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あめりか物語 cover

あめりか物語

Chapter 22: 曉
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About This Book

A sequence of travel sketches recounts a Pacific voyage and subsequent stays in foreign towns and countryside, shifting between intimate shipboard scenes, chance conversations with fellow passengers, and walks through streets, parks, and institutional grounds. Evocative descriptions of weather, landscape, and everyday interiors alternate with reflective observations about longing, disappointment, and the uneasy prospects of those who leave home to seek opportunity abroad. Small domestic moments, social encounters, and melancholy memories are woven into an observant, elegiac account of movement, cultural dislocation, and the unsettled life of travelers.

 此う云ふ境遇から此う云ふ先入の感想を得て、私は軈て中學校に進み、圓滿な家庭のさまや無邪氣な子供の生活を寫した英語の讀本、其れから當時の雜誌や何やらを讀んで行くとラヴだとか家庭ホームだとか云ふ文字の多く見られる西洋の思想が實に激しく私の心を突いたです。同時に、父の口にせられる孔子の敎だの武士道だのと云ふものは人生幸福の敵である、と云ふやうな極端な反抗の精神が何時とは無しに堅く胸中に基礎を築き上げて了つた。で、年と共に鳥渡した日常の談話にも父とは意見が合はなくなりましたから、中學を出て高等の專門學校に入學すると共に、私は親許を去つて寄宿舎に這入り折々は母を訪問して歸る道すがら、自分は三年の後卒業したなら、父と別れて自分一個の新家庭を作り、母をしやうじて愉快に食事をして見やう………とよく其樣事を考へて居ましたが、人生は夢の如しで、私の卒業する年の冬母上は黃泉あのよに行かれた。

 何でも夜半近くから急に大雪が降出した晚の事で、父は近頃買入れた松の盆栽をば庭の飛石に出して置いたので、この雪の一夜を其の儘にして置いたなら雪の重さで枝振りが惡くなるからと、下女か誰かを呼び起して家の中へ入れさせやうと云はれた。處が母上は折惡しく下女が二三日風邪の氣味で弱つて居た事を知つて居られたので、可哀さうですからと自ら寢衣ねまきのまゝで雨戶を繰つて庭に出て、雪の中をば重い松の盆栽を運ばれた………母は其夜から俄に感冒かぜを引かれ忽ち急性肺炎を起した。

 私は實に大打擊を蒙りました。其の後と云ふものは友人と一緖に牛肉屋だの料理屋なぞへ行つても、酒の燗が不可ないとか飯の焚き方がまづいとか云ふ小言を聞くと、私は直ぐ悲慘な母の一生を思出して胸が一杯になり、緣日や何かで人が植木を買つて居るのを見れば私は非常な慘事を目擊したやうに身を顫はさずには居られなかつた。

 處が幸にも一度日本を去り此の國に來て見ると、萬事の生活が全く一變して了つて、何一ツ悲慘な連想を起させるものがないので、私は云はれぬ精神の安息を得ました。私は殆どホームシツクの如何なるかを知りません。或る日本人は盛に米國の家庭や婦人の缺點を見出しては非難しますが、私には縱へ表面の形式僞善であつても何でもよい、良人が食卓で妻の爲めに肉を切つて皿に取つて遣れば、妻は其の返しとして良人の爲めに茶をつぎ菓子を切る。其の有樣を見るだけでも私は非常な愉快を感じ、强ひて其の裏面を覗つて、折角の美しい感想を破るに忍びない。

 私は春の野邊へ散策ピクニツクに出て大きなサンドウイツチや林檎を皮ごと橫かじりして居る娘を見ても、或はオペラや芝居の歸り夜深よふけの料理屋でシヤンパンを呑み、良人や男連には眼もくれず饒舌つて居る人の妻を見ても、よしや最少し極端な例に接しても、私は寧ろ喜びます。少くとも彼等は樂んで居る、遊んで居る、幸福である。されば妻なるもの母なるものゝ幸福な樣を見た事のない私の目には此れさへ非常な慰藉なぐさめぢやありませんか。

 お分りになりましたらう。私の日本料理日本酒嫌ひの理由はさう云ふ次第からです。私の過去とは何の關係もない國で出來る西洋酒と母を泣かした物とは全く其の形と實質の違つて居る西洋料理、此れでこそ私は初めて愉快に食事を味ふ事が出來るのです。」

* * * *

「恁う云つてね、金田君は身の上話を聞いてくれたお禮だからと、僕が止めるのも聞かずに到頭三鞭酒シヤンパンしゆを二本ばかり拔いた。流石西洋通だけあつて葡萄酒だの、三鞭酒なぞの鑑別みわけは委しいもんだ。」

 辯者は語り了つて再び雜煮の箸を取上げた。一座暫くは無言の中に、女心の何につけても感じ易いと見えて頭取夫人の吐く溜息のみが、際立つて聞えた。

          (明治四十年五月)

 單に紐育ばかりではない、合衆國中に知れ渡つて女も男もよく人が話をするのは、ロングアイランドの海岸に建てられた「コニーアイランド」と云ふ夏の遊場の事である。淺草の奧山と芝浦を一ツにして其の規模を驚くほど大きくしたやうな處である。紐育からはブルツクリンの市街を通過る高架鐵道とハドソン河を下る蒸汽船と、水陸いづれからも半時間ほどで行く事が出來る。

 凡そ俗と云つて、これほど俗な雜沓場は世界中におそらくあるまい。日曜なぞは幾萬の男女が出入をするとやら、新聞紙が報道する記事を見ても其の賑かさは想像せられるであらう。電氣や水道を應用して俗衆の眼を驚かし得る限りの大仕掛の見世物と云ふ見世物の種類は、幾十種と數へきれぬ程で、然し其の中には見物人に多少歷史や地理の知識を與へる有益なものもある。又怪し氣な踊場鄙猥ひわいな寄席も交つてゐる。每夜目覺しく花火が上る。河蒸汽で晴れた夜に紐育の廣い灣頭から眺め渡すと、驚くべき電燈イルミネーシヨンの光が曙の如く空一帶を照す中に海上遙か幾多の樓閣が高く低く聳え立つ有樣、まるで龍宮の城を望むやうである。

 こゝに日本の玉轉し Japanese Rolling Ball と云へば廣いコニーアイランド中數ある遊び物の中でも隨分と名の知れ渡つたものである。何の事はない、奧山でやつて居る射的や玉轉しも同樣、轉した玉の數で店一杯に飾つてある景物を取ると云ふのに過ぎない、が、第一が日本人と云ふ物珍らしさ、第二が運よくば金目の品物が取れると云ふ勝負氣とで、何時頃から評判になつたとも知れず、日露戰爭以後は一層の繁昌、每年の夏、此の玉轉しの店は增えるばかりである。

 かう云ふ人氣もので一儲をしやうと云ふ人逹の事であれば、其の主人と云ふ日本人は大槪もう四十から上の年輩。生れ故郷の日本で散々苦勞をした擧句、此のアメリカへ來てからも多年ありと有らゆる事を爲盡し、今ではなに世の中はどうかならア、人間は土をかじツて居たつて死にやアしめえ、と云はぬばかり、其の容貌かほつきから物云ひから何處となくひれが着いて、親方らしく、壯士らしく、破落戶ごろつきらしくなつて居る。で、其の下に雇はれて每日客が轉す玉の數を數へ景物を渡してやる連中は、まだ失敗と云ふ浮世の修行がつまず、然し軈ては第二の親方にならうと云ふ程度の無識者、又は無鐵砲に苦學の目的で渡米して來た靑年である。

 自分も其の頃は其の中の一人、何をしたつて構ふものか。歐洲に渡る旅費さへ造ればと云ふ一心から、ふいとした出來心である玉ころがしの數取りになつた。一週間の給金が十二弗。亭主のいふには外の店ぢや十五六弗出す處もあるさうだが皆な自分で喰つて行かなくちやならねえ。乃公おらの處は十二弗で三度飯がついて店の中へ寐泊りも出來る。つまり給金から身錢一文切る事はいらねえのだ。だから其のつもりで働いてくれ給へ———との事であつた。

 自分は雇はれると、直ぐ其場から、他の者と同じやうに店先に据ゑた玉臺のわきに立つて、お客の立寄るのを待つて居たが、三時、四時過ぎる頃までは見物の通行人も至つて稀で、あつい〳〵夏の夕陽が向側の大きなビーヤホールの板屋根に照輝いて居る。ビーヤホールの右隣りは射的場で、眞白に白粉を塗つた女が口に物を頰張つたまゝで、時々此方を向いては大欠伸をして居たが、左隣は「世界空中旅行」と看板を掛けて鳥渡見掛の大きな見世物である。入口の椅子の上には此れも白粉をべつたり塗つた乳の大きい若い女が、客の出入の少い折を幸ひ、臺の上で入場券と小錢の勘定をして居る、と其の傍には下卑た人相の男が人目を引く色模樣の衣服を着て、客らしいものが通らない時でも、絕えず「被入い〳〵」と大聲に二三度怒鳴つては、頻と切符賣の女に色目を使つて何かこそ〳〵話をしかけて居た。

 四邊に電燈のついたのは五時頃であつたらう。空は靑く夏の日の暮れるにはまだ間がありながら、然し一帶の景氣は何處となく引立つて來た。蓄音機へ仕掛けた樣々の物音、男の客を呼ぶ叫び聲が、彼方からも此方からも響き出すと、向ひのビーヤホールでは往來からも見通せるやうな處で盛に活動寫眞を映し初める。直ぐ近くの何處かには寄席か踊場があると見えて、樂隊の太鼓と共に若い女の合唱コーラスも聞える。見物の男女は此の刻限から次第々々に潮の如く押寄せるばかりで、夜の八時から十二時過ぎまでの盛り時には往來は全く步く隙間もなく人間で埋つて居た。軈て店の亭主が漸く靜り行く往來の樣子を見計つて、

「どうだ、もうそろ〳〵戶を閉めちやア………。」

と云つたのは夜の二時である。吾々は路傍の水道で汗になつた顏を洗ひ、煙草でも一服しやうとすると早や三時に近い。雇はれて居る連中では一番年を取つた四十ばかりの如何にも百姓らしい顏をして居る男が、東北訛の發音で、

「さア〳〵乃公アもう寐るぜ。お前逹のやうな眞似をして居ちやア身體が續きませんや。若え者逹はさんざ樂しむがいゝ。まだ夜は長いや………。」と云ひながら、玉臺の下に圓め込んだ毛布を出して敷伸べ、ごろりと臺の上へ、汚染みた襯衣シヤツ一枚で大の字なりに寐轉んだ。すると頭髮を綺麗に分けた書生らしい男が、

「又今夜も玉臺の上に寐るのか。好い夢でも見るかい。」

「奧の寐臺は南京蟲の巢だ。お前も少しア板の上に寐る稽古もして置くもんだぜ。每晚々々女の處へ這込む事ばかり考へて居やがつて………。」

「乃公アまだ若いんだよ。」と書生らしい相手が云ふと、同じ仲間の一人が、助太刀と云ふ氣味で、

「お爺つアん、お前、さう金ばかりためてどうするんだい。國にや子もある孫もあるツて譯でもあるまいが………。」

「さうよ。國にや十六になる情婦いろが待つて居らア。お前逹見たやうにアメリカ三界の女郞に鼻毛を拔かれて、汗水たらした金を取られる奴の氣が知れねえや。此處で一晚捨てる金を國へ持つて行つて見な、朝日が屛風へかん〳〵さすまで、お大盡さまで遊べるぢや無えか………。」

 書生どもはもうからかつてもつまらないと思つたか、あゝ暑いと云ひながら店の外へ出て了つた。成程戶を閉め切つた家の中はぢつ﹅﹅として居ても汗が出るやうなのと、自分は今日雇はれたばかりで何處に寢てよいのやら分らぬので、同じ樣に片隅の潜戶から外へ出た。軒の下の涼しい處に店に雇はれた連中は皆寄集つて立話をして居る。

 四邊は一時間ほど前の雜沓を思返すと、不思議な程氣味の惡い程寂として居る。彼の大仕掛な見世物の樓閣はイルミネーシヨンの光が消えて了つたので、朦朧として彼方此方の空中に白く雲のやうに聳えてゐるばかり。廣からぬ往來は何處もやツと闇にならぬ限り、處々の電燈に薄暗く照されて居る。と、この薄暗い影の中に夢の如く幻の如く白粉を塗つた妙な女が、戶を閉めた四邊の見世物小屋から消えつ現れつして居る。シヤツ一枚の腕まくりした男が其の姿を追掛けて行つたり來たりして居るかと思ふと、忽ち「何をするんだよ。」と云ふやうな女の叱る聲、又はキヤツ〳〵と笑ふ聲も聞える。何れも一夜見世物小屋で怒鳴つたり踊つたりして居た連中が、今初めて身まゝ氣まゝの空氣を吸ひに出て來るのである。

 往來の端れの廣い海水浴場の方からは、何とも云へぬ冷い風と共に雨のやうな靜な岸打つ波の音が響いて來る———何と云ふ疲れた物淋しい響であらう。自分は大方夜明しに馴れぬ身のいたく弱り果てた所爲であつたに違ひない。一夜湧返る狂亂歡樂の後、この淋しい疲れた波の音は深く心の底へと突入るやうに思はれた。見るともなく灰色に色褪めた夏の夜の空遠く、今や一ツ〳〵消えて行く星の光を打目戍つて居ると、かの怪しい女どもが戲れ騷ぐ笑ひ聲の途切れ途切れては又聞えるのさへ、遂にはあゝ浮世にはあんな生活もあるのかと、何か不思議な謎でも掛けられるやうな氣がして來るのであつた。

 玉場に雇はれた連中は目の前を過ぎる女の價踏ねぶみや批評に急しい。

「おい、どうするんだい。何時まで立坊たちんばうをして居たつて始らねえや。出掛けるなら、早く出掛けて了はうぢやないか。」

「何處へ行くんだ。もう夜が明けるぜ。」

「角の酒屋へ行つて見やうや。彼處へは每晚寄席へ出る女が大勢來て飮んで居らア。」

「いくらだい。二弗位で上るのか。」

「相手によらア。」

「これから二弗も取られる位なら、矢張支那街へ行つた方が安く行くぜ。」

「支那街ツて云へばあの十七番に居た、ぽつちやりした目の黑いジユリヤ………知つて居るだらう。あのジユリヤがビーヤホールの踊場へ來てかせいで居るぜ。きつと角の酒屋に來て飮んで居るかも知れねえ。」

彼奴あいつアもうれこが付いて居るから駄目よ。」

「日本人か。」

「うむ。ブルツクリンに居る手品てづま使ひの女房見たやうになつて居るんだ。」

「女房だつて、娘だつて、構ふ事は無え。金さへ出しやア乃公のものぢや無えか。」

「お義理一遍に………。」

「さう好きな注文を云ふない。此處はアメリカだぜ。」

「アメリカがどうしたんだ。日本人だから惚れられないと限つた事アあるめえ。日本人ならもつたい無い位だ。」

「然し乃公アもう金引替に遊んで居たつて、氣が乗らねえからな。」

「其れぢや强姦でもするさ。」

「まだ、それまでには窮して居ねえや、時節を待つのよ。」

「心細いわけだな。」

「心細い事があるかい。其の中に羨してやるから見て居るがいゝや。」

「公園なんぞうろ〳〵して巡査に捕まつて日本人の面へどろを塗るな。」

 此の時絕えず步いて居る怪し氣な女の二人連が行き過ぎながら、日本人と見て戲ひ半分ハローと聲を掛けた。

「お出でなすつた。」

「わるくないぜ。」

「瘦せて居るぢや無えか。」

「夏向だからよ。」

「後をつけて見ろ。」

 連中の二三人が其の儘女の後を尾けて行つた。殘つた人數は如何にも面白さうに其の方を見送りながら、

「爲樣の無え奴等だ。國で親兄弟が聞いたら泣くだらう。」

「太平洋と云ふ大海があるんで、先づお互に仕合と云ふものだ。何も乃公逹だつて初ツから恁うなるつもりで米國へ來たのぢや無えからな。」

「見ろ。奴等は海の方へ曲つて行つたぜ。游泳およぎにやまだ人が居るのか知ら。」

「今頃行つて見ろ。怪しい奴が彼方にも此方にも砂原すなツぱらにごろ〳〵して居らア。」

「かうして居たつて爲樣がねえ。ぶら〳〵出掛けて邪魔して遣れ。」

「つまらない岡燒をかやきをするな。」

「然し、海の風は身體に藥だぜ。」

「何を云ふんだ。かう每晚夜明しをして居ちや、藥も糸瓜へちまもあるものか。」

「ぢやア、例の通り、何處かで埒を明けて了ふのかな。乃公逹は的のない海邊よりか、矢張行きなれた南京街へ落ちて行かうや。」

 連中は二組に分れた。一組は海水浴場の方へ、一組は夜通し通つて居る電車の停車場をさして出て行つた。自分は一人取殘されたものゝ、然し家へ這入つて玉臺の上に寢るのも厭だし、と云つて、何處へも外に行く處がない。

 星は一ツ殘らず消えて了つたが、まだ明けきらぬ夜の空は云ひ難い陰鬱な色をして、一帶に薄い霧に蔽はれて居る。明日はまた驚く程蒸暑くなる前兆である。

 軒の下に蹲踞しやがんだまゝ、自分は思はずうと〳〵と居眠りしたかと思ふ間もなく、誰やら耳許近く呼ぶ聲にはつと顏を上げて見ると、先程海の方へ出て行つた連中の一人であるらしい。自分と同じ位な若い書生風の男が葉卷を口に啣へて立つて居る。

「どうしたんだ。寢るのなら店の中に寢臺があるぜ。」と自分の顏を見下したが、「君はまだ此う云ふライフに馴れない方だね。」と云つて何か思出すらしく葉卷を口に啣へ直した。

「皆なは何うした。」と自分は少し耻る氣味もあつて態とらしく眼を擦る。

「相變らず淫賣だのえたい﹅﹅﹅の知れない女を捜し步いてゐるのさ。」

 如何にも疲れたと云ふやうに自分の傍へ同じ樣に蹲踞んだが、近く自分の顏を打眺めて、「どうだね、君。われ〳〵の生活は隨分墮落したもんだらう。」

 自分は答へずに唯輕く微笑んだ。

「君は何時アメリカへ來たんだ。もう長いのか。」

「二年ばかりになる。君は………。」と自分は問ひ返した。

「今年の冬で丁度五年だ。夢見るやうだな。」

「何處か學校へ行つて居るのか。尤も今は夏で休みだらうけれど………。」

「さうさ。來た初め二年ばかりはそれでも正直に通つて居たツけ。尤もその時分にやア、僕は國から學費を貰つて居たんだ。」

「ぢや、君は無資力の苦學生と云ふんでもないんだね。」

「かう見えても、家へ歸れば若旦那さまの方よ。」と淋しく笑ふ。

 成程其の笑ふ口許、見詰める目許から一帶の容貌おもざしは、玄關番、食客、學僕と云ふやうな境遇から、一躍渡米して來た他の靑年とは違つて、何處か弱い優しい處がある。身體は如何にも丈夫さうで、夏シヤツの袖をまくつた腕は逞しく肥えて居るが、其れも勞働で鍊磨きたへ上げたのとは異り、金と時間の掛つた遊戲や體育で養成した事が注意すれば直ぐ分る。幾年か以前には隅田川のチヤンピオンであつたのかも知れぬ。

「日本ぢや何處の學校だつた。」

「高等學校に居た事がある。」

「『第一』か。」

「東京は二年試驗を受けたが駄目だつた。仕方がないから、三年目に金澤へ行つてやつと這入れた。然し直に退校されたよ。」

「どうして………。」

「二年級の時に病氣で落第する。其の次の年には數學が出來なくつて又落第………二年以上元級に止まる事が出來ないと云ふのが其の時分の規則だから退校された。」

「其れでアメリカへ來たんだね。」

「直ぐぢやない。退校されてから二年ばかりは家に何にも爲ないで遊んで居た。女義太夫を追掛けたり、吉原へ繰込んだり、惡い事は皆な其の間に覺えた。」

「………………。」

「母親は泣く父親は怒る。然し其の儘にしちやア置けないので、到頭米國へ遊學させると云ふ事になつたのだ。」

「直ぐニユーヨークへ來たのか。」

「いや、マサチユーセツツ州の學校へ行つた。二年ばかりは隨分勉强したよ。僕だつて何も根からの道樂者ぢや無い。一時高等學校の入學試驗に失敗したり、其れから又退校されたりした時にや、自分はもう駄目だと思つたが、勉强して見りやア、何にさう僕だつて人に劣つて居るわけぢや無い。」

「さうとも………。」

「マサチユーセツツの學校ぢや三人居た日本人の中で、兎に角僕が語學ぢや一を占めた位だつた………。」

「卒業しないのか。」

「中途で止して了つた。」

「どうして、惜しいぢやないか。」

「さう云へば其樣ものさ。然し今更後悔したつて始らない。僕は又後悔しやうとも思つちや居ない。」

「………………。」

「仕方のない奴だと思ふだらう。然し僕は全く感ずる處があつて廢學して了つたのだ。一生涯僕はもう二度と書物なぞは手にしないだらう。」

 自分は彼の顏を見詰めた。

「別に大した考へがある譯ぢやないが、僕は學位を貰つたり肩書がついたりする身分よりか此樣處にかうしてぶら〳〵して居る方が結句愉快だからさ。」

「或る意味から云へば、或はさうかも知れない。」

「學校へ這入つてから二年目の夏の事だ。夏休みを利用して紐育へ見物に出て來たのは可かつたが、秋になつてもう學校へ歸らうと云ふ時分に、どうした事だつたか、屆くべき筈の學資が來ないぢや無いか。實に弱つたね。今日來るか明日屆くかと待つて居る中に、學校へ歸る旅費は愚か、愚圖々々して居ると下宿代までが怪しくなつて來た。僕は今日まで自分の腕でびた一文稼いだ事がない。如何にして自分は其身を養つて行くかと云ふ方法を知らない。だから、さア、國許から金が來ない………何れ來るのだらうが、もう來ないやうな氣がする。と、夜もおち〳〵寢られないぢやないか。何だか無暗とひもじいやうな氣がする。乞食になつた夢ばかり見るのだ。」

「無理はない。」

「已むを得ないから、僕は殘つて居る金のある中下宿の勘定をすまして、安い日本人の宿屋へ引移した。其れから二週間も待つて居たが、まだ送金が屆かないぢやないか。僕はもう此れアいよ〳〵駄目だ。何とか手段を考へなくちや成らない………と云つて友逹も相談相手も何にもないアメリカぢやしやうがない。遂に決心して西洋人の家庭へ奉公に行く事にした。」

「ハウス、ウオークだね。」

「さうさ。宿屋に泊つて居る連中は皆なさう云ふ手合だから、每日話をして居る中に大槪樣子は分つた。思つたよりか苦しくも無さゝうだから、えゝ、どうにか成るだらうともう自暴半分、始めよりか大分膽が据つて來たよ。君も知つて居るだらう。皆なが遣るやうに先づヘラルド新聞社へ行つて、Japanese student, very trust worthy, wants position in family, as valet, butler, moderate wages. といふやうな廣吿を出した。二三日たつと直ぐ返事が二三通も來た。然し僕は何う云ふ家が可いのか分らないから、行き當りばつたり一番先に尋ねて行つた家へ給金は向うの云ふまゝ三十弗で働く事にした。其の時には下女同樣の奉公をして、三十弗の月給が取れるとは、流石はアメリカだと思つて喫驚した。」

「然し能く辛抱が出來たね。學費を送る位の家なら君は所謂お坊ちやん育ちの身分だらうが………。」

「人間には反抗と云ふものがあるよ。お坊ちやん育ちだつたからこそ辛抱が出來たのだ。辛抱どころか遂に面白くなつた。君には分らないかも知れない。鳥渡說明の爲にくい事情だが………まア恁う云ふ譯だ。先づ僕の家庭から話さなくツちや成らんな。」

父親フアーザーは何をして居られる。」

「學者さ———丸圓學院の校長をして居る。僕の親として紳士として、社會的にも個人的にも殆ど一點非の打ち處がないと云つて可い位の人物だが、然しあまり完全過ると物事は却つて不可んよ。水淸くして魚住まずと云ふ事があるからね………。僕は餘り健全な家庭に育つた爲め思ひ掛けない處から腐敗し始めたのだ。」

 自分が問ひ掛けやうとするのを手で制して語りつゞけた。

「今になつて、此樣處で親の評判を吹聽するのは馬鹿々々しいやうだが、實際の處、僕の父は其の頃から世間で云ふ通り、餘程人から崇拜された人物だつたと見えて、家には何時も塾同樣に書生が七八人も居た。君も父の名前位は何かの書物で見られた事があるかも知れない。兎に角僕は極く幼少い時分から、家の書生やら近所の者なぞから、父と云ふ人は非常にえらい﹅﹅﹅先生だと云ふ事を、何時となく耳にして居たが、然し如何いふ譯で、何れほどえらい﹅﹅﹅のか知らないから、自分も此の儘大人になれば、自然と先生になれるものだと思つて居た。ところが、たしか高等小學に進む時だつたよ。其の頃から數學が出來なくつて、殆ど落第しかけた時、學校の敎師から恁う云はれた事がある。君のお父樣は世間も知つての通り法律の大學者だ。餘程勉强なさらないと君ばかりではない、父上のお名前にも關はります。家へ歸ると無論學校から注意書が廻つて居たので、母親から叱られる。父親からは懇々と云訓され、每夜十時まで學課の復習をしろとの事であつた。

 僕は頑是ない子供心に、始めて自分は學問が出來ないのだと氣が付いて見ると、もうひどく氣が挫けて了つて、其の後一二週間ばかりと云ふものは家の書生なぞに顏を見られるのが辛くて堪らない………あまり外へも出ずに部屋へ引込んで、父から云はれたやうに夜晚くまで勉强はして居たが、何時とはなく、自分はもしやこんなに勉强して居ても、父のやうにえらく﹅﹅﹅なれなかつたら如何しやうと、子供心に自分の將來が無暗と心細く思はれる事があつた。この心配———將來の憂慮だね、此れがつまり僕の精神を腐らして了つた蟲だと云つてもいゝ。僕は小學から尋中じんちゆうへと次第に進んで行くにつれて學問は增々むづかしくなる。一方では父の名望地位はいよ〳〵上る。昔父の玄關に居た學僕が學士になつて禮に來る。僕は唯意氣地なく小く見えるばかりだ。すると、家の書生や親類なぞは誰が云出すともなく、僕はやがて父の家を繼ぐ時分には父のやうな法律の大學者になるだらうと云ふし、僕自身も又是非さうなるべき責任があるやうにも思ひ、又心からなつて見たいとも思ふ。思へば思ふほど氣にかゝつて來るのは自分の實力で、僕は父の云はれる事がしみ〴〵身にこたへる度々、とても僕は駄目だ………と譯もないのに獨りで絕望して居た。

 然し無論これは世間も何も知らない子供心の事で年を取れば次第に氣も大きくなる。と云ふものゝ、子供の時に感じた事は一生忘れるものぢや無い。僕はやつとの事で入學した高等學校は退校されて、少し自暴になつた擧句、アメリカへ送られてからも矢張さうだ………折々父の手紙にでも接すると、父はこれほど深切に自分を勵ましてくれるが、果して自分は學術に成功する才能があるのか知らと云ふやうな氣がしてならない。やつて見れば譯なく出來る事でも僕は自分のイマジネーシヨンで、何時も駄目だと締めて了ふ。

 かう云ふ絕望の最中、まア想像したまへ。僕はふいと送金が延引した爲めに、云はゞ一時家との關係が中絕して了つたのだらう。故郷へ錦を着て歸るべき責任がなくなつた———何と云ふ慰安だらう。もう死なうが生きやうが僕の勝手次第。死んだ處で嘆きを掛ける親が無ければ、何と云ふ氣樂だらうと云ふやうな氣がしたのさ。」

 彼は語り疲れて少時默つた。

「其れで、君はハウス、ウオークと云ふ皿洗ひの勞働を辛抱したんだね。」

「さうだ。送金は程なく屆いた、が、もう時已に晚しさ。僕は二週間ばかり奉公して、食堂の後で皿を洗つて居る中に、すつかり墮落して了つた。君は經驗があるかどうか知らないが、實に呑氣なものだ。それア馴れない事だから、初めは苦しい、情ないやうな氣もする、隨分まごつきもするが、元々大してむづかしい仕事ぢやない。家族が食堂で食事するのをボーイの役目で皿を持つて廻ればいゝのだから、譯はありやしないさ。主人逹の食事が濟むと皿を洗ひ、地下室の臺所へ下りて、コツクの婆に小間使の女と三人、荒木のテーブルを圍んで食事をするのだが、境遇と云ふものは實に恐しいもんさね。皿を洗つて居れば、自然々々と皿洗のやうな根性になつて行くから奇妙だ。朝、午、晚、三度々々食事の給仕をする外に客間と食堂の掃除をするんで、身體は隨分疲勞くたびれるから、手のすいた時と云へば居眠りをするばかり。物を考へたり、心配したりするやうな、つまり頭を使ふやうなことは自然になくなる………其の代り肉慾食慾は驚く程增進して來るものだ。一日の勞働を了つた後の食事の甘い事と云つたらお話にならない。食へるだけ腹一杯食ひ込むと其の後は氣がとろり﹅﹅﹅とし了つて、自然と傍に坐つて居る小間使にからかひ初める。手を握るばかりぢやない、擽つて見やうとして、甚く肱鐵砲を喰ふのだが、其れが又何とも云へぬ程面白い。すると、向うも下女は矢張下女で、怒りながらもつまる處戲はれて見なければ何だか物足りないやうな氣がするのだ。惚れたの何うのと云ふ事はありやア爲ない。下女と下男———これアもう必然的に結合すべきものだ。」

 夜は次第に明けて來た。消え行く電燈と共に見世物小屋の女逹も何時の間にか姿を隱して了つて、四邊は一刻々々薄明くなるにつれて、いよ〳〵寂と物靜かになつて行く………聞えるものは濱邊の砂を打つ波の音ばかり。

「此の如く僕の運命は全く定まつて了つた。僕は一方では以前にも增して、いよ〳〵父に會す顏が無いと良心の苦痛に堪へない、と同時に、一方では此の動物的の境遇がます〳〵氣樂に感じられる。つまり煩悶すればするほど深みへと落ちて行くんで、冬中は彼方此方の家庭へ給仕人になつて働いて步く。夏になつて家族が市中の家を引拂つて避暑地へ旅行するやうになれば、每年此う云ふ夏場を目付けて轉付ごろついて步いて居るんだ。」

「然し、最後には君、どうするつもりだね。」

「どうする………どうするか、どうなるか。」と苦悶の顏色を示したが彼は遂に恁う叫んだ。

「いや〳〵、其樣事を考へない爲に僕は此樣馬鹿な眞似をして居るんだ。自分ながら自分の將來を考へる腦力もなくなつて了ふやうにと、僕は働く、飮む、食ふ、女を買ふ。あくまで身體を動物的にしやうと努めて居るんだ。」

 彼は胸中の苦しみに堪へぬかして、自分を置去りにしたまゝ向うの方へと行つて了つた。

 一せんの旭日が高い見世物の塔の上に輝き初めた———何たる美しい光であらう。自分は一夜閉込められた魔窟から救ひ出されたやうな氣がして覺えず其光を伏拜んだのである。

          (明治四十年五月)

市俄古の二日

 三月十六日———市俄古シカゴ見物に行かうと定めた日である。

 例年よりは大變に暖いと云ふ事で、この二三日降り續いた雨に去年から降り積つて居た雪は大方解けて了つた。天氣は相變らず曇つて居たけれど、久しい冬の眠りから覺めた街の樣子はもうがらりと變つて居る。雪の上を滑つて居た低い橇は大きな車輪の馬車となり、その馭者の恐しい毛皮の外套は輕い雨着と變つた。總のついた毛糸の頭巾を冠り、氷の上を滑つて居た子供や娘は、洗出されたセメント敷の步道を、新しい靴の踵に踏み鳴らしつゝ走廻つて居る。子供でなくても、人家の庭や果樹園に黑い濕つた土と、雪の下に一冬を送つた去年の靑芝の現れ來たのを眺めては、程なく來るべき春を思浮べて、誰でも自然おのづ雀躍こをどりせずには居られまい。

 午前九時半の汽車に間に合ふやう、自分は手提革包の仕度もそこそこに、町端れの四辻を過ぎる電車に飛び乗り、下町のミシガン中央線の停車場に赴いた。

 カラマズウ市から市俄古までは凡そ百哩、正四時間で到着するとの事である。汽車はカラマズウの町を離れると直樣波の樣に起伏して居る木の少ない丘陵をかの間や、眞黑に冬枯して居る林檎園に沿うて走る。自分は岡の間の凹地に殘る鹿子かのこまだらの雪の模樣や、牧場の小川から溢れ漲る雪解ゆきげの水が腐つた柵を押崩すさまなぞ、まるで露西亞小說の叙景のやうな景色を幾度も目にして過ぎた。

 インデアナ州に這入ると、製造場の多い、汚い小さな街が增え、軈てミシガンレーキの畔に出る。然し、湖水の面は曇つた空と共に濛々たる霧に閉され、岸邊に漂ふ大きな氷塊と、無數の鷗の飛廻るのを眺めるばかり。見ぬ北極の海もかくやと想像せられるのである。

 間もなく汽車は湖水に沿ひながら、市俄古の市中に入り、イリノイス中央線の停車場に着した。午後の一時半頃なので、プラツトフオームから續く階段を上つて待合室に入り、其の片隅の一室を占めた料理店レストラントに這入つた。

 中は二つに區別してある。一つはランチ、カウンターとか云つて、一寸日本の居酒屋と云つたやうな體裁。手取り早く立食ひをして行く處。他の方は白い布を掛けた食卓と椅子が置いてある普通の食堂である。立食の方は時間もかゝらず、勘定も安いので、殆ど空間もなく混み合つて居る中には、不思議に可成り綺麗な扮装みなりの婦人も交つて居た。

 自分は食事を濟まして、廣い階段を下り往來へ出やうとしたが、まだ不知不案内の都會の事、自分の目指す友人の家は西の方やら、東の方やら。

 入口の石段下には馭者が馬車を並べて客待きやくまちをして居るので、自分は手招ぎして一人を呼び寄せ、

 「市俄古大學の傍まで幾何いくらだ。」ときくと「二弗」と答へた。

 隨分遠方であるとは知つて居たが、少しく法外のやうに思はれたので、外國の旅の耻には搔き馴れて居る事とて、再び停車場に戾り、居合せた驛夫を捕へて質問した。驛夫は深切に、

「停車場の出口から直ぐと市内を往復する電車に乗つて、五十五丁目の停車場で下りるのが一番便利だ。」と敎へてくれたので、自分は更に切符十仙を拂ひ、プラツトフオームに來る電車を待ち受けた。

 間もなく三輛の列車が來て、停車すると入口の戶が驛夫の手を借りずに自然と開いて、進行し始めると同時に再び自然と閉されて了ふ。車中なかには女客は少く、商人らしい男が多い。自分は市俄古大學の近傍に住んで居る一友人を訪ねて行くつもりなので、隣席に坐つて居る若い男を顧みて、何丁目へは………と友人の宿所を尋ねると、まるで子供に物を敎へるやうに、細々と道筋を示してくれた後、やがて衣嚢ポケツトの中に入れた手帳の間から地圖まで引出した。自分は日本流に帽子まで取つて厚く禮を云ふと、

「誰でも外國へ來れば皆困るんですから、其樣お禮には………、」と彼の男は自分の餘りに丁寧なのに少しは驚いた風であつた。アメリカでは男同士の挨拶に帽子なぞ取るものは一人もないからであらう。彼は言葉をつゞけて、

「私も實は外國人です、和蘭おらんだじんですよ。もう十年から此の國に居ますが………あなたは如何です、アメリカはお好きですか。」

貴兄あなたはいかゞです。」と自分は訊き返すと彼は微笑して、

「世界中で一番好い處と云へば矢張生れ故郷………あなたも矢張さうでせう。」

 彼はさる商店の手代をして居る事から、軈てそろ〳〵とお國自慢に取りかゝらうとした折、電車は自分の降りるべき停車場に着いた。自分は重ねて禮を云ひつゝ車を出で街に降りた。

 辻の瓦斯燈に五十五丁目と書いてある。自分の行先は五十八丁目なので、卽ち三丁步けば可いのだ。始めて來た土地でも恁う容易たやすく見當の付くのは、規則正しく數字若しくはアルハベツトの順に區別されてある亞米利加の市街の最も便利な一つである。番地とても、街の右側が奇數ならば、向側は偶数と云ふ風になつて居るので、東京の人が其の土地の番地を捜し得ぬやうなおそれは決して無い。

 自分は安心してゆつくりと步いた。久しく空を閉した冬の雲は、先程から幾重にも層をなしつつ動いて居たが、次第々々に靑空を現はし、遂に太陽の光までを漏らすやうになつた。雪解の往來は宛ら沼のやうになつて居るので、自分は稍乾いて居る步道サイドヲークを拾ひ〳〵步いて行くと、何と云ふ不順な氣候であらう、丁度五月のやうな暑氣を感じ、汗は額に流れ出て、今朝までは着心の好かつた外套の今は重苦しい事云ふばかりも無い。

 幾軒も同じ石造りの三階建の貸家の並んで居る中に、やがて目的の番地を見出した。此の邊は急がしい市俄古の市内うちとは思へぬばかり人通りも少く、町の片側は芝生の廣場(後で聞けば、ミツド、ウエーとて十餘年前萬國博覽會の一部であつたのを其儘公園にしたのだとの事)その廣場を越して、遙右手には鼠色の市俄古大學の建物が見え、左手には大方ホテルでも有るらしい大きな高い凌雲閣スカイスクラツパーの二つ三つ立つて居るのが、丁度雨上りの白い雲の頻と往來する空模様と調和して、妙に自分の眼をひいたので、自分は訪ねやうとする家の戶の外に佇んだまゝ、暫くは呼鈴も押さずに眺めて居た。

 すると、二階の窓の方で、自分には何の譯とも聽取れなかつたが、若い女の聲がして、バタ〳〵と駈け降る跫音、そして入口の戶が開いた。

 「ミスターNツて仰有る方ぢやありませんか。」

 十七八かと思はれる小作りの婦人、金色ブロンドの前髮をふつくりと大きく取り白い上衣ウエーストに紺色のスカート。見るから愛らしい圓顔の口許に、態とらしいまで愛嬌あるえくぼを浮べ、華美はでな、無邪氣な、奧底の無い、アメリカの處女特有の優しい聲で、

「ジエームスはまだ會社から歸りませんけれど、此の間からあなたのお出を待つて居ります。まア、お上んなさいまし。」

 自分は案内されて客間に通つた。

 室内は淋しからぬばかりに長椅子ソフワー、安樂椅子、デスク、石版の繪額、中古の洋琴なぞを置いたゞけで、自分が想像した市俄古の生活としては、其の華美ならざるに驚いた。家の主人は裁判所の判事、今、自分を接待してくれるのは、その一人娘のステラ孃で、自分がミシガン州で知己となつたジエームスの未來の妻たるべき人である。

 然り、彼ジエームスは旣に度々自分に此の娘の事を話した。懷中時計の裏に貼付けて、肌身放さず持つて居る美しい其の寫眞をも幾度となく見せてくれた。ジエームスの實家はミシガン州にあるので、去る頃歸省して居る最中、自分は一方ならず懇意になつたのである。ボストン電氣學校の卒業生で、シカゴのエヂソン電氣會社の技師となり、この家に室借りをして居たが、彼は書生時代から洋琴が上手、娘ステラは胡弓バイオリンが好きと云ふので、折々試みる晚餐後の合奏は、宵々每に二人の愛情を結び付け、遂に婚約エンゲージする事になつたとやら。して、互に心の底に、そも〳〵の始め、云はれぬ愛の誓をなさしめたのはシユウマンが「夢」の一曲を合奏した瞬間であつたと云ふ事も、自分はジエームスから聞いて居た。

「今夜は私に是非、あの『夢の曲』を聞かして頂きたいものです。」

 云ふと、ステラはさも驚いた樣に、しなやかな片手に輕く頰を押へ、「ドリーム」と叫んだが、激しい回想の念に打たれて、大きく息をつき、「ジエームスは其樣事まで、あなたにお話して了つたんですか。」

「えゝ、何も彼も………。」

「まあ、ほゝゝゝゝ。」と高く鈴のやうな聲で笑つたが、少しも感情を抑へない此の國の少女が胸の響は自分の耳にまで聞えるやうに思はれた。

 彼女は突然安樂椅子から立ち、すた〳〵と次の室へ行つたかと思ふと、一册の寫眞帖アルバムを持つて來て、今度は犇と自分の傍へ椅子を摺り寄せ、膝の上に開いて見せて、

「私逹の寫眞ですよ。日曜のたんびに撮つたんです。」

 日曜日每に連れ立つて遊びに出掛けた所々の公園で撮影うつし合つたのを、一枚一枚月日を記して貼つてある。

 ステラは、此れはジヤクソン公園の湖邊、此れはミシガン大通アベニユーの石堤、此れはリンコルン公園の木陰………と語調も急がしく說明する中にも、彼女は折々自分は今や世界中での一番幸福な娘の一人であるとの自信を、深い綠色の目の色に輝かせた。

 自分は心の底からステラの幸福を祈る切なる情に迫められると同時に、幸なるかな、自由の國に生れた人よ、と羨まざるを得なかつた。試に論語を手にする日本の學者をして論ぜしめたら如何であらう、彼女ははしたない﹅﹅﹅﹅﹅ものであらう、色情狂者であらう。然し、自由の國には愛の福音より外には、人間自然の情に悖つた面倒な敎義をしへは存在して居ないのである。

 此の夕、自分は忘れる事の出來ぬ樂しい晚餐デンナーを試みた。戀人のジエームスが歸つて來る。父親の老判事が歸つて來る。一家母親を合せて食事した後、若い二人は自分のこひに應じて、彼の「夢の曲」を演奏したのである。花形の笠着た朦朧たる電燈の光に、男は肩幅の廣い背を此方にして洋琴に向ふと、女は胡弓を取つて倚りかゝるやうに男の傍に佇立む。長椅子には白髮の母親、鼻眼鏡を掛けた大きな禿頭の老判事、硝子窓の外には幽に濕けた三月の夜を急いで步いて行く人の靴音。

 やがて若い二人は演奏し了つたが、娘は樂器を手放すや否や、もう堪へられぬと云ふやうに、男の胸に身を投げ掛け、二度ほど激しい接吻を試みた。兩親は手を拍つて喜び、その再演を迫つたが、娘は猶ほ少時は、激しい感動を靜め兼ねたのであらう、男の胸に顏を押當てた儘で。然し突然立ち直つて、再び樂器を手にすると、今度は亞米利加人が大好きな、彼の愉快なる「デキシー」の一節、老判事までが椅子に坐りながら足拍子を踏み始めた。

 時計はやがて九時を打つた。ステラの家には今生憎と空間がないと云ふので、先程、ジエームスが二軒置いて先の素人下宿屋に自分を案内すると云つて居た處から、自分は家族一同にグツドナイトを吿げジエームスと共に外へ出た。

 自分は何とか一語ジエームスに向つて、御身等おんみらの戀は如何に幸福なるかよとの意味を傳へたいと思ひながら、空を見ると夜の雲の烈しい往來ゆきゝに氣を取られ自分はその儘默つて步いた。彼は何やら流行唄を口笛に吹きつゝ早や素人下宿の戶口に着いた。

 下宿屋と云つても別に樣子の變つた事は無い。ステラの家とは殆ど間數も建方も同じやうである。自分は此の家の細君に案内されて、貸間の中では一番上等な表向フロントの一室に入り、五分ほどしてジエームスの立去るや、自分は直衣服を着換へて、靜に寢床の上に身を橫へた。

 瓦斯燈を消すと、日蔽を差上げた硝子戶からは夜の空が一杯に見える。空は暗いながらも、往來の雲のかげには月が潜んで居る爲めか何處とはなしに微明うすあかるく、路傍の樹木や、遙の高い建物が影の樣に黑々と見分けられる。然し、幸にも今日は汽車の疲れに枕上何の物思ふ所もなく、直樣身は海底に沈み行く心地して、深い眠りに入つたのである。

 三月十七日———目覺めたのは八時、見ると一面にれて居る硝子戶の上に、朝日がキラ〳〵輝いて居る。衣服を着換へながら、窓際に立ち寄つて、外を見れば、濡れた往來には風に打拂はれた細い樹の枝が、彼方此方に散亂して居る。暴風があつたに違ひない。それにしても、自分は能く夢一つ見ずに一夜を過す事が出來たものだ。哀れな人間は眠りの最中さへ、絕えず種々の夢に苛まれるものを。昨宵ゆうべは此の夢一つ見ぬ誠の快眠に、自分は始めてかの牧場の木蔭に橫る動物のやうに、生存の勞苦から遠かつた安樂と幸福を得たのである。

 九時の定めと聞いた朝餐の食堂に下りて行つた。

 四人づゝ坐るべき小形の食卓が三脚置いてある。商人らしい中年の男が二人一番端れの食卓に市俄古新聞シカゴトリブユーンを讀んでゐる。中央のには學生風の婦人が一人。すると案内の細君は、自分を此の中央の食卓に請じたので、かの婦人は今まで一人で退屈さうに食事の運び出されるのを待つて居た所から、殊には外國人と見て取つて直樣話しかける。

 然し話し掛ける質問は十人が十人大抵きまつて居る———何時此の國へお出でになりました。アメリカはお好きですか。ホームシツクにおなりぢやありませんか。日本のお茶は大變よう御在ますね。日本のキモノは綺麗ですね。私は日本の事だと云へば夢中クレージーですよ………。

 自分は何でもよい、早く話を他に轉じたいと思つたが、折能く、下髮を黑いリボンで結んだ十四五の娘が食事を運んで來たので、此れを機會に、ナイフを取りながら、

「あなたは大學へお通ひなのですか。」

 聞くと、「えゝ。文科の方へ………、」との答である。此れに稍力を得て、

「文科………それぢや小說なぞも御覽になりますか。」

「えゝ、大好きです。」と婦人は憚る所なく答へる。アメリカには日本のやうに女學生に限つて小說を禁ずるやうな無慙むざんな規則はないと見える。

 彼女は新刊小說の題目を數多あまた並べて批評をしたが、不幸にも自分はアメリカの文學については、此れまで何一つ注意を拂つた事が無いので、折角の婦人が高說も其程には趣味を解し得なかつた。自分が知つて居るアメリカの作家と云へば、ブレツトハート、マークトイン、ヘンリーゼームス、高々此れ位のものであらう。去年の暮であつたか、紐育の友から其の頃文壇を風靡して居る二三の大家の作を送付されたが、何れも半分ほど讀んで止してしまつた事がある。猶ほ折々は雜誌など開いて見るけれども、何故か此の新大陸の作家中には、ドーデ、ツルゲネフのやうなものを見出す事が出來ない。大方アメリカ人にはかゝ哀愁の深い作物は、その趣味に適して居らぬのであらう。

 朝餐は思ひの外早く濟んだ。かの女學生は、「明日の午後には大學構内のマンデルホールで春季の卒業式があるから、御見物なすつては………。」と云ひながら食卓の上に置いた一册の本を取り片手に前髮のもつれを撫で〳〵出て行つた。

 殆ど入れ違ひに戶口の鈴が鳴つたかと思ふと給仕の娘が、「お客樣です。」との取次ぎ。

 出て見るとジエームスであつた。山高帽子を少し阿彌陀に冠り、例の無造作な聲で、グツドモーニングを繰返しながら此れから街の會社に行くので、自分も一緖に見物旁々出掛けてはとの事。早速勸めに應じて共々往來に出て、昨日の晝間下車した同じ停車場から市内通ひの電車に乗つた。

 丁度、あらゆる階級のシカゴ人が下町の會社や商店へ出勤の時間なので、車中には席もない程男や女が乗り込んで居る。彼等は何れも最短時間の中に最多の事件の要領を知らうと云ふ恐しい眼付で新聞を讀みあさつて居る。五分十分位に停車する何處のステーシヨンにも新聞を持たずに電車の來るのを待つて居るものは唯の一人もない。何と云ふ新聞好きの國民であらうか。彼等は云ふであらう、進步的の國民は皆一刻も早く一事でも多く世界の事件を知らうとするのだと………。あゝ然し世界はいつになつても珍らしい事變つた事もなく、同じ紛紜ごた〳〵を繰返して居るばかりでは無いか。外交問題と云へばつまりは甲乙利益の衝突、戰爭と云へば强いものゝ勝利かち、銀行の破產、選挙の魂膽、汽車の顚覆、盜賊、人殺、每日々々人生の出來事は何の變化もない單調極るものである。佛蘭西のモーパツサンは早くも此の退屈極る人生に對して堪え難い苦痛を感じ「水の上」なる日記の中に、「厭ふべき同じ事の常に繰り返へさるゝを心付かぬものこそ幸なれ。今日も明日も同じき動物に車引かせ同じき空の下同じき地平線の前同じき家具に身を取り卷かせ同じきさまして同じき勤めする力あるものこそ幸なれ。堪へがたき憎しみ以て世は何事の變るなく何事の來るなく、ものうく疲れたるを見破らぬこそあゝ幸なれや………。」と云つて居るではないか。されば、饑ゑたるものゝ食を求むる如く、此の變化なき人生の事件を知らうとするアメリカ人の如きは最も幸福と云ふべき者であらう。

 列車は休まず湖水の波際を走つて居る。何となく新橋品川のあたりを過ぐる心持がすると思ふ間もなく最後の停車場に着するや、車中の一同は皆忙し氣に席から立つ。ジエームスは此處がバンビユーロンの停車場で市俄古中最も繁華な商業地への這入口はいりぐちだと敎へてくれた。

 電車から溢れ出る無數の男女は互に肩を摩り合はさぬばかりに、ゾロ〳〵とプラツトフオームから續いた頑丈な石橋を渡つて行く。見渡すと橋向うは數多の自動車オートモビルが風の如くに往來して居るミシガン大通アベニユーで、更に、此處から西へと這入る幾條の大通りには何れも二十階以上の高い建物が相競うて聳えてゐる。空は三月の常として薄暗い上に左右から此等の高い建物に光線を遮られてゐるので、大通の間々は塵とも烟ともつかぬまるで闇のやうな黑いものが渦卷き動いて居る。そして今しも石橋を渡り盡した無數の男女の姿は呑まれる如く、見る〳〵中にこの闇の中———市俄古なる闇の中に見えなくなつて了ふのであつた。

 自分は漠然たる恐怖に打たれた。同時に是非を問ふの暇もなく自分も文明破壞者の一人に加盟したい念が矢の如く叢り起つて來た。正直な日本の農民は首府の東京を見物してその繁華(若し云ひ得べくんば)に驚くと共に、無上の賞讃と尊敬を土產に元の藁家に歸るのだが、一度時代の思潮に觸れた靑年は見るに從ひ聞くに從ひ、及びも付かぬ種々な空想に驅られる愚さ。自分は步む事も忘れて石橋の上に佇んで居ると、ジエームスは何と思つたか微笑みながら振向いて、

「Great City」と自分に質問するらしく云掛けたので、

「Ah! monster.」と自分は答へた———何と形容しやうか、矢張人々の能く云ふ通り怪物モンスターとより外に云ひ方はあるまい。

 ジエームスは前面のミシガン大通に聳えた建物を指して、あれはアンネキスと云ふ旅館、その隣がオーヂトリヤムと云ふ劇場、遠くの彼れは卸賣の註文を取引する會社の塔である。あれは何、これは何、と一つ〳〵說明してくれた末、まだ少し時間もあるからマーシヤル、フヒールドと云ふ大商店へ案内しやうと云つた。

「市俄古で一番………紐育でも那樣あんな大きな商店はない。だから世界一と云つてもいゝのです。女ばかりでも七百人から働いて居ますからな。」

 ジエームスの話は恐らく虛言ではなからう。此の商店を見物する事は市俄古を通る旅人の殆ど義務と云つても可いやうになつて居るのである。衣服家具小間物靴化粧品など諸有る日用品を商ふ店で、市中目拔きのステート、ストリートの角に城郭の如く聳えて居る。自分は群衆の中を通り拔けエレベーターに乗つて二十階近くある其の最絕頂に上り、磨き立てた眞鍮の欄干に凭れて下を覗いて見た。

 建物は丁度大きな筒の樣に、中央は空洞をなし、最絕頂の硝子天井から進み入る光線は最下層の床の上まで落ちるやうになつて居るので、出入の人々が最下層の石畳の上を步行して居る樣を何百尺の眞上から一目に見下す奇觀。男も女も漸く拇指程の大きさも無く、兩腕と兩足とを動して、うじ〳〵蠢いて行く樣、此樣こんな滑稽な玩弄物おもちやが又とあらうか。然し一度此の小さな意氣地なく見える人間が、雲表に高く聳ゆる此高樓大廈たいかを起し得た事を思ふと、少時しばし前文明を罵つた自分も忽ち偉大なる人類發逹の光榮に得意たらざるを得なくなる。

 人は定まらぬ自分の心の淺果敢あさはかさを笑ふであらう。然し人の心は何時もその周圍の事情によつて絕え間なく變轉浮動して居るに過ぎない。例へば夏の日に冬の寒さを思ひ冬の日に夏の涼しさを慕ふやうなもので、ルーテルの新敎ルーソーの自由、トルストイの平和、何れか絕對の眞理があらう。皆な其の時代と其の周圍の事情とが呼起した聲に外ならぬ。

 ジエームスは會社へ出勤するとて共にエレベーターで下に降り、商店の戶口で別れた。自分は此れからミシガン大通の美術館へ見物に行くのである。

          (明治卅八年三月)