脊柱せきちうの傷きずは直たゞちに人ひとを殺ころすといふ。 是これは豫かねて老軍醫らうぐんいから聞きいた事ことである。 で、拙生せつせいは一つ此この說せつを試驗しけんして見みる氣きになつて、再ふたゝび短刀たんたうに手てを掛かけ、遊あそび戯たはむれる風ふりをしながら、一番ばん大おほきな奴やつの首筋くびすぢをぐさりと刺さした。 ——尤もつとも仕損しそんじた日ひには、彼かれは直たゞちに飛とび掛かゝつて、拙生せつせいも微塵みぢんに裂さくだらうとしか思おもへぬから、いや拙生せつせいの心痛しんつうは實じつに一通とほりや二通とほりでなかつた。 が彼かれが少すこしも音おとを立たてずに拙生せつせいの足下あしもとに殪たふれた時ときは實じつに嬉うれしかつた。 そこで拙生せつせいは味あぢを占しめて、同おなじ方法はうはふによつて一疋ぴき殘のこらず殺ころす決心けつしんをして、些細ささいの困難こんなんもなく成功せいこうした。 彼等かれらは同輩どうはいが拙生せつせいの手ての觸さはる每ごとに殪たふれても、一向かうに原因げんいんも結果けつくわも疑うたがはなかつた。 敵てきが悉こと〴〵く拙生せつせいの前まへに殪たふれた時とき、拙生せつせいは第だい二のサ*ムソンになつたやうな心持こゝろもちがした。
其それから後さきの事ことを簡單かんたんに辻褄つぢつまつければ、拙生せつせいは船ふねに戾もどつて船員せんゐんの三分ぶんの一を借かり、手傳てつだつて貰もらつて革かはを剝はぎ、腿ハムを甲板かんぱんに搬はこむだ。 何分なにぶん大人數おほにんずうの事ことであるから、此この仕事しごとは三十分ぷんばかりで片付かたづいた。 他ほかの部分ぶぶんは悉皆すつかり海うみに棄すてゝ了しまつたが、然しかる可べき仕舞しまひをつければ腿ハム同樣どうやう食料しよくれうになつた事こと拙生せつせいの毫がうも疑うたがひを容いれぬ所ところである。
サ*ムソンは舊約きうやく全書ぜんしよの人物じんぶつ、剛力がうりきの名なあり。
捕虜ほりよを救すくひたる話はなし
拙生せつせいはヂブラルターから歸かへつて、英國えいこくに行ゆく爲ためにフランスを通とほつた。 外國人ぐわいこくじんの事ことであるから、所謂いはゆる旅たびの耻はぢは搔かき棄すてゞ、別段べつだんの不都合ふつがふにも出合であはなかつた。 カレーの港みなとで拙生せつせいは、戰爭せんさうで捕虜ほりよになつた英國えいこく水兵すゐへいを乗のせて到着たうちやくしたばかりの船ふねを見みた。 拙生せつせいは直たゞちに此この勇敢ゆうかんなる軍人ぐんじんに自由じいうを與あたへてやりたいといふ義俠心ぎけふしんを起おこし、次つぎの如ごとくにして美事みごと成功せいこうした。
先まづ長ながさ四十ヤード幅はゞ十四ヤードといふ大おほきな翼つばさを一對つゐ拵こしらへて、拙生せつせいは萬象ばんしやう未いまだ夢ゆめから覺さめぬ朝あさぼらけ、否いな、甲板上かんぱんじやうの番兵ばんぺいまでが眠ねむつてゐる頃ころに、大空おほぞら高たかく舞まひ上あがつた。 次つぎに船ふねの上うへに舞まひ下さがつて、鉤かぎを使つかつて例れいの石投いしなげの絲いとを三本ぼん檣マストの頂點ちやうてんに結付むすびつけ、船體せんたいを水面すゐめん數すうヤードの所ところに引上ひきあげてドーバーを指さして海峽かいけふを舞まひ始はじめ、三十分ぷんにして無事ぶじ到着たうちやくした。 最早もはや此上このうへは翼つばさの用ようもないから、其それは其儘そのまゝドーバーの城主じやうしゆに獻上けんじやうした。 今いままで彼かの地ちの博物館はくぶつくわんに參考品さんかうひんとして殘のこつてゐる。 ドーバーへ行いつたら是非ぜひ見みて來き給たまへ。
捕虜ほりよ及および其それを護送ごさうしてゐた佛國ふつこく軍人ぐんじんは、ドーバーへ着ついてから二時間じかんに垂なんなんとする迄まで目めを覺さまさなかつた。 英人えいじんは事情じじやうを知しるや否いなや、直たゞちに佛人ふつじんと地位ちゐを替かへ、且かつ捕獲ほかくされた物品ぶつぴんを取戾とりもどした。 彼等かれらは寛大くわんだいであるから進すゝむで報復的はうふくてきに新捕虜しんほりよの所有物しよいうぶつを掠かすめるやうな事ことはしなかつた。
獵犬れうけんトレイの話はなし
拙生せつせいは船長せんちやうハミルトンと共ともに東ひがし印度いんど諸島しよたうへ航海中かうかいちう、トレイといふ愛犬あいけんを連つれてゐた。 彼かれは嗅犬ポインターで决けつして拙生せつせいを欺あざむいた事ことがないから、下世話げせわで申まをす土つち一升しよう金かね一升しよう、體重めかた丈だけを貴金きんで拂はらふからといはれても、手放てばなし難がたい尤物いうぶつであつた。 或日あるひ我等われらの觀察くわんさつによれば陸地りくちから少すくなくとも三百リーグの所ところで、トレイは獲物えものを嗅付かぎつけた。 拙生せつせいは驚愕きやうがくの餘あまり、殆ほとんど一時間じかんといふもの、彼かれの樣子やうすを見守みまもつて、船長せんちやう並ならびに乗組のりくみの船員せんゐんに拙生せつせいの愛犬あいけんが獲物えものを嗅付かぎつけた以上いじやうは、既すでに陸地りくちは近ちかいのだらうと、事ことの次第しだいを話はなして聞きかせた。 此この話はなしは一同どうの大笑おほわらひを買かつたが、笑わらはれたからといつて、拙生せつせいのトレイに對たいする信用しんようは秋毫しうがうも變かはらぬ。 押問答おしもんだふの末すゑ、拙生せつせいは此この船ふねの船員せんゐん全體ぜんたいの眼まなこよりもトレイの鼻はなに信用しんようを置おくと大膽だいたんに言放いひはなち、尙なほ進すゝむでは、若もし半時間はんじかんの中うちに獲物えものが見付みつからぬやうなら、拙生せつせいは船賃ふなちん丈だけの金額きんがく、即すなはち百ギニイを進呈しんていすると申出まをしでた。 船長せんちやうは人ひとの好いい男をとこで、唯たゞ笑わらふばかりで本氣ほんきにしない。 そして船醫せんいのクローホート君くんに賴たのむで拙生せつせいの脈みやくを見みさせた。 クローホート君くんは賴たのまれなくても職分しよくぶん上じやう是非ぜひ一應おう診察しんさつせねばならぬといふ意氣込いきごみで、拙生せつせいの脈みやくを計はかつたが、拙生せつせいの健康けんかうに異狀いじやうのない事ことを明言めいげんした。 次つぎの會話くわいわが船長せんちやうと船醫せんいの間あひだに行おこなはれた。 低ひくい聲こゑで而しかも少々せう〳〵離はなれてゐたが、拙生せつせいには聞取きゝとる事ことが出來できた。
『精神せいしんに異狀いじやうがあるのでせう。 私わしは本氣ほんきで此樣こんな賭かけをする氣きになれない。 』『いゝえ私わたしの見立みたてでは頭あたまは健全たしかなものです。 矢張やはり此船こゝの船員せんゐんの判斷はんだんよりは犬いぬの嗅覺きうかくに重おもきを置おいてゐるのでせう。 賭かけを行やるといふなら行やつた方はうが宜いいぢやありませんか。 先方せんぱうが負まけるに定きまつてゐます。 又また負まけるのが當然たうぜんです。 』『いや先方せんぱうが負まけるに定きまつてゐるから、私わたしは二の足あしを踏ふむのです。 斯かう結果さきが目めに見みえて居ゐちや賭かけになりませんからな。 兎とに角かく後あとで金かねを返かへす事ことにして一番ばん驚おどろかしてやらう。 』
此樣こんな談話はなしの中うちにも、獵犬れふけんは同おなじ姿勢しせいをしてゐるから、拙生せつせいは尙更なほさら氣きが强つよくなつて、再ふたゝび賭かけを促うながすと、今度こんどは先方せんぱうも應おうじた。 『宜よろしい。 』『宜いいとも。 』が雙方さうはうの間あひだに交換かうくわんされるかされないに、艫ともに繫つないだ短艇ボートに乗のつて釣つりをしてゐた水夫共すゐふどもが、巨大おほきな鯊ふかを銛もりに掛かけた。 引上ひきあげて油あぶらを取とる積つもりで切開きりひらくと、どうも驚おどろく、此この動物どうぶつの胃袋ゐぶくろの中なかに生いきてる鷓鴣しやこが六對つがひまでゐた。
彼等かれらの胃ゐの腑ふの中なかに餘程よほど長ながい間あひだゐたと見みえる。 一羽はの牝鳥めんどりは卵たまごを四個よつ抱だいてゐた。 尙なほ一つの卵たまごは鯊ふかを開ひらいた時ときには丁度ちやうど孵かへる所ところであつた。 雛鳥ひなどりは其それから數分すうふん前まへに生うまれた猫ねこの子こと一緖しよにして育そだてた。 親猫おやねこは自分じぶんの四つ足あしの子こと同樣どうやうに、別わけ隔へだてなく此この鳥とりの子こを可愛かはゆがつたが、其それが舞上まひあがつてナカ〳〵歸かへつて來こない時ときには、見みる目めも氣きの毒どくのやうに心配しんぱいさうであつた。 他ほかの牝鳥めんどりも絕たえず一羽は以上いじやうは巢すについて、船長せんちやうの食卓しよくたくには鷓鴣しやこの絕たえる事ことがなかつた。 拙生せつせいはトレイのお蔭かげで美事みごと百ギニー儲まうけたから、其そのお禮れいとして彼かれには每日まいにち骨ほねを振舞ふるまひ、時ときには鳥とりを總身まるごと遣やる事ことにした。
月つき世界せかい旅行りよかう談だん
拙生せつせいが銀ぎんの手斧てをのを探さがして一度ど月つきの世界せかいへ行いつた事ことは、既すでに諸君しよくん御承知ごしようちの通とほりである。 其後そのご拙生せつせいはもつと愉快ゆくわいな方法はうはふで再ふたゝび同地どうちへ旅行りよかうし、姑しばらく滯在たいざいの間あひだに種々しゆ〴〵面白おもしろい觀察くわんさつをした。 今いま次つぎに其その槪略がいりやくを拙生せつせいの記憶きおくが許ゆるすだけ精確せいかくにお話はなしして見みたい。
拙生せつせいは遠とほい親類しんるゐの者ものの依賴たのみによつて、探險たんけん航海かうかいの途とに上のぼつた。 其その親類しんるゐといふのは頗すこぶる妙めうな空想かんがへを抱いだいてゐた。 彼かれの信しんずる所ところによると、ガリバーの大人國たいにんこくにあるやうな巨大おほきな人間にんげんは必かならず此この世界せかいにあるといふのであつた。 拙生せつせいは自分じぶんの意見いけんでは大人國たいにんこくは作つくり話ばなしだと定きめてゐたが、彼かれは拙生せつせいに財產ざいさんを讓ゆづつてくれたから、其その恩おん報ほうじの爲ために、探險たんけんを引受ひきうけて南海なんかいに向むかつた。 南海なんかいに着ついても別べつに珍奇ちんきなものは見當みあたらなかつたが、空中くうちうに跳背戯うまとびや、舞踏ぶたふをしてゐる幾群いくむれかの翼つばさある男女だんぢよに出會であつた。
キヤプテン、クックがオマイを連つれ出だしたといふオタハイテ島たうを過すぎてから十八日にちの後のち、暴風ぼうふうが起おこつて拙生せつせい共どもの船ふねを少すくなくとも海拔かいばつ四千リーグの所ところに吹上ふきあげた。 拙生せつせい共どもは當分たうぶん其その高たかさに碇いかりを下おろしてゐると、又またも大風おほかぜが吹起ふきおこつて帆ほといふ帆ほを悉こと〴〵く孕はらませ、我等われらは目めの廻まはるやうな速力そくりよくで旅たびを續つゞけた。 斯かくして進すゝむ事こと六週間しうかんの後のち、竟つひに拙生せつせい共どもは丸まるい光ひかつてゐる島しまのやうな一陸地りくちを發見はつけんした。 そこで便利べんりのいゝ港みなとに入はいり、次ついで上陸じやうりくし、間まもなく人ひとの住すむでゐる事ことを確たしかめた。 拙生せつせい共どもの下したには都會とくわい山脈さんみやく森林しんりん川海かはうみ等とうを持もつた地球ちきうが見みえた。 多分たぶん拙生せつせい共どもの後あとにして來きた此この世界せかいだらうといふ鑑定かんていであつた。 此處こゝで拙生せつせい共どもは頭あたまの三個みつある非常ひじやうに大おほきい禿鷹はげたかに乗のつた人々ひと〴〵を見みた。 此この鳥とりの巨大おほきさは、翼つばさの片かた一方いつぱうの幅はゞが拙生せつせい共どもの乗のつてゐた六百噸とんの船ふねの大おほ帆索ほづなの長ながさの六倍ばいあると申まをしたら、大體だいたいの見當けんたうが付つくだらうと思おもふ。 我等われらが此この世界せかいで馬うまに乗のるやうに、月世界げつせかい(既すでに拙生せつせい共どもは知しらぬ間まに月世界げつせかいに入はいつてゐたのである。 )の住民ぢうみんは皆みな此この鳥とりに乗のつて步あるく。 拙生せつせい共どもの謁見えつけん仰おほせ付つかつた帝王ていわうは、當時たうじ太陽たいやうと戰爭せんさう最中さいちうで、拙生せつせいを是非ぜひ司令官しれいくわんに任用にんようしたいとの仰おほせであつたが、拙生せつせいは同伴つれもある事ことだし、事情じじやうに通つうじてゐないから、只管ひたすら陛下へいかの有難ありがたい思召おぼしめしを御辭退ごじたい申上まをしあげた。 月つきの世界せかいでは凡百すべての物ものが法外はふぐわいに巨大おほきい。 一例れいを申まをせば蚤のみが羊ひつじぐらゐある。 いや、羊ひつじよりも少々せう〳〵大おほきからうか。 兎とに角かく其樣そんな工合ぐあひだから、他たは皆みな以もつて類推るゐすゐする事ことが出來できるであらう。 戰爭せんさうに當あたつて主おもなる武噐ぶきは大根だいこんである。 大根だいこんを投槍なげやりとして用もちゐ、あれで負傷ふしやうすると即死そくしするといふ話はなしだ。 彼等かれらの楯たては蕈類きのこるゐで出來できてゐる。 投槍なげやりは大根だいこんの無ない時節じせつには石刀柏つまばうどの先端さきの方はうを代用だいようするさうだ。 此處こゝでは天狼星てんらうせいの住民ぢうみんを見みる事ことが出來できた。 彼等かれらは商業しやうげふの民たみで彼地あつち此方こつちと漂泊へうはくする。 顏かほは犬いぬに似にて眼めは鼻はなの頂上てつぺんにあるが、眼瞼まぶたといふものがない。 しかし眠ねむる時ときには舌したを伸のばして眼めを塞ふさぐといふ。 身長みのたけ普通ふつう二十尺しやく、月世界げつせかいの住民ぢうみんに至いたつては尙なほずつと大おほきく、三十六尺しやく以下いかは矮小せいつぴくの部類ぶるゐに入はいる。 彼等かれらは人間にんげんとは呼よばれてゐない。 料理れうり動物どうぶつといふ名なである。 即すなはち動物どうぶつではあるが、普通ふつうの動物どうぶつと異ことなつて、我等われらのやうに火ひを用もちゐて食物しよくもつを料理れうりする。 而しかも彼等かれらは食事しよくじの爲ために時間じかんを潰つぶさない。 料理れうりが濟すむと左ひだりの腹はらを開ひらいて一時じに悉皆すつかり塡つめ込こみ、次つぎの月つきの食事しよくじの日ひまでは其儘そのまゝ固かたく閉とぢて置おく。 彼等かれらは年ねんに十二回くわい、即すなはち月つきに一度ど以上いじやうは食事しよくじを取とらぬ。 大食家たいしよくかや食道樂くひだうらくを除のぞいては、此この方法はうはふが簡便かんべんで好よからうと思おもふ。