無論むろんさ、いまならあのくらゐをんなおそれをいだきやしない、成功せいこう失敗しつぱいか、かくあたつてるがね、あのとき奇麗きれいをんなりや、てんから天女てんによのやうながして、うつかりてだしは出來できやしない、たゞおがんでばかりゐたんさ、」

「しかしあのをんな純潔じゆんけつだよ、ぼくいまでもあのをんなおもふと、一しゆ刺激しげきける。そしてしか彼女あれ卑俗ひぞくをとこ結婚けつこんしてゐやしないかとおもふと、非常ひじやうあはれにかんぜられる、」

「なあにあれだつてたゞをんなだらう、で、きみはどうだつた、あのをんな思召おぼしめしがあつたか」

細野ほそのすこほゝあかめて、「あのをんなは一ぼく理想りさうだつたんさ、無論むろん結婚けつこんしたいのなんのといふかんがへはさらになかつたがね、そのかは他人たにんとも結婚けつこんしないやうにのぞんでゐた、結婚けつこんすれば堕落だらくする、だから何時いつまでも獨身どくしんで、女神めがみで一しやうおくるやうにねがつてたんだ」

「だが、いくきみだつて、いまあのをんなつたら失望しつばうするだらう、理想りさう女神めがみ先生せんせい、もう子供こども一人ひとり二人ふたりんで、所帶しよたいみてるだらう、」と、自分じぶん冷笑れいせうして、「あれから、葛原くづはら大將たいしやう何處どこにゐるだらう、ぼくつゝみやつよりも葛原くづはらひたいよ」

「あのをとこ凾館はこだてにゐるさうだ、物產ぶつさん會社くわいしや多少たせうおももちひられて、いま彼地あちら派遣はけんされてるさうだ」

「さうか、葛原くづはら理想りさうのない俗物ぞくぶつだが、どうもエライところがあるよ」

(七)

自分じぶん大阪おほさかかへつて、半歲はんとしほどつきに二三かなら細野ほその手紙てがみおくつてゐたが、次第しだいおこたがちになり、以前いぜんおなじくまつた音信おんしんえるやうになつた。で、ほとんどれのをすらおもうかべなくなつた。ところ或日あるひまつたえんのないひとかられの變死へんしうはさいたのである。自分じぶんおどろいてくはしいことをたづねたが、明瞭めいれうにはわからない。たゞある山間さんかんたにちてんだとばかり、自殺じさつやら過失くわしつやら、それもわからぬ。で、自分じぶん色々いろ〳〵想像さう〴〵してた。巡禮じゆんれいがけうへで、なにかんがんであしすべらしたのかもれぬ。水中すゐちゆう天女てんによかげ飛込とびこんだのかもれぬ。しかしれは生活せいくわつ困難こんなんため自殺じさつするやうなをとこではない。ウエルテルに同感どうかんしてゐたけれど、けつして失戀しつれんため自殺じさつするをとこではない。自分じぶん生活せいくわつこひくるしみも、自分じぶんからはなしてて、いたりわらつたりしてゐたをとこだと、一人ひとりめて、あえ細野ほそのについて、れの鄉家くに友人いうじんから事情じゞやうかうともしなかつた。それから五ねんのち自分じぶん東京とうきやう支店してんつとめることゝなり、飛立とびたつやうによろこんで上京じやうきやうし、小石川こいしかはに一かまへた。このときすで結婚けつこんをして子供こども一人ひとりまうけてゐたのである。

或夏あるなつ午後ごゞ仕事しごとませ茅場町かやばちやう會社くわいしやて、電車でんしや停留場ていりうぢやうけてあるいてると、むかうからつばひろいパナマの帽子ぼうしかぶつた大柄おほがらをとこが、綱引つなびきつきくるまけてる。稍々ややちかづいてると、それが葛原くづはらのやうだ。もしやとうたがひながらそのかほ見詰みつめてゐた。するとそのをとこ自分じぶんかほ不審ふしんげにてゐたが、摺違すれちが機會とたんに、れから大聲おほごゑで、「槇田君まきたくんぢやないか」とつてくるまめた。

葛原くづはらくんですか、どうもさうだらうとおもつた。久振ひさしぶりだねえ」

「いゝところつた、色々いろ〳〵はなしもしたいんだが、今日けふ急用きふようがあるんだからね、近日きんじつあらためてはうぢやないか、かた約束やくそくしてかう」とたがひに住所じうしよ交換かうくわんしてわかれた。

この自分じぶんは二三葛原くづはらつて、れのおともをして料理屋れうりや待合まちあひばいりをしてかすこともある。或時あるときれにむかつて、

ぼく山伏町やまぶしちやう時代じだいにはむしきみきらつてたが、いまぢやきみ感服かんぷくする、きみはあの時分じぶんから世間せけん心得こゝろえてたからね、たしかにぼくより十ねん進步しんぽしてゐたのだ」とつて細野ほそのはなしをすると、葛原くづはら久振ひさしぶりで細野ほそのおもしたらしく、

「あのをとこには一停車場ステーシヨンつたよ、あれがにに旅行りよかうするときだつたらう、元氣げんきのないかほで、ぼんやりつてたよ」と面白おもしろさうにわらひ、

山吹町やまぶきちやうにゐたときなんでもきみ一人ひとりほかうつつたあとでね、餘程よほど面白おもしろかつた。細野ほそのとなりの美人びじんれてゝ、ひとりで煩悶的はんもんてきのことをやつてたさ、或時あるときなにかんがへたかね、夜中よなかきて、裏木戶うらきどからつゝみにははいんでうろ〳〵してたんだらう、其處そこ書生しよせいれかにつかつて、大騷おほさわぎになつたんだがね、隨分ずゐぶん滑稽こつけいだつたよ。みづんだのも、流行りうかう失戀しつれんてき煩悶はんもんなにかの結果けつくわだらう」と、冷笑的れいせうてきふ。しかし自分じぶん細野ほそのにはしのんだのも、なにかのゆめさそはれたので、べつ意味いみもなからうとおもふ。れのについては偶然ぐうぜん故意こいか、れもらぬ。たゞ葛原くづはら細野ほそののことをはなごとに、「へんをとこだ」とか「あれぢやめしへん、きてられるわけがない」とか、一口ひとくちあざけつてしまうのがれいで、自分じぶん同意どういはする。しかし時々とき〴〵細野ほそのそらあふいでる姿すがたおもし、れが白雲しらくも徂徠そらい感淚かんるゐにむせんでる五分間ふんかんと、葛原くづはらの一だい事業じげふと、いづれがあぢふかいだらうかとうたがふこともある。


株虹

太平洋岸たいへいやうがん激浪げきらう怒濤どとう東北とうほく地方ちはう荒凉かうれうたる光景くわうけい見馴みなれてゐるが、これはどうもしやうはぬ。それでこのあき局面きよくめんへて、瀨戶内海せとないかい沿岸えんがん寫生しやせい旅行りよかうをした。つた土地とちには五日いつかでも六日むいかでも滯在たいざいし、いやになれば夜中よなかにでも出立しゆつたつする。贅澤ぜいたくつくたびでもなく、名所めいしよ舊蹟きうせき遍歷へんれきするのでもなく、たゞ海岸かいがんめぐつてやはらかいなみおとき、よくくらひよくねむるをよろこんで一月ひとつきばかりをすごした。そのうち旅費りよひとぼしくなり、歸京きゝやうせまり、申譯まをしわけばかりのスケツチも、大分だいぶん量張かさばつたころある無名むめい海岸かいがん最後さいご旅裝りよさういて數日すうじつおくることゝした。

よるおそいて撰擇せんたくひまもなく、酒樓しゆらう兼帶けんたいちいさい薄汚うすぎたな旅人宿はたごや宿とまつたが、案外あんぐわいによくねむれたので、翌日よくじつ早朝さうてうから畫板ぐわばんひつさげて海邊かいへんた。藻草もくさにほひやさかなにほひはするが、すではなれて、それがなんとなくいゝ氣持きもちがする。つぶやごと足下あしもとなみおとくと、うしほなか全身ぜんしんひたして、骨髓こつずゐまで海氣かいきみたくなる。山間やまがにはあきあはれささびしさが露骨むきだしにあらはれてゐやうが、すくなくも瀨戶内海せとないかい潮風しほかぜには、しんみり﹅﹅﹅﹅したおだやかなにほひたゞようてゐても、萬物ばんぶつ凋落てうらくせしむるふくんでない。

は二三十分間ぷんかんおもむろに滿うしほたいし、りくから十ちやう乃至ないし海中かいちゆううかんでる二三のちいさいしまあひだから、一つ二つ夜漁やれふふねかへりかけてるのをのち、スケツチにとりかゝつてると、らぬうしろからたれやらのぞいてゐて、「うまいものだな」と無遠慮ぶえんりよこゑけた。旅行中りよかうちゆう寫生しやせいたびごと田舎物ゐなかもの取卷とりまかれて、たかこゑ奇妙きめう批評ひゝやうかされるのにれてゐるから、べつにもめなかつたが、このをとこまへつて、如何いかにもれ〳〵しく、

貴下あなた何處どこからおいでなすつた、岡山をかやまですか、上方かみがたですか」とける。

へんおもつて見上みあげると、たけみじかい筒袖つゝそで鼻下びかひげたくはへたをとこで、釣竿つりざほかたにかけ、魚籠びくげてゐる。言葉ことばつきから態度たいどまで、たゞ漁夫れうしとはおもへない。ふとつた柔和にうわかほには微笑ゑみふくんでゐる。

東京とうきやうです」と、簡單かんたんこたへると、

「はゝは東京とうきやうですか、わたしも十ねんまへ彼地あちらまゐつたことがあります」と、多少たせう自慢じまんいろせて、「そして、いま何處どこ宿やどをおりですか」と、さも懇意こんいさうにはなしかける。

日野屋ひのやといふうちです」

「うん、彼家あすこですか」と、まゆひそめて、「ぢや八釜やかましくておこまりでせう。あれは下等かとううちでさあ、とても東京とうきやうかたがお宿とまりなさるところぢやありません。とつて、ほかにいゝ宿やどもないんですが」と、たのみもせぬに、くびかしげてかんがへてゐたが、やがて、「ぢや、どうです、わたしうちへおでなすつちや、丁度ちやうど離座敷はなれいてゐますから、おまをしても差支さしつかへありません」

「はあ、都合つがふでおねがひにまゐりませう」と卒氣そつけない返事へんじをして、あまり取合とりあはなかつたが、れは「是非ぜひでなさい」と繰返くりかへし、「あのみやうしろです、鶴崎つるざきといやあわかります」と、あごをしへて、丁寧ていねいに一れいし、くひつないである小舟こぶね飛乗とびのつた。はその姿すがた見送みおくり、田舎物ゐなかもの呑氣のんきへだてなきをうらやましくかんじた。それからぞろ〳〵﹅﹅﹅﹅あつまつて鼻垂はなた小憎こぞう子守こもりなどを相手あひて寫生しやせいしたり、無邪氣むじやきはなしをして一にちくらした。で、宿やどかへると、据風呂すゑふろはいつてのち相宿あひやど旅商人たびしやうにん世間せけんばなしをしながら、夕食ゆふめしつてゐたが、ふとをとこおもし、お給仕きうじ女主人かみさんむかひ、

女主人おかみさん鶴崎つるざきといふうちがあるだらう、なにをするうちかね」

くと、女主人かみさん頓狂聲とんきやうごゑして、

なにもしちやゐなさらん、お金持かねもちだもの」

ひげのあるひとは、あれが鶴崎つるざき旦那だんなかい」

「ありや若旦那わかだんなだあ」

「ぢやあのひとつりばかりして、あそんでらしてるんかい」

「えゝ、つりにもきなさるし、れうにもきなさる。結構けつかう身分みぶん御座ございまさあ」