拙生せつせいのリスアニアンは駿馬しゆんめの事ことであるから、追擊つゐげきに際さいしては拙生せつせいが何時いつも先登せんとうである。 其日そのひも然さうで、敵てきが後門うしろもんから逃にげるのを見みて、拙生せつせいは部下ぶかを集あつめる爲ために、市場いちばに止とゞまるのを策さくの得えたものと思おもつた。 そこで拙生せつせいは止とゞまつたが、市場いちばには騎兵きへいの影かげも見みえぬ。 彼等かれらは他たの町まちを走はしつてゐるのであらうか?何なにか事變じへんが起おこつたのか?兎とに角かく遠とほくは離はなれてゐまい、その中うちに拙生せつせいの許もとに追着おひつくだらう、と思おもひながら、拙生せつせいは喘あへぐリスアニアンを市場いちばの泉いづみに水みづのませた。 彼かれは法外はふぐわいに飮のむ、泉いづみを飮干のみほさねば止やまぬといふ勢いきほひで飮のむ。 しかし最早もはや部下ぶかの者ものが見みえさうなものと振返ふりかへつた時ときには其それも道理だうりだと思おもつた。 拙生せつせいの馬うまの胴どうから後方うしろ—即すなはち尻しりと後脚あとあしが、恰あたかも銳利えいりなる刄物はもので切取きりとられたやうに紛失ふんしつしてゐる。 飮のむだ水みづは直すぐに後方うしろへ拔ぬける。 是これでは何程いくら飮のむでも身みの養やしなひにならぬ。 何どうして此樣こんな事ことになつたかは、彼かれを伴ともなつて市しの正門せいもんに戾もどる迄までは全まつたく五里り霧中むちうであつた。 此處こゝで拙生せつせいは思當おもひあたつた—先さきに逃にげる敵てきを追おひながら無暗むやみと此この門もんに突入とつにふした時とき、敵てきは拙生せつせいの知しらぬ間まに扉とびらを下おろしたものと見みえる。 其その扉とびらといふのは、底そこに大釘おほくぎが列れつを爲なして植うゑてあつて、萬まん一の時ときには上うへから下おろして敵てきの侵入しんにふを防ふせぐ仕掛しかけになつてゐる。 彼あの際さい敵てきが拙生せつせいを入いれまいとして急きふに下おろした刹那せつな、馬うまの臀部でんぶを切去きりさつたので、現げんに門外もんそとには拙生せつせいの愛馬あいばの胴どうから下したが、ピクリ〳〵してゐた。 拙生せつせいは早速さつそく獸醫じういを呼よむで、未まだ溫あたゝかい中うちに兩方りやうはうを繼合つぎあはせて貰もらひ、纔わづかに償つぐなひ難がたい損失そんしつを免まぬかれた。 彼かれは手近てぢかにあつた桂かつらの木きの小枝こえだと新芽しんめで繼目つぎめを縫ぬつてくれた。 傷きずは間まもなく療なほつたが、同時どうじに桂かつらの小枝こえだが馬うまの身體からだに根ねを張はり、枝えだを伸のばし、追々おひ〳〵葉はが繁しげり花はなが咲さき、お蔭かげを以もつて拙生せつせいは其その後のちの遠征ゑんせいは暑あつさ知しらずであつた。
トルコ豆まめと月つきの話はなし
拙生せつせいと雖いへども連戰れんせん連勝れんしようといふ譯わけには行ゆかなかつた。 或時あるときは衆寡しうくわ敵てきせず生擒せいきんの憂目うきめに遭あひ、殊ことに不遇ふぐうな事ことには奴隷どれいに賣うられた。 尤もつとも捕虜ほりよの賣買ばい〳〵はトルコの習慣しふくわんである。 (男爵だんしやくは後のちに皇帝サルタンの寵愛ちようあいを被かうむつた)此この屈辱くつじよくの狀態じやうたいに於おいて、拙生せつせい每日まいにちの勞役らうえきは、身體からだに骨ほねの折をれる事ことでなく、寧むしろ單調たんてう退屈たいくつの仕事しごとであつた。 其それは每朝まいあさ皇帝サルタンの蜜蜂みつばちを牧場まきばに追おひ、一日にち見守もりをして、日ひの暮くれる迄までに再ふたゝび箱巢はこすに追戾おひもどす事ことであつた。 或ある夕暮ゆふぐれ、拙生せつせいは蜜蜂みつばちを一疋ぴき見失みうしなつたが、氣きがつけば二疋ひきの熊くまが蜜みつを取とる爲ために其蜂そのはちを潰つぶさうとしてゐる。 拙生せつせいは銀ぎんの手斧てをのの外ほかに何なにも武器えものを持もたなかつた。 此この銀ぎんの手斧てをのは皇帝サルタンの庭師にはし又または農夫のうふの表章しるしなので。 拙生せつせいは熊くまを目蒐めがけて件くだんの手斧てをのを投なげた。 唯たゞ追剝おひはぎを追拂おつぱらつて、蜂はちさへ助たすければ可いいといふ思惑おもはくだつたので。 が、拙生せつせいの腕うでの運うんの惡わるい振ふり加減かげんで、斧をのは飛とむで止とゞまらず、上うへへ上うへへと昇のぼつて行いつて、竟つひには月つきに逹たつした。 さあ奈何どうして取戾とりもどしたものか?と其處そこで拙生せつせいは肝膽かんたんを碎くだいた。 斯かういふ事ことが胸むねに浮うかむだ——トルコ豆まねといふ奴やつは大層たいそう生長のびが早はやいのみならず、驚おどろく可べき高たかさに逹たすするといふ。 拙生せつせいは時ときを移うつさず一本ぽんのトルコ豆まめを植うゑた。 其それが生長せいちやうしてから拙生せつせいは其その梢こずゑを三日月かづきの角つのに結付むすびつけた。 斯かう仕掛しかけが出來できた上うへは、殘のこる所ところは月つきまで登のぼつて行ゆくばかりである。 そして是これも見事みごとに成功せいこうした。 月つきの世界せかいは何なにも彼かも銀色ぎんいろで光ひかつてゐるから、同おなじ色いろの手斧てをのを探さがすのはナカ〳〵小面倒こめんだうの仕事しごとであつた。 が、しかし拙生せつせいは苦心くしんの甲斐かひあつて、竟つひに籾殻もみがらや藁屑わらくづの積つむである所ところで大切たいせつの手斧てをのを見付みつけた。 さて今度こんどは月つきの世界せかいから人間にんげんの世界せかいへ歸かへるのである。 けれど驚おどろいたのは、太陽たいやうの光ひかりが既すでに拙生せつせいの豆まめを枯からした事ことで、最早もはや全まつたく拙生せつせいを下おろす用ように堪たへない。 そこで拙生せつせいは働はたらき始はじめ、例れいの藁屑わらくづを拾ひろつて出來できる丈だけ丈夫ぢやうぶな出來できる丈だけ長ながい繩なはを綯なつた。 之これを月つきの角つのに結むすび付け、追々おひ〳〵下したの方はうへ辷すべり下おりる。 拙生せつせいは左ひだりの手てで聢しかと繩なはを捉つかまへ、右みぎの手てに手斧てをのを持もち、繩なはの不用ふようになつた部分ぶぶんを切きつて下したに繋つなぐ。 即すなはち一里り降おりれば、上うへの方はうの一里りは切取きりとつて足あしの下したに繋つなぐといふ安排あんばいで、どうやらかうやら大分だいぶ下したの方はうまで來きたが、いくら同おなじ事ことを繰返くりかへしても、何なにしろ距離きよりが距離きよりだから、容易よういに皇帝サルタンの畑はたけへ着つかない。 もう五六里りといふ所ところで、繩なはがフツリと切きれ、拙生せつせいは目めの廻まはるやうな速度はやさで地下ちかに落おちて氣絕きぜつした。 此處こゝで地下ちかに落おちたといふ言葉ことばを味あぢはつて貰もらひたい。 普通ふつうなら地上ちじやうに落おちたと書かくのだが、其それでは事實じじつを傳つたへ兼かねる。 といふのは何なにがさて、五六里り上うへから落おちたのだから、身體からだの重味おもみと落おちた勢いきほひで、少すくなくとも深ふかさ九尋ひろばかりの穴あなが明あいた。 その穴あなの底そこで拙生せつせいは生氣しやうきに返かへつたのであるが、如何どうして這上はひのぼつて可いいか少時しばらくは勘辨かんべんに落おちなかつた。 しかし拙生せつせいは苦くるし紛まぎれに爪つめを用もちゐて先まづ坂さかを作つくり、次ついで段々だん〳〵を拵こしらへ、實じつに千辛せんしん萬苦ばんくの後のちに、漸やうやく這上はひあがつて再ふたゝび此この世よの光ひかりに觸ふれた時ときは、まあその嬉うれしかつた事ことといつたら!(男爵だんしやくの爪つめは當時たうじ四十年ねんも切きらずに置おいた末すゑで充分じうぶん伸のびてゐた。 尤もつとも斯かういふ事ことがあらうと豫期よきして然さう伸のばした譯わけでもないといふ。 )
氷こほつた音樂おんがくの話はなし
間まもなくトルコとの和議わぎが成なり、拙生せつせいは自由じいうの身みとなつてペテスブルヒを後あとにした。 拙生せつせいは立場たてば立場たてばで馬うまを替かへ、大急おほいそぎの旅たびをした。 狹せまい一本道ぽんみちに差さしかゝつたから、他ほかの馬車ばしやが此この細道ほそみちで行當ゆきあたらぬやうにと、拙生せつせいは御者ぎよしやに命めいじて合圖あひづのラッパを吹ふかせた。 彼かれは一生いつしやう懸命けんめいに吹ふいた。 しかし何程いくら力りきむでも効かうは無ない。 彼かれは奈何どうしてもラッパを鳴ならす事ことが出來できなかつた。 何故なぜ鳴ならぬか、理由わけは分わからなかつたが、兎とに角かく生憎あいにくな事ことで、少時しばらくすると拙生せつせいの馬車ばしやは向むかふから來くる馬車ばしやと行當ゆきあたつた。 お互たがひに進すゝむ事ことは無論むろんならぬ。 さりとて前述ぜんじゆつの通とほりの細道ほそみちだから、車くるまを向むけ返かへす事ことは叶かなはず、隨したがつて退しりぞく事ことも出來できなかつた。 此この時とき拙生せつせいは馬車ばしやから下おりて、これでも少すこしは力ちからがあるから、馬車ばしや一式しきを飴屋あめやのやうに頭あたまに乗のせ、高たかさ九尺しやくばかりの生垣いけがきを飄ひよいと飛とび越こして、(馬車ばしやの重量おもさから言いつても、此この藝當げいたうは少々せう〳〵骨ほねが折おれた。 畑はたけに入いり、再ふたゝび飛とむで道みちを塞ふさげた馬車ばしやの向むかふへと出でた。 次つぎに拙生せつせいは馬うまを取とりに行いつた。 一疋ぴきを頭あたまの上うへに乗のせ、一疋ぴきを左ひだりの腕うでに抱かゝへ、前まへと同おなじ方法はうはふで馬車ばしやまで持もつて行ゆき、喰付くつつけて、旅程りよてい最終さいしうの宿屋やどやに急いそいだ。 此この拙生せつせいが腋わきの下したに抱かゝへた方はうの馬うまは未まだ四歲さいにならぬ氣きの荒あらい奴やつで、拙生せつせいが再ふたゝび生垣いけがきを飛越とびこさうとする時とき、其その急激きふげきの動搖どうえうを可厭いやがつて、蹴けつたり鼻はなを鳴ならしたりして荒あばれるには拙生せつせいも持餘もてあました。 しかし拙生せつせいは其その後脚あとあしを捉つかまへてポッケットの中なかへ入いれて了しまつた。 宿屋やどやに着ついてから拙生せつせいと御者ぎよしやは暫時ざんじ休息きうそくした。 彼かれはラッパを臺所だいどころの火ひの側かたはらの釘くぎに吊つるし、拙生せつせいは其その對側むかふがはに坐すわつた。
急きふにテレン〳〵テン〳〵といふ音おとが聞きこえた。 我等われらは周圍あたりを見廻みまはして、さてこそと先刻せんこく御者ぎよしやがラッパを鳴ならし得えなかつた理由りいうが讀よめた。 彼かれの曲きよくはラッパの中なかで氷こほつたのだ!其それが今いま解とけて出でて來きたのだ!事理じり明晰めいせき、而しかも此この御者ぎよしやはナカ〳〵の音樂家ふきてである。 それで奴やつこさんラッパに口くちを當あてがひもせずに長ながい間あひだ一同みんなを樂たのしませた。 プロシヤ進行曲マーチが出でる、『野の越こえ山やま越こえ谷たに越こえて』が出でる、其他そのほか種々いろ〳〵の曲きよくが出でて、竟つひに氷釋ひやうしやく音樂おんがくは終をはりを吿つげた。 拙生せつせいも此處こゝでロシヤ旅行談りよかうだんは一段落だんらくとする。