此方こつちの臼砲きうはうと先方むかふの臼砲きうはうとの殆ほとんど中途ちゆうとぐらゐの所ところで、雙方さうはうの彈丸たまは猛烈まうれつな勢いきほひで行當ゆきあたつた。 結果けつくわは實じつに驚おどろく可べきもので、見みる〳〵先方せんぱうの砲丸たまは恐おそろしい勢いきほひで退却あとじさりを始はじめ、發砲はつぱうした男をとこの頭あたまを跳はね飛とばし、行當ゆきあたり次第しだいに十有いう餘人よにんを殪たふして、對岸たいがんアフリカ洲しうのバーバリーに逹たつした。 バーバリーに屆とゞいた頃ころは、既すでに一列れつに並ならむでゐた軍艦ぐんかんの檣マストを三本ぼん迄までも貫通くわんつうして、大分だいぶ力ちからが拔ぬけてゐたから、纔わづかに一いつ日傭取ひようとりの小屋こやの屋根やねを貫つらぬき、折をりから口くちを開あいて晝寢ひるねをしてゐた其その老妻らうさいの無なけ無なしの齒はを二三本ぼん碎くだいて、竟つひに其その喉頭こうとうに止とまつた。 間まもなく亭主ていしゆが歸かへつて來きて、丸たまを拔取ぬきとらうとしたが、迚とても駄目だめなので、㮶杖こみやを用もちゐて胃ゐに押落おしおとして了しまつた。 拙生せつせい等らの砲彈はうだんは實じつに偉大ゐだいの功こうを奏さうした。 啻たゞに敵彈てきだんを跳返はねかへしたのみならず、拙生せつせい共どもを狙擊そげきした臼砲きうはうを拂退はらひのけて荷倉にぐらに落おち込こみ、力ちから餘あまつて船底ふなぞこを貫つらぬいた。 船ふねは見みる間まに浸水しんすゐして、乗組のりくみの西班牙スペイン水兵すゐへい一千、並ならびに多數たすうの陸兵りくへいと共ともに底そこの藻屑もくづとなつて了しまつた。 是これは寔まことに異例いれいの功績こうせきである。 然しかりと雖いへども、拙生せつせいは一個こに此この勲功くんこうを私わたくししない。 拙生せつせいの判斷はんだんが主動しゆどうであつたが、僥倖げうかうも亦また與あづかつて力ちからがある。 後のちに聞きく所ところによれば、我わが四十九臼砲きうはうを發射はつしやした砲手はうしゆは、何なにかの考かんがへ違ちがひで二倍ばいの火藥くわやくを塡つめたといふ。 全まつたく然さうでゞもなければ、敵彈てきだんを彈はじき返かへす等などといふ豫想外よさうぐわいの成功せいこうは决けして收をさめられるものでない。
此この獨得どくとくなる勞役らうえきの効果かうくわを嘉よみし、將軍しやうぐんは將來しやうらい拙生せつせいを重おもく用もちゐたいといふ事ことであつたが、拙生せつせいは何なにも彼かも固辭こじして、其その夕ゆふべ將校しやうかう一同どうと共ともに晩餐ばんさんの食卓しよくたくに就ついた時とき、唯たゞ鄭重ていちようなる感謝かんしやの辭じだけを受うけた。
海馬たつのおとしごの話はなし
拙生せつせいの有名いうめいな石投いしなげは父ちゝから直接ちよくせつに受繼うけついだものである。 是これに就ついて拙生せつせいは父ちゝから次つぎの物語ものがたりを聞きいた事ことがある。
父ちゝは例れいの石投いしなげをポッケットに入いれてハーウイッチの海岸かいがんを散步さんぽしてゐた。 一哩まいるとは行ゆかぬ中うちに彼かれは海馬たつのおとしごといふ恐おそろしい動物どうぶつに襲おそはれた。 大口おほぐちを開あいて勢いきほひ猛まうに飛とびかゝつたといふ。 彼かれは一寸ちよつと度膽どぎもを拔ぬかれたが、直たゞちに百ヤード許ばかり退しりぞき、石いしを二個ふたつ拾ひろふ爲ために屈かゞむだ。 素もとより海岸かいがんの事ことだから石いしは澤山たくさんある。 彼かれは石投いしなげに込こめるより早はやく動物どうぶつを目蒐めがけて投なげ付つけた處ところ、狙ねらひ違たがはず兩方りやうはうの眼まなこに中あたり、玉たまが飛出とびでた拍子ひやうしに、石いしは其その跡あとに聢乎かちりと嵌はまり込こむだ。 そこで彼かれは其その動物どうぶつに跨またがつて海うみに乗込のりこむ。 海馬たつのおとしごは眼まなこを失うしなふと同時どうじに其その猛惡まうあくの性質せいしつを失うしなつて、極きはめて從順じうじゆんになつたといふ。 父ちゝは例れいの石投絲いしなげいとを手綱たづなとして動物どうぶつの口くちに宛行あてがひ、譯わけもなく海うみを渡わたり、三時間じかんとは立たたぬ中うちに、約やく三十リーグの對岸たいがんに着ついた。 ホルランド、ヘルベツルイスの三盃みつさかづきの君きみ、此この海馬たつのおとしごを公衆こうしうの縦覽じうらんに供きようしたいとて强たつての懇望こんまう。 そこで父ちゝは七百ダカット即すなはち三千圓ゑんに値賣ねうりをして、翌日よくじつ御用船ごようせんでハーウイツチに歸かへつて來きた。
鰕えびの木きの話はなし
拙生せつせいは父ちゝが海馬たつのおとしごに乗のつて英國えいこく海峽かいけふを橫切よこぎり、ホルランドへ行いつた旅たびの中うちの極ごく重要だいじな部分ところを話はなし落おとした。 間違まちがひのないやうに父ちゝの言葉ことばを借かりてお話はなししよう。 父ちゝは此この話はなしを幾度いくたびとなく友人いうじんに話はなし、其その都度つど拙生せつせいは承うけたまはつたから、確たしかなものである。 で、次つぎに拙生せつせいとあるは父ちゝの事ことである。
ヘルベツルイスに到着たうちやくした時とき、拙生せつせいは呼吸いきづかひが苦くるしく見みえたさうだ。 如何どうした譯わけかと土地とちの人々ひと〴〵が訊きくから、實じつは拙生せつせいのハーウイッチから乗のつて參まゐつた動物どうぶつは、泳およいで來きたのではないと答こたへた。 彼等かれらの特性とくせいとして、彼等かれらは水面すゐめんに浮うかぶ事ことも泳およぐ事ことも出來できぬ。 彼等かれらは岸きしから岸きしまで海底かいていの砂すなの上うへを千萬せんまんの魚類ぎよるゐを愕おどろかして、話はなしても虛うそのやうな速力そくりよくで走はしる。 其その魚類ぎよるゐの大部分だいぶぶんは尻尾しつぽの尖端さきに頭あたまがついてゐるといふ工合ぐあひで、拙生せつせいの懇意こんいにしてゐた魚さかなとは大分だいぶ形狀けいじやうを異ことにしてゐる。 拙生せつせいは高たかさアルプス山脈さんみやくと伯仲はくちうの間あひだにある岩脈がんみやくを通過とほりこした。 此この海底かいてい山脈さんみやくの最高所さいかうしよは水面すゐめんから百尋ひろ以上いじやうとの事ことである。 山腹さんぷく到いたる處ところ、大樹たいじゆ喬木けうぼく生おひ茂しげり、鰕えび蟹かに帆立貝ほたてがひを始はじめとして其他そのほかありとあらゆる海產物かいさんぶつが枝えだを絞しぼつて實なつてゐる。 其中そのなかには唯たゞ一個ひとつで、車くるまは愚おろか牛車うしぐるまにも積つみ兼かねるやうな大物おほものがある。 漁師れふしの手てに掛かゝつて魚うを市場いちばへ出でるのは極きはめて劣等れつとうの種類しゆるゐで、正まさに波落なみおちといふ可べき代物しろものである。 果樹園くわじゆゑんの果物くだものの風かぜに吹ふき落おとされたものを風落かざおちと呼よび、蟲むしに喰くひ落おとされたものを蟲落むしおちと稱しようするが如ごとく、此この海產林かいさんりんに波なみが中あたつて枝えだから振ふるひ落おとしたものを波落なみおちといふ。 田螺たにし類るゐは蔓木つるぎで、蠣かきの木きの下したに生はえる。 恰あたかも蔦つたが樫かしの木きに卷付まきつくやうに蠣かきの木きに絡からむで、田螺たにしは零餘子むかごのやうに實なつてゐる。 拙生せつせいは處々ところ〴〵で破船はせんの結果けつくわを見みた。 其中そのなかに水面すゐめんから三尋ひろばかりの岩山いはやまに突當つきあたつて沈沒ちんぼつした船ふねがあつた。 沈しづむ時とき船側ふなばらが下したになつて、其處そこに生はえてゐた鰕えびの木きを根拔ねこぎにしたと見みえる。 其それは春はるで未まだ鰕えびが靑あをい頃ころであつた。 激はげしい震動しんどうの爲ために、實みは枝えだを離はなれて、直すぐ下したに生はえてゐた蟹かにの木きの枝えだに落おちた。 そこで植物しよくぶつの花粉かふんのやうに蟹かにの實みに結合けつがうして、蟹かにともつかず鰕えびともつかぬ一種しゆ異樣いやうの魚さかなになつた。 拙生せつせいは參考さんかうの爲ために一疋ぴき持もつて行ゆかうと思おもつたが、荷厄介にやくかいになる上うへに、拙生せつせいの海中かいちうペガサスは頻しきりに急いそぎ、苟いやしくも旅たびを後おくれさせるやうな事ことは絕對的ぜつたいてきに拒こばむやうに見みえたから、不本意ふほんいながら斷念だんねんした。 且かつ當時たうじは殆ほとんど旅程りよていの中間ちゆうかんに逹たつし、深ふかさ五百尋ひろの一岩山がんざんを走はしつてゐて、空氣くうきの缺乏けつぼふをソロ〳〵苦くるしく感かんじ始はじめたから、餘計よけいな仕事しごとに手間てまを取とる氣きも出でなかつた。 のみならず拙生せつせいの立場たちばは何どの方面はうめんから見みても甚はなはだ不愉快ふゆくわいであつた。 拙生せつせいは幾多いくたの大魚たいぎよに出會であつた。 其その開ひらいた口くちによつて察さつするに、彼等かれらは拙生せつせいを呑のむ事ことが出來できるばかりでなく、確たしかに呑込のみこむ積つもりと見みえた。 拙生せつせいのロ*ジナンテは盲目めくらであるから、拙生せつせいは苦くるしい中なかにも氣きをつけて此この種しゆの動物どうぶつを警戒けいかいせねばならなかつたのである。
ペ*ガサスはベラーオホンの乗のつた翼つばさのある駿馬しゆんめ、ロジナンテはドンキホーテの愛馬あいばである。
白熊しろくまの話はなし
我等われらはキヤプテン、フイリップ(今いまはマルグレーヴ卿きやう)の北極ほくきよく探險たんけん旅行りよかうを皆みな承知しようちしてゐる。 拙生せつせいは士官しくわんとしてゞなく、私友しいうとしてキヤプテンに同行どうかうした。
北緯ほくゐ大おほいに迫せまつた時とき、拙生せつせいは先さきのヂブラルターの冒險ぼうけんの節せつ紹介せうかいした望遠鏡ぼうゑんきやうを以もつて周圍あたりの風物ふうぶつを瞻望せんぼうしてゐた。 すると拙生せつせいは半はんリーグばかりの彼方あなたに、船ふねの檣マストよりも尙なほ高たかい氷山ひやうざんの上うへで、白熊しろくまと白熊しろくまの喧嘩けんくわをしてゐるのを見付みつけた。 で、拙生せつせいは早速さつそく銃じうを把とつて肩かたに引ひつ擔かつぎ、氷こほりの山やまを登のぼり始はじめた。 頂上ちやうじやうに逹たつした時ときは表面へうめんの凹凸おうとつ啻たゞならず、動物どうぶつに近寄ちかよる事ことは困難こんなんであつたばかりか、言いはん方かたなく危險きけんであつた。 時ときには底そこも知しれぬ隙目われめが道みちを妨さまたげる。 其樣そんな場合ばあひには目めを瞑ねむつて飛越とびこす外ほかに術すべがなかつた。 時ときには表面へうめんが鏡かゞみのやうに滑なめらかで、步あるくよりは辷すべる方はうが多おほかつた。 彈丸たまの屆とゞく近ちかくに來きて見みると、熊くまは咬合かみあひでなく、巫山戯ふざけ合あつてゐたのである。 拙生せつせいは少時しばらくは其その毛皮けがはの價値ねうちを胸算用むなさんようしてゐた。 各々おの〳〵肥こえた雄牛をうし位ぐらゐの大おほきさである。 不幸ふかうにして銃じうを差出さしだす刹那せつな、拙生せつせいは右みぎの足あしを踏辷ふみすべらせて、仰向樣あふむけざまに顚覆ひつくりかへつた。 正氣しやうきに返かへつた時ときには既すでに述のべたる此この怪物くわいぶつの一疋ぴきが、拙生せつせいに覆重おひかさなり、拙生せつせいのズボンの帶革バンドを捉つかみ、足あしは前まへ、頭かしらは後うしろといふ風ふうに、拙生せつせいを鞄吊カバンさげに吊さげて行ゆく所ところであつたから、其その驚愕おどろきは察さつして貰もらひたい。 拙生せつせい此この時とき少すこしも騷さわがず、上着うはぎのポッケットから短刀たんたうを把とるより早はやく、拔ぬく手ても見みせずに熊くまの後足うしろあしをちよきつと切きると、指ゆびが三本ぼんばらりと落おちた。 彼かれは立所たちどころに拙生せつせいを放はなして、聞きくも恐おそろしく咆ほえ猛たけつた。 拙生せつせいは直たゞちに銃じうを把とつて逃にげて行ゆく所ところを打うつと、丸たまは急所きうしよを誤あやまたず、さしもの猛獸まうじうも即座そくざに殪たふれた。 さて銃じうの響ひゞきが半はん哩まいる以内いないに眠ねむつてゐた白熊しろくまを悉ことごとく起おこした。 今いまや彼等かれらは擧こぞつて拙生せつせいの許もとに集あつまつた。 眞まことに咄嗟とつさの間あひだである。 能よく進退しんたい谷きはまる男をとこだといふかも知しれぬが、拙生せつせいは全まつたく進退しんたい谷きはまる所ところであつた。 しかし恰あたかも善よし、此この時とき拙生せつせいの腦細胞なうさいぼうに仕合しあはせな奇智きちが湧上わきあがつた。 拙生せつせいは常人ひとが兎うさぎを剝はぐ時間じかんの半分はんぶんで、死しんだ白熊しろくまの皮かはを剝はぎ、手早てばやく其中そのうちに身みを匿かくし、熊くまの頭あたまから頭巾づきんのやうに敵てきを覗のぞいた。 拙生せつせいの計畫けいくわくは自家じか防衞ぼうゑいの上うへに大成功だいせいこうであつた。 彼等かれらは皆みな鼻はなをクスン〳〵いはせて拙生せつせいを嗅かぎ廻まはし、明白あきらかに拙生せつせいを兄弟分きやうだいぶんと心得こゝろえてゐる。 拙生せつせいは又また努つとめて猫背ねこぜになつて、事ことの露顯ろけんを防ふせがうとした。 然しかしながら拙生せつせいは此この熊くまの大部分だいぶぶんは拙生せつせいよりも小ちひさいといふ事ことに氣きがついた。 彼等かれらは拙生せつせいを凝視ぎようしし、次つぎに拙生せつせいに皮かはを剝はがれた朋輩ほうばいの死骸しがいを凝視ぎようししてから、我等われらは極きはめて社交的しやかうてきに見みえた。 拙生せつせいは巧たくみに彼等かれらの動作どうさを熊くま眞似まね小こ眞似まねする事ことが出來できたから、大おほいに羽振はぶりが利きいたのでもあらうが、唸うなる事こと哮ほえる事こと相撲すまふを取とる事ことにかけては、彼等かれらは何どうしても拙生せつせいの先輩せんぱいであつた。 時ときに拙生せつせいは斯かくして彼等かれらの間あひだに作つくつた信用しんようを如何いかにして利用りようすべきかと考かんがへ始はじめた。