よひどれむさものでもいてるやうに、意久地いくぢなく兩足りやうあし踏擴ふみはだけてゐたが、くびすぢまみれてゐたのは大方おほかたおさへたからだらう。

くなとへば!」とわたし癇癪聲かんしやくごゑ振立ふりたてた。

 と、その看護手かんごしゆ蹌踉よろ〳〵車輛しやりやうはなれて、投首なげくびして、老人らうじんのやうにまるくし、私逹わたしたちてゝいて、何處どこともなく闇黑くらやみうちく。 何故なぜだか、わたしそのあといて、汽車きしやあとにして、何處どこ目的めあてともなく、しばらく二人ふたりあるいてつた。看護手かんごしゆいてゐるらしかつたが、わたしなんだかわびしくなつて、泣出なきだたいやうな氣持きもちがする。

一寸ちよツとて!」と大聲おほごゑつてわたし立止たちどまつた。

 が、看護手かんごしゆまるくして、おもたさうな足取あしどりく。 かたすぼめてあし引摺ひきずり〳〵姿すがたは、宛然さながら老人らうじんだ。 やがあかるえてもりもせぬ薄紅うすあかもやうちその姿すがたえて、わたし一人ひとりになつてしまつた。

 左手ゆんでとほ朦朧もうろうとして一れん火影ほかげながれるやうにぎてく。 汽車きしやもどつてくのだ。 わたしんだものしにかゝつたものなか一人ひとり取殘とりのこされたのだが、んだものしにかゝつたもの收容しうようもれになつたものはまだ何位どのくらゐあつたかれぬ。 ちかくは寂然しんとしてゴソリともいはぬけれど、はなれてはたましひるやうにザワ〳〵とうごめく——と、さ、一人ひとりだからおもはれたのかもれぬ。 かく呻吟しんぎんこゑえぬ。 子供こどもくやうな、夥多あまた子犬こいぬてられてこゞなむとしてくやうな、繊細かぼそい、便たよりないこゑ地上ちじやうめんひろがつて、これいてると、するどい〳〵際限はてしもないこほりはりなう突徹つきとほされて、そろり〳〵と拔差ぬきさしされるやうな氣持きもちがして…。

(斷篇第六)

 …それは味方みかたであつた。 最後さいごの一ケげつ命令めいれい計畫けいくわく齟齬くひちがひ、てき味方みかた行動かうどうもつれ〳〵てめう工合ぐあひであつたが、ういふなかでも敵襲てきしふのあること豫期よきしてゐた。 てきといふのはすなはだい軍團ぐんだんである。 で、味方みかたすで攻擊こうげき準備じゆんびをはつたときたれだか雙眼鏡さうがんきやうると、味方みかた制服せいふくけてゐるのが判然はつきりえるとして、十分後ぷんごにはそのうたがひがれ、愈愈いよ〳〵味方みかたちがひないとなると、みなホツとしてうれしくおもつた。 先方さきもそれと心附こゝろづいたていで、悠々いう〳〵ちかづいてる。 その落着おちついたところに、相手あひて矢張やツぱ思掛おもひがけぬ邂逅であひよろこんで微笑びせうしてゐるおもかげいてえる。

 で、てき發砲はつぱうしたときには、なんことだかしばらくは合點がてんかずに、榴霰彈りうさんだん銃丸じうぐわんあられごとそゝまたゝ死傷者ししやうしややまきづなかで、私逹わたしたち矢張やツぱり莞爾莞爾にこ〳〵してゐた。 だれだかてきだとさけぶ。 てきくと、——わたしおぼえてゐるが、——成程なるほど相手あひててき制服せいふくてき制服せいふく味方みかたのとはちがふと、みないた。 で、ぐさま應戰おうせんする。 このへん戰鬪せんとうはじまつてから、十ぷんつたころであらう、わたし兩足りやうあしもがれて、いたときには、もう病舎びやうしやて、手術しゆじゆつむだのちであつた。

 戰鬪せんとう結果けつくわひといてると、みな取留とりとめぬ氣休きやすめばかりつてゐるが、さつするところ敗北はいぼくしたにちがひない。 それにしても、うなればわたしはもう後送こうそうされる、かくいのちつなめた、壽命じゆみやうらむかぎ長生ながいき出來できる、とおもふと、あししのにもうれしかつた。 が、一週後しうごやうやくはしいことわかると、また胡亂うろんになつて、かつおぼえぬ奇異きい恐怖きようふさらこゝろいだくやうになつた。

 矢張やツぱ味方みかたであつたらしい。 味方みかた味方みかたはう擊出うちだした味方みかた破裂彈はれつだんわたしあしもがれたのだ。 如何どうして此樣こん間違まちがひをしたのか、だれにもわからぬ。 なんだかめうことになつて如何どうしてかくらむで、おなぐんぞくする二聯隊れんたいが一ウエルストをへだてゝ相對あひたいして、相手あひててきと十ぶん思込おもひこみながら、まるじかん同志打どしうちしてゐたのだ。 みなるたけそのうはさをするのをけて、すれば曖昧あいまいことばかりふ。 なによりも不思議ふしぎなのは、そのうはさをしても、大抵たいていいまだに同志打どしうちとはおもつてゐない。 いや、むし同志打どしうちみとめる、たゞ最初さいしよから同志打どしうちしたのでない、最初さいしよ實際じつさいてき相手あひてにしてゐたのだが、全戰線ぜんせん〳〵紛糾こぐらかつたまぎれに、そのてき何處どこへかえて、我々われ〳〵つひ味方みかた彈丸たまかぶつたのだ、とおもつてゐる。 なかにはかくさずうと明言めいげんして、事實じゞつだとおもひ、事實じゞつらしいとおもほどことならべて、つぶさにその次第しだいかたものもある。 わたし如何どうして此樣こん間違まちがひおこつたのか、いまなつてもまだ確乎しかとしたことへぬ。 最初さいしよときには我軍わがぐん赤線あかすぢりの軍服ぐんぷくまぎれなかつたのが、其後そのゝちたらたしか黃筋きすぢてき軍服ぐんぷくになつてゐたのだ。 たゞ如何どうしてかもなくみなこの間違まちがひわすれて、しんてきたゝかつたやうに思込おもひこんでしまつたから、いつはもなくそのとほりを通信つうしんいておくったものおほい。 それは歸國後きこくごわたしんでつてゐる。 で、最初さいしよこのとき負傷ふしやうした我々われ〳〵むかふと、世間せけんひと樣子やうすすこめうで、なんとなく負傷者ふしやうしやほど同情どうじやうせてれぬらしかつたが、その區別わけへだてえてしまつた。 たゞこれるゐしたこと其後そのごつたし、また實際じつさい敵方てきがたにも某隊ぼうたい某隊ぼうたいとが夜中やちう同志打どしうちをしてほとん全滅ぜんめつしたといふ事實じゞつつてれば、我々われ〳〵矢張やツぱり間違まちがつて同志打どしうちしたといふに不思議ふしぎはないとおもふ。